第267話 オリヴィア

 鉄色の小さなカプセルに炎の破片をそっと収める。

 内側に反射していた紫はカプセルをぱちりと閉めると見えなくなり、代わりに表面に一瞬だけ紫色の幾何学模様が走って消えた。

 これでひとまず不死鳥の炎を消えずに保管できるようになったはずだ。


(でも残ったのはこれだけかァ……わかってたコトだケド、98%は死んでるも同然だ)


 三つ編みにした髪を更に何度か巻いて結い上げたシァシァは頬杖をついてカプセルを見る。

 魔獣としての役割はすでに果たせないほど矮小なものになった。先ほど情報が入ってきたが、ボシノト火山の異変も治まったという。

 魔獣としても、藤石伊織としてもこの世界に遺ることができなかった小さな炎。

 シァシァは彼の収まったカプセルに金具を取り付けると、そこにチェーンを通して首から下げた。

「まァ約束は守るヨ。狭いだろうケドしばらくの間我慢していておくれ」

 どの道意識はないとわかっていながらも声をかけ、シァシァは己の右腕を見る。

 作業に用いるのに滞りなし。突貫工事じみた接合になったが義手としては良い出来だ。

 見た目も元の腕と差異はなく、今朝付けたところだが炎を移す作業中に違和感はなかった――が。


「あ、忘れてた!」


 シァシァは器具の後片付けをロボットたちに任せ、いそいそと橙色のマニキュアを取り出して爪に塗る。

 頭の花や葉と同じ色のマニキュアを塗るのは東ドライアドの風習だ。片側の爪だけ素爪なのは気づいてしまえば違和感が強かった。

 義手なのだから初めから色のついた爪にすればいいのに、とセトラス辺りからはツッコミを受けそうだが、塗ること自体が日課になっているためそうもいかない。

 長く生きているとこの日課というものが世俗と繋がるのに存外大切になってくるのだ。

 一枚一枚慣れた手つきで塗りながら、シァシァはふと遠い昔にこうして他人の爪を塗ったことを思い出す。

 小さな爪だった。

 マニキュアを塗り始める年齢に決まりはない。それでも少し早いのでは、と思いながら塗ってやった――年端もいかない小さな娘。

 頭の花も、魔導師の才能も、細工に適した才能も、何もかも受け継いだ子供。

 魔導師の才能があるが故に血筋に由来する強力な催眠魔法も得ていたが、まだ使いこなせる段階にはなかった。

 だというのに、ある日とある理由からそれを利用されたのだ。利用したのはシァシァが守ってきた人間だった。そして彼らがどうこうしたかったのは娘本人ではなく、シァシァの方だったのである。

 娘は完全に利用されただけだった。

 その末の、最期の言葉が自分の死を望むもの。だからシァシァは人間が嫌いだ。個人的な感情で種族ごと嫌うことの無意味さを知ってはいたが、理性にはなかなかどうすることもできない部分だった。

「……ウーン」

 マニキュアのキャップを締めてシァシァは唸る。

 不死鳥が転じた伊織の言葉に娘を重ねてからというもの、どうにも昔のことを思い出してしまう。

 数千年前ならまだしも今や擦り切れすぎて思い出す機会も減っていた記憶だ。調子が狂うな、と思いながら塗った指を光に翳す。


 爪を覆う橙色は昔とちっとも変わらなかった。


     ***


 ベルが転移魔石を使いこなせるようになり、王都で話をつけて戻ってきたのが一時間ほど前のこと。

 王都から戻ったベルは了解を得られたことを報告し、ただし訪れるなら近日中に頼みたいと伝言を預かったことを伊織たちに伝えた。

 いつでも受け入れられるよう体制を整えることはできるが、それを長く維持するのが負担になる理由があるという。

 なんでも正体不明の大型魔獣が現れた地域があり、そこへ向かう騎士団を編成しているところらしい。ララコアへ再度向かうのが遅れている理由はこれだろうか、と伊織は疑問に思ったが、どうやらこういった強力な魔獣の出没頻度が上がったことにより、もうずっといわゆるジリ貧の状態のようだった。


「魔獣の情報は山ほど得られそうだけど……大丈夫かな、王都まで襲われちゃうんじゃ……」

「心配するな、多重契約魔法を用いた王都の結界は強力だ。ララコアのように内側に湧くことさえ許さん。問題は魔獣が出れば必ずそこへ向かい治めようとしていることだな、今の状況でもこのやり方では長くは持たんぞ」


 民想いの良い王のようだが、とヨルシャミは呟く。

 静夏の父親だ。もしかすると性格も似ているのかもしれない。

 そんな最中に治療師を訪ねるのは気が引けたが――そう伊織が思ったのを感じ取ったのか、ヨルシャミが背中を軽く叩く。

「まあ我々が加勢しに行く、と考えればよい。シズカが何を憂いているのかはわからんが、要はシズカとイオリが王族に縁ある者と周囲にバレなければよいのだろう?」

「そっか、聖女一行として協力する形にすればいいのか」

「ふむ……その場合、私はある程度変装した方がいいかもしれないな」

 そう口にした静夏にミュゲイラが首を傾げる。


「姉御が王都を出たのって人間から見たらそこそこ前っすよね?」

「13か14の頃だ」

「ってことは成長した今ならバレないんじゃ……」

「父とな、顔が似ているんだ。あとは……その頃から良き筋肉に恵まれていた」


 見る人が見ればわかるかもしれない、と言う静夏に伊織はそんな馬鹿な、と思ったがミュゲイラは「それは危ないっすね!?」と慌てていた。

 見る人が見ればの「見る人」に該当するのがミュゲイラのような者ならわからなくもない。そう考えを改める。

「ま、とりあえず理由が理由だし王都への移動にも転移魔石を使ったらどうだ? そんでもってこっそり迎え入れてもらって、伊織の味覚を治したら変装しつつ聖女として協力! これでいいだろ?」

「そうだな。では向こうも準備が必要だろう、我々も本日中に準備を整え明日転移魔石で王都へ向かう」

 バルドに頷いた静夏がそう指示し、皆は了解と頷く。

 案内役としてベルにも一旦同行してもらいたい、と言葉を継ぐと、ベルは嬉しそうに「もちろんです!」と快諾した。


     ***


 ――日が暮れて暗くなった馬屋に愛馬を繋ぎ、精悍な顔立ちの男性はようやく一息つく。

 馬は部下に任せてもよかったが、寝床に戻る時だけは主人の自分がやらなくては機嫌を損ねるのだ。


 近頃国内で多くの強力な魔獣が現れ、騎士団はずっと出ずっぱりだった。

 魔獣は討伐できたもの、できなかったもの、逃亡されたものなど様々だ。最後の逃亡は滅多にないが、ここしばらくはどうにも知能が高い個体が多く、中には戦術的に撤退する者もいたのである。

 そんな魔獣と戦っている騎士団にも不安がじりじりと広がっていた。

 魔獣のこの変化は何だろう、と。

「……」

 そのため手が回りきらない地域もある。

 王都から離れれば離れるほどそれは顕著で、危険度の低いものは後回しにされがちだった。

 北に位置するララコア。その村の近くに現れた通称『不死鳥』もそうだ。一度は相対したものの相性が悪く、更には弱点も終ぞわからなかったため一度退いて体制を整えようとしたのだが――結局他の緊急性が高い現場へ向かうことになってしまった。

 あの不死鳥は現段階では縄張りに入らなければ襲ってこないとわかっていたのもある。


(しかし……あの地に住む者からすれば、見捨てられたと感じただろう)


 それが心苦しい。

 同じようなケースはララコア以外でも起こっていた。せめて自分がもっと手早く魔獣を屠ることができればいいのだが。

 そう考えていると慌てた様子の男性が走ってくるのが見えた。

 王族専用のメッセンジャーだ。物的なものを残したくない時に秘密裏に使われる。

「どうした?」

 何事かと身構えながら問うと、男性は戸惑いつつも言った。もちろん本業であるため周囲に誰もいないことを確認し、遮音魔法を瞬時に展開する。


「ランイヴァル様、陛下が魔導師長に要人の護衛を頼みたい、と」

「要人の護衛……?」

「はい、その、念のための護衛といいますかなんといいますか、顔見知りが良いのではというお考えのようで」


 この国の王、アイズザーラは優しく威厳のある王だ。

 しかし少し気にしすぎる性質がある。要は心配性なのだ。そんな面が出たのだろうか、と男性――ランイヴァルが思っていると、メッセンジャーの男性は一度息を吸い直してから言った。

「オリヴィア様が秘密裏にお帰りになられます」

「――オリヴィア様が?」

 ランイヴァルはここ数年で一番間の抜けた顔をしてしまった。

 国王の長女、オリヴィア。

 不思議と肉体に恵まれていたものの、まだ少女ともいえる頃に失踪し、その理由は彼女の要望でよく稽古をつけていたランイヴァルにさえ伝えられることはなかった。国内では病に臥せって城から出られないことになっている。

 そんな彼女が帰ってくるのだ。

「……なるほど、それは陛下も気にするわけだ」

「同時に取り乱しておりまして、まだいつお戻りになられるかもわからないというのに、すぐ歓迎できるよう自分がご馳走を作ると厨房にまで押しかけていました……」

「それは、……そ……それは後で私が宥めておこう。ひとまず了解した、次の任務まで少し間がある。日取りが決まり次第いつでもお呼びくださいと先立って知らせてほしい」

 本来は貴重な休養のために取られた時間だが、ランイヴァルとしてもこのままオリヴィアと会わない選択肢はない。

 メッセンジャーの男性は「はっ!」と敬礼すると、再び夜道を駆けていった。


「……オリヴィア様」


 ランイヴァルは彼女をどこか妹のように感じていたことを思い返す。

 まだ20も半ばの頃だったが、その頃から水属性の魔導師として才能を開花させていたランイヴァルは当時から魔導師長を務めていた。そんな彼の強さを頼って稽古をつけてほしいと何度も何度も頼み込んできたのがオリヴィアだ。

 王女にそんなことできませんと断ったものの、なぜか王も妃もオリヴィアの望みを遮る気はないらしく、むしろ後押しをしていた。

 そんな最中の失踪だ。ランイヴァルは答えが知りたい。


(まあ、会えたからといって知れるものでもないだろうが……)


 そう思いながら見上げた空は、オリヴィアの髪よりも青みがかって見えた。

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