第266話 ベルと人工転移魔石

 しばし談笑した後、村長たちは各々の仕事へと戻っていった。

 伊織はイスに背中を預けて息を吐く。

「久しぶりにああいう反応されると緊張しちゃうなぁ、やっぱり……」

「筋肉信仰が根強いと聞いていたが、たしかに他の土地より徹底しているな」

 ヨルシャミは窓の外へ視線をやって言う。行きかう村人たちは中肉中背といった者が多い。


「私はナンセンスだと思っているし、現に王都の方ではタブーとされていないが、筋肉信仰者は筋肉そのものを聖なる衣として見ている節があるからな。あやつらも己に過剰な筋肉がつかないよう意識してのものだと思うぞ、あれは」

「そ、そこまで徹底してたんだ……」

「聖なる衣っていうか聖なる肉襦袢っていうか」


 たしかにミラオリオのミセリも似たようなことを言っていた気がする。

 そう伊織とバルドが顔を見合わせているとヨルシャミが続けた。

「まあ少なくとも必要以上の筋肉をつけることをタブーとしているのはあくまで『自分自身』であろう。加護とやらにも筋肉増強が含まれていた。恐らく第三者が筋骨隆々でも恥ずかしきこととして扱うことはあるまい」

「筋肉信仰って結構奥が深いんだな……」

「私は興味がなかった故にそう詳しい知識はないが、千年前にはすでに存在していたぞ。歴史はそれなりに長いようだ」

「もしかして世界そのものの神を除くと一番有名な神なんじゃないか、筋肉の神って」

 バルドがそう呟くとヨルシャミは「かもしれんな」と笑った。


 伊織は筋肉信仰について表面上は知っていたつもりだが、そういったものでもまだまだ知り足りないんだなと再確認した。

 ――これから向かう王都のこともそうだ。

(名称とかどの辺にあるとかはベタ村で勉強してた時に覚えたけど、そこに親戚が居てしかも王族なんて知りもしなかったもんな……)

 一体どんな人たちなのだろうか。

 王族に会うことになるかもしれない、という緊張よりも、その人たちの人となりの方が気になって感じる緊張の方が大きい。

 前世の頃の母方の祖父母は伊織にもよくしてくれた。

 無理を押し切って結婚した娘の子供。だというのに邪険にせず遠くからサポートをしてくれたのである。大学への学費も必要なら出してもいいという申し出までこっそりと伊織に伝えていた。

 伊織自身は進学するなら自分の金と奨学金で、と考えていたため断ったが――そこまで考えてくれていた人たちは、娘も孫も亡くして今どうしているのだろうか。うっかりそこまで考えてしまい、お茶をぐいっと口に含んで思考ごと飲み下す。


「マッシヴ様、イオリ様! お久しぶりです!」


 その時家のドアを開けて四十代ほどの女性――ベルが顔を出した。

 そしてすぐさまハッとして「ノックもせず申し訳ありません!」と頭を下げる。

 それを笑顔で迎えて静夏はベルにも着席を促した。

「ベルさん、久しぶりです。お元気でしたか?」

「イオリ様! ええ、私含めてみんな元気に暮らしてましたよ」

「あれから魔獣は……」

「小型のものは出ましたが幸いにもゴースト系や大型のものは出ておりません」

 小型のものなら私の魔法で一掃できるのでご安心ください、とベルは笑ってみせる。

 そしてヨルシャミたちに目をやった。

「ところでそちらの方々は?」

「ああ、村長たちにも雑談の中で紹介したが……道中で仲間に加わってくれた者たちだ。リータは知っているな?」

 はい、とベルは頷く。二人はリータが村へ相談に来た際に村長の家で会っていた。

 リータは「あの時はお世話になりました」と頭を下げ、隣にいるのが件の姉です、と再び頭を下げる。

「あん時は迷惑かけてすまなかったな……リータの姉でミュゲイラだ、よろしく!」

「いえいえ、村付きの魔導師でベルと申します。素晴らしい筋肉ですね……!」

「わかるか!? いやー、姉御っていう目標があるから鍛えるのにも身が入ってさー、ここの上腕二頭筋とか――」

「お姉ちゃん、語るのは後!」

 あっ、そっか、と引き下がったミュゲイラに笑いながら静夏は更に隣のバルドとサルサムを指した。

「左がバルド、右がサルサムだ。我々にない知識によるサポートや前衛として協力してくれている」

 バルドは「宜しくな!」と片手を上げ、サルサムは会釈する。

 最後に静夏は伊織の隣に座るヨルシャミを紹介した。


「そして彼がヨルシャミだ」


 彼? と不思議そうな顔をした直後、その名前が過去に伊織が口にした「夢の中の少女」のものであると気がついたベルが手を叩く。

「イオリ様の言っていたヨルシャミさんですか! 見つけられたんですね!」

「うむ、助けられた後に目標が合致した故、こうして同行させてもらっている――超賢者ヨルシャミだ! ふふふ、宮廷魔導師ならば少しは聞きかじって……」

「あー、ヨルシャミ、ベルさんにも昔訊いたけど知らなかったぞ」

「んぐ!」

 ヨルシャミは見事に両耳を引き攣らせた。

「お、王都に資料くらい残ってないのか? 人間にとって千年は相当な時間とはいえ長命種なら数世代、ついでに病や怪我で死んでなければ当時から生きてる者もいるだろうに」

「色々隠蔽しながら逃げてたから残らなかったんじゃ……?」

 おのれナレッジメカニクス、と小声で呟きヨルシャミは拳を握る。今までで一番恨みがこもっている気がするのは気のせいだろうか。


 するとベルが「千年……?」と不思議そうな顔で言った。そういえばさっきの「彼」呼びについてもフォローしていない。

 静夏はベルに向き直って言った。

「詳しいことも含めてゆっくりと話そう。そして……私が」

 そのまま視線をその場にいる全員に一人ずつ向けていく。


「……この仲間たちと、これからやりたいことについても」


     ***


 神妙な面持ちで耳を傾けていたベルは、すべて聞き終えると「わかりました」とはっきり頷いた。

「事前連絡なしに向かうと大騒ぎになってしまうので、先に私から話を通してほしいということですね」

「その通りだ」

「私は転移魔法は使えないので王都まで行き帰りする間お待たせしてしまいますが、大丈夫でしょうか?」

「それについては少し提案がある」

 提案? と不思議がるベルの前で静夏はサルサムに「転移魔石を貸してほしい」と声をかける。

 受け取ったそれをテーブルの上に置き、ベルに見せると静夏は言った。

「転移魔法の魔石だ。敵から奪取した人工のもの故、副作用があるが……ベルが使えるならと思ってな」

 その敵がサルサムとバルドでした、奪取というよりニルヴァーレから貰ったのをそのまま使ってますということは伏せつつ伝えると、ベルは「転移魔法の魔石ですか!?」とぎょっとする。

「は、初めて見ました、しかも人工的に魔石を作れるなんて……」

 魔石に触れていいものか迷っている手つきで言うベルを見て、伊織は目を瞬かせた。


(人工魔石が随分身近になったり、ニルヴァーレさんが魔石化の魔法を使ったりして麻痺してたけど……やっぱり自然にできたもの以外は珍しいものなのか)


 考えてみれば人工魔石と謳われた魔石が市場に流通していないのだから、それはそういうことなのだろう。

 そこでヨルシャミがベルに補足する。

「魔力の結晶というよりも、入れた魔力を転移魔法に適した性質に変質させる入れ物と思えばいい。故に籠める魔力は誰のものでも良くてな、今は私のものを籠めているが使用するのは大抵そこのサルサムだ」

「サルサム様も魔導師で……?」

「いや、一般……人……ああ、一般人だ。自力で魔力は籠められない」

 頷くサルサムにヨルシャミは視線を向ける。

「無意識でやっているようだがサルサムは魔力操作の技術は高いようでな、魔石への指示が上手いのだ。これがエルフ種なら魔導師として大成したろうに」

「一般人なのに魔力操作……」

「む? 魔導師でなくとも外から逃げ込んだ魔力があるだろう。誰だって極微量の魔力は保有しているのだ。それをより多く溜め込める魂の質を持つ者が人間には少ない故、他種との魔導師の排出数が違うのだろう」

 逃げ込んだという表現に再びベルは不思議そうにした。

 伊織は、ああこれか、と納得する。

 ヨルシャミの持論である「魔力は生き物である」は世に浸透していない。そして恐らく非魔導師が持つ微量の魔力は普通の魔導師には見えないのだろう。超賢者という自称に相応しい実力を持つヨルシャミだからこそ観測できるのだ。

 そしてヨルシャミは他者にその観測したものを共有するのがそこそこ下手である。

「んんん……兎にも角にも魔力操作さえ上手ければ転移魔石の使用も比較的簡単ということだ。ぶっつけ本番は危険故、まずは練習をすることになるが成功すれば陸路で向かうより早く済む」

「なる、ほど……わかりました、では練習の際は指導をお願いして宜しいでしょうか?」

「うむ。まあ座標指定諸々は私よりサルサムの方が上手い故、私は付き添いになるが」

 頼んだぞサルサム、とヨルシャミが言うとサルサムは「感覚的にやってることを教えるのは難しいな……」と乗り気ではないものの頷いた。


 ――その日の内にベルは転移魔石の練習を始めたが、すでに夕刻を過ぎていたため今日はここまでとし、明日から本格的に取り掛かることになった。

 サルサムが転移魔石を使用しベルを王都まで送っていく案もあったが、ヨルシャミが「どうせなら一晩くらい泊っていけばいいだろう。ベルもきっと半日かからず使いこなせるようになる」と言ったため、その間ベタ村に滞在することになったのだ。

 王族とコンタクトを取るのも専用の方法を使うはず。それは第三者に見られたくあるまい、とも言っていたが――恐らく伊織にとって一番故郷に近い場所なのだからもう少し居ろ、という気遣いからだろう。



 その翌日。

 昼食を届けてくれた女性を見て伊織は笑みを浮かべた。

「ルタリナ先生!」

 赤茶の髪を切り揃えた女性、学業の先生であるルタリナだ。

「イオリ様、皆様、こんにちは。昨日は落ち着いて挨拶出来ずすみません、広場にはいたのですが仕事で学校に向かわなくてはならなくて……」

 やっと顔を合わせられました、とルタリナは嬉しそうに言う。

 伊織は皆に「ベタ村でこの世界について色々教えてくれた先生だよ」と紹介した。諸事情から学校には通えなかったため、ほぼ家庭教師のような立ち位置だ。

「イオリ様はあれからお元気でしたか?」

「はい、それに習ったところも直接目で見ると違うものなんだなぁって……色々と学べました」

 味覚の件は伏せつつ伊織は笑う。

 これに関しては必要最低限の人間にしか漏らしていない。不要な心配をさせるのは避けたかった。


(それに村からはすぐ離れることになる。なのに最後に不安要素を置いてくのは嫌だしな……)


 そう考えながら話していると、表からベルの驚いた声が聞こえてきた。

 何か事故でも起こったのか、と伊織たちが顔を覗かせると、尻もちをついていたベルが興奮気味に両腕を振っているところだった。

「す、すごいです! 本当に一瞬でここから王都まで飛べましたよ!」

「成功したんですか!」

「人の家の屋根の上に出てびっくりしましたが、なんとか一人で行き帰りできました!」

 年齢を忘れるほどはしゃいでいるのはそれだけ凄いことだからなのだろうか。伊織は慣れてしまってピンとこないが、成功しベルが喜んでいるのは素直に嬉しい。

 ヨルシャミも口角を上げる。

「この様子なら今日中に話をしに行ってもらえそうだ。イオリよ、受け入れ側の準備にどれほどかかるかわからんが、いつでも出発できるよう準備しておけ」


 伊織は「わかった!」と首を縦に振る。

 いよいよ王都へ向かう時が近づいてきたな、と感じながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る