第238話 故郷でデート
なぜここにきてデートなのだ。
と、ヨルシャミは言いかけたが結局言葉になることはなかった。
たしかに羽を伸ばすことには繋がるし、なにより現実世界ではまだやりにくい。時間の問題も夢路魔法の世界なら解決したも同然、そして何より――ヨルシャミとしても、伊織とデートはしたいのだ。とてもしたい。
好き合って恋仲になった相手としたくないと思うだろうか。少なくともヨルシャミは思わない。
そういうわけで、ヨルシャミはニルヴァーレに反論できなかった。
(ま、まあ、危険なことに挑む前にリラックスしておいた方がスムーズにいく可能性は? 山ほど? あるな? ある。うむ、ならば仕方あるまい)
伊織も似たような様子で答えに窮していたが、デートそのものが嫌というわけではなさそうだ。
ヨルシャミは余裕っぷりを見せつけるべく無理やり口角を上げた。
「……ま、まあ、ニルヴァーレの発案というのが引っ掛かるが、悪い話ではないな。どうだイオリ、現実世界ではない故に趣きはないが、デッデデデデ、デートしないか」
「おっ、乗り気だねヨルシャミ! ちなみに僕もご一緒するよ!」
「リラックス効果への期待が秒でゼロになったわ!!」
余裕など欠片もない様子でヨルシャミは叫び、伊織は肩を揺らしながら「じゃあ三人で行きましょうか!」と笑った。
***
伊織としても二人きりのデートは魅力的だったが、ニルヴァーレを一人置いていく気にはなれなかったため三人で連れ立ってデートという名の散策に出ることにしたのだ。
初めから二人でデートをするので留守番していてもらう、という予定なら気にしていなかっただろう。
しかしニルヴァーレが目の前におり、しかも本人も来たがっているのなら無下にはできない。
(ヨルシャミはちょっと拗ねちゃったけど、僕としてはできればもう少しニルヴァーレさんとの溝を埋めてほしいんだよなぁ……)
距離が近くなることが必ずしも良いことではない。
しかしヨルシャミとニルヴァーレの間に未だ残っている溝は埋めることが可能なものの類に思えてならなかった。
これでも過去よりはましになったのだろう。ヨルシャミにもニルヴァーレへの仲間意識が芽生えている、と伊織にも感じられるようになってきた。
だがもう少しだけ打ち解けてほしい。そう伊織は願っている。
「まったく、三人デートなど普段とそう変わらないではないか……」
ぶつぶつと呟いているヨルシャミをよそに、ニルヴァーレは一切気にしていない様子で伊織に訊ねた。
「で、イオリはどこでどういったデートをご所望かな?」
「えっと、その。二人にずっと見せたいと思っていた場所がいいかなと思って」
「ずっと見せたいと思っていた場所?」
「はい。……ヨルシャミ。君には特に」
口先を尖らせていたヨルシャミは「私?」と疑問符を浮かべつつ伊織を見た。
「ヨルシャミと小屋で約束したろ、故郷を見せるって」
それを今見せたい、と伊織は笑った。
伊織も故郷のすべてを細部まで覚えているわけではないが、十八まで育った場所だ。
それに記憶に自信がない場所でも部分部分――たとえばゲームセンターのみ、本屋のみなどよく通った場所ならきっと再現できる。
ヨルシャミはきょとんとした後、いいだろう、と頷いた。
「だが……きっとまさにその場にいるような気持ちになるぞ。敢えて再び問うが、いいのだな?」
「うん、大丈夫」
「ならば」
ほら、とヨルシャミは片手を差し出す。
伊織はそれを握って一度だけ深く深呼吸した。
――前世を過去として受け入れつつある、と感じた時のことを思い出す。
過去として受け入れつつあるからこそ記憶が薄らいできていた。今はまだほとんどわからないが、これからきっと更におぼろげで不安定なものになっていくだろう。
ヨルシャミ曰く古い記憶でも脳にはずっと残っており、時間はかかるがコツさえ掴めば再現できるらしいが、現実世界で満足に思い出せなくなることが伊織は少し寂しかった。
前世は前世だが、今の自分と地続きで繋がっている。
ミラオリオの小屋でも思ったことだ。伊織は今も同じように感じていた。
だからここで、この夢路魔法の世界で故郷を再現することは、自分に故郷の風景を覚え直させる行為でもあるのだ。
伊織は目を閉じ、まずは、と馴染みの場所を思い浮かべる。
「……? ここは何だ? 大きな施設のように感じるが……もしかしてイオリの家か?」
「さすがにここには住んでないかなぁ。たしかこっちの世界にもあるところにはあるだろ、学校だよ」
まず伊織たちの周囲に再現されたのは伊織が通っていた小学校だった。
そのグラウンドの真ん中に立っている形だ。
グラウンドには鉄棒、雲梯、のぼり棒、ゴールポストなどがあり、その中でも一番目立つのがカラフルなジャングルジムである。端には倉庫。中にはボールやラインパウダーを引くためのライン引きが置いてあるはずだ。
「私立だから制服もあったんだけどさすがに見せられないか……。この周辺によく行った場所や好きだった場所が多いんだ」
記憶に色濃く残る場所のため、学校を起点に選んだのである。
ヨルシャミは興味深げにグラウンドを見回した。
「ほほう、なるほど、ここで幼き頃のイオリが勉学に励んだというわけか」
「6年間だけだけどね。じゃあ外に――」
「中は見ないのか?」
目の前にある校舎を見たままヨルシャミがそう訊ねる。
思わぬ問いに伊織は目を数度瞬かせた。
「え、でもデートなのに学校とか……」
「いやいやイオリ、ヨルシャミが興味を持つのも致し方ないことだよ。愛しい相手が幼き頃に学んだ場所、こんなの気になって当たり前だろう? 僕も気になる!」
「こ、こやつはまた余計なことを」
ニルヴァーレの言葉にヨルシャミは咳払いをしつつ「まあ間違ってはいないが」と付け加える。
伊織はそっと校舎を見上げて考えた。懐かしい経年劣化した壁、大きな時計、屋上のタンク。ここからは見えないが奥の校舎と繋ぐ渡り廊下もある。
屋上にはタンクの他に校長の意向で取り付けられたソーラーパネルが並んでいるはずだ。
それらをまた目にしたい、と伊織も思った。
「……うん、よし、じゃあ無人の校舎探検だ!」
そう笑みを浮かべて伊織はヨルシャミとニルヴァーレの腕を引き、数年ぶりに訪れた校舎の中へと足を踏み入れた。
***
伊織の故郷、日本。
それはニルヴァーレにとって未知なる世界そのものだった。
まず建物の丈夫さに目を瞠る。ナレッジメカニクスの主要施設も相応の耐久度を持っていたが、ここは魔法無しで建築されたものだ。しかも目に映る建物のほとんどが一定の基準を満たしているのは驚きだった。
浄水の設備も当たり前のように一般市民に行き渡り、伊織曰く室温も調整可能だという。
ナレッジメカニクスは機械と魔法の融合で様々なことを可能にしてきたが、その片方だけでもここまでできるのかとニルヴァーレは素直に感動した。
長く生きても碌でもないことばかりだ。
美しいものさえあればよかったため、さほど気にはしていなかったがそう感じることもあった。
自分の故郷は千年経っても多少一般人の生活基準が上がったくらいだ。生活の知恵の蓄積は成されていたが、ここまでの発展はしていない。
そのため時をどれだけ重ねようが目を瞠るような変化は早々ない、とニルヴァーレは思っていたのだが。
「僕らの故郷もいつかは驚くような発展をして姿を変えるかもしれないね、ヨルシャミ」
小学校の屋上からフェンス越しに眼下を見下ろしながらニルヴァーレは言った。
技術や文化、その他諸々に興味を示していたのはヨルシャミもだ。忙しなく動かしていた視線をニルヴァーレの問いで止め、それは誰にもわからんな、と静かに答える。
「大きな発展はきっかけがなければ起こらないことが多い。少なくともうちの国は他所と喧嘩している余裕もないほど魔獣への対応に追われている。他国も似たものだ。故に戦争も起こらなければ交流も……あるにはあるが阻害されがちだ、満足な刺激ではあるまい」
それに便利な魔法が存在している。
便利さは時に進化を押し留めるもの。
魔法は人間には珍しいが魔石なら一部には流通しており、更には人間以外ならベルクエルフのように回復魔法を、そしてフォレストエルフのように魔法弓術を日常に取り入れているものも多い。
しかし大抵の者はそこから魔法を発展させたり新しい魔法を生むところまではいかないものだった。
一定の便利さを与えてくれるが、発展させるには才能が必要なのが魔法だ。
そんなものがあれば文明の成長も遅れるだろうな、とヨルシャミは笑った。
「まあ、もし魔法がなければ早い段階で魔獣に成すすべなく食い潰され乗っ取られていただろうが」
「状況が成長を許さないとは切ないね。こちらはこちらで魔法を発展させていく土壌を整えていけば別の成長も見込めるかもしれないが――べつに僕はそこまで望んじゃいないから、他の暇人に任せよう」
刺激なしの発展もあるかもしれない。
それが今までなかったのは、才覚ある者を裏でナレッジメカニクスが引き抜いていたからかもしれない。
つまり今後伊織たちがナレッジメカニクスを止められれば、自分の故郷もいくらか美しい世界になるかもしれないのだ。ニルヴァーレはそう夢想する。
ニルヴァーレは管理の行き届き規格の整った伊織の故郷を「わりと美しいね」と評価していた。そのように美しくなるなら歓迎だが――しかし、自分から熱心に整えようとは思わないのも本音だ。
そこでヨルシャミが鼻を鳴らす。
「ふん、せめてイオリのように裔を育てればよかったものを」
「美しくないものに教えるなんて全っ然わくわくしないだろ? 僕がここまで出来るのはイオリがイオリだからこそだ」
「ふむ。そういうところはお前の気味の悪いところではあるが、……」
ヨルシャミは腕組みをして少し離れた位置にいる伊織を見た。
目前に広がる景色をフェンス越しに金色の相貌で見つめている。元々この景色を映していた瞳がどんな色だったのかヨルシャミは知らない。
動かない視線は故郷の姿を目に焼き付けているかのようだった。
そんな伊織に聞こえないよう、小さな声でニルヴァーレに言う。
「……今なら昔ほど嫌いではない」
ニルヴァーレは心底驚いたように目を見開き、そしてすぐにそれを細めると「やっと僕の良さに気がついたか!」と笑った。
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