第八章
第268話 王都ラキノヴァへ
王都ラキノヴァは大陸の南に位置し、ミラオリオやララコアと比べて随分と春めいていた。
時折頬を撫でる風がまだ少し冷たいくらいだ。
転移魔石を使ってひと気のない森に出た後、簡易的な変装をしてからベルの案内で王都内へと向かう。さすがにこれだけ離れた位置から特定の室内へ出るのは地図がないと難しく、なら人に見つからない場所に出て徒歩で進もうという話になったのだ。
「……でもさ、これやっぱりおかしくない?」
伊織は遠くを見ながら呟くように言う。
ベルを含めると八人の大所帯、しかも静夏の2メートルにも及ぶ巨体は普通にしていても目立つ。なら逆にその目立つ部分を利用してしまおうということになり――静夏は、ふわもこのクマになっていた。
正確にはふわもこのクマを模した上下繋がった服を着ていた。
着ぐるみより動きやすいそれは伊織に『女の子が好みそうなふわもこの部屋着』を想像させたが、筋肉の伸縮に耐えるのがギリギリなのか時折ぎしりと不安になる音をさせている様子は想像とは程遠い。
――目立つならいっそ慰安に訪れた旅芸人のふりをすればいい。
秘密裏に王宮へ向かうといっても道中は目撃されてしまうのだ。ヨルシャミの隠蔽魔法は全員を覆い隠すことはできない。裏口から招き入れてもらったところでそれまでの道のりにも人の目はある。ワイバーンで上空から乗り入れるのは悪目立ちしすぎるだろう。
そのため旅芸人のふりをするのは伊織も賛成だった。
問題はなぜ静夏が猛獣――少なくとも本人は猛獣のクマの役であり、自分がバニーボーイなのかということだ。
衣装はリータの手作りで、時間が少なかったというのに凄まじい完成度だった。特に伊織のものは凝っているがリータは「作りやすかっただけです」の一点張りである。
当のリータとミュゲイラは踊り子風の衣装、ベルは一行を纏める座長風のスーツ姿、バルドは猛獣使い、サルサムは虚無の目をしながらピエロメイクをしたナイフ使い、そしてヨルシャミは奇術師風の服装をしていた。……が。
「わ、わた、私もおかしいと思うぞ。なぜこんなに露出があるのだ……!」
ヨルシャミはレオタード状になった衣装を見下ろして言う。
燕尾の黒いコートの下はバニーガール風になっていた。伊織的にはこれはリータさんグッジョブ案件だが必死に耐えて心の中で親指を立てるだけに留めている。ちなみに今も絶賛耐えている真っ最中だ。
「昔うちの里に来た旅芸人はこんな感じだったんですよ」
「芸を披露することを仕事にしているならわかる、わかるが……私にこれはちょっと……」
「私たちだってそれなりの露出なんです、お互い頑張りましょうヨルシャミさん!」
「そうそう、結構寒いぞこれ」
ムキムキの踊り子と化したミュゲイラはふんっと腹筋に力を入れる。少なくとも見た目は暑苦しい。
まあ王宮に着くまでの辛抱ですから、と宥められているヨルシャミを眺めていた伊織はベルの「そろそろ居住区に入りますよ」という言葉に前を向いた。眼福な案件はあったが、自分がこの格好で人の大勢いる場所へ入るのは大分恥ずかしい。いっそ子熊にしてほしかったと本気で思う。
「母さん、聖女一行として行った方がよかったんじゃないかな、これ……」
「聖女と王族に接点があると思われたくないんだ、血縁者としてでなくても、な」
「……それって前に言ってた大規模な迷惑をかける可能性のせい?」
伊織はもこもこな母親をそっと見上げて訊ねる。
頷いた静夏は遠くに見えてきた王宮の屋根を見た。――王宮、つまり宮殿は王や王族が生活する建物だ。ラキノヴァには他に王宮より古い時代に建てられた城もあり、それは昔は戦争の防衛に使われていたという。
静夏の父、アイズザーラはその両方を使い分けていたが、普段生活しているのは王宮だ。静夏もそうだった。
そんな見慣れた建物を眺めて口を開く。
「王族であることを活かせば救世主としての活動はしやすくなるだろう。しかしそれにより縛られることもある」
「縛られること?」
「世界の穴はどこにあるかわからない。魔獣もどこに湧くかわからない。仮に他国に遠征する必要があったとして、そこで負傷しただけで……私が王族だと、国際問題になりかねないんだ」
ああそうか、と伊織は納得した。
王族の恩恵に預かるということは王族としての責任を理解し振る舞わなくてはならないということ。先ほど静夏が挙げたもの以外でも考慮する点は多いだろう。
救世主はどんな場所へ行くことになるかわからない。
救世主の役目と「王族であること」は相性が悪いのだ。
「今私が王女であり聖女マッシヴ様だと知っているのはベルとベタ村の一部の人間、師匠と両親くらいだろうか……ベルも初めは知らなかったが、巷で話題になっていた聖女が私だと知った父様たちが今後のために計らってくれた、というわけだ」
「ベルさんがいなかったら僕の世話、もっと大変なことになってたかもしれないもんな……」
伊織が目覚めてすぐ活動できたのもベルのおかげだ。
彼女がいなければ半年から一年は筋力トレーニングや発声訓練に費やすことになっていただろう。
「両親は私が救世主の使命を背負っていると知っている。その上で親として愛情を注ぎ、サポートできるところはさせてほしいと言ってくれたんだ」
「あ、よかった、おじいちゃん達は救世主のことも理解してくれてるんだ」
「うむ、幼児が言うより信じてもらえるのではないかと思ってな、生まれて二日目くらいにカミングアウトした」
「……」
「至極驚いたが状況的に信じざるを得なかったと後から聞いたな」
「いや……うん、それは……」
伊織はまだ見ぬ祖父母に少し同情した。
場合によっては悪魔つきだの忌子だの酷い状況になっていたのではあるまいか。思ったよりギャンブラーな母親に慄きつつ、祖父母はこれ絶対良い人だなと伊織は確信する。
そこで静夏が「ああそうだ」と一行を振り返った。
「もしかしたら呼ばれるかもしれないから予め説明しておこう」
「ん? なんだ?」
「この世界での私の本名はオリヴィアという。この名が出たら私と思ってほしい」
「オ、オリヴィア……」
何かツッコミを入れたげなサルサムの隣でバルドが「ああ!」と手を叩いた。
「病弱で表に出てこれないお姫様がいて、それがオリヴィアって名前だって聞いたことあるぞ。そっか、静夏のことだったんだな〜!」
「病弱のびの字も縁がなさそうだがな、……っと」
それを口にしてからサルサムは慌てて口をつぐんだ。
伊織はその様子に笑ってみせる。
「大丈夫ですよ。むしろそう見えることが嬉しいんですから」
そう、今の静夏は病弱という噂が流れていようが健康そのもの。
前世のように苦しまなくて済む体をしている。
今こうして母親が元気に出歩き、旅をできている。それが第三者から見て当たり前に見える。
嬉しくないわけがない、と伊織は改めて言葉を重ねると静夏を見上げ――
「ただまあ、マスコットなもこもこクマさんになってるのは予想外ですけど!」
――そう笑って付け加え、静夏は「猛獣のクマだ」と訂正した。
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