第239話 桜色

 校舎を探索した後は「屋上から見えて気になった」とヨルシャミが興味を示したコンビニに向かい、夏になると伊織がよく食べていたという安さが自慢のアイスを買って三人で道を歩いた。

 店にスタッフはいなかったが、伊織としては気になったためお金を作り出してレジに置いておいた。

 自己満足だと理解はしているが、この類の自己満足は大切にしておきたいと思ったのだ。


 前世では時折訪れていたゲームセンターにはクレーンゲームが立ち並んでおり、景品のラインナップを見るに伊織が一番長い時間滞在していた中学生の頃の店内を再現しているようだった。

 様々なゲームに挑戦してみたものの、景品をさほど上手く取れなかった辺り、夢の中でも手加減してもらえるわけではないらしい。

 それでもなんとかデフォルメされたウサギのマスコットを二つ取ると、伊織はそれをヨルシャミとニルヴァーレに手渡した。


「……何やらウサウミウシに似ているな?」

「色は黄色と緑だけどね。ええと、夢の中だけど……プレゼントってことで!」

「美しいというより可愛い部類だが、イオリからのプレゼントなら大切にしよう!」

「触り心地はなかなかのものだな。私も貰っておこう」


 二人の言葉に照れ笑いを浮かべつつ伊織はついつい時計を確認した。

 ゲームセンターに通っていた頃は――どうにも一人で家にいたくないな、という日が多かった記憶がある。静夏が入院し家に誰もいなかったためだ。

 それでも遅くなりすぎないようにこうしてよく時間を確認していた。

 ああ、その頃の癖が今も残っているのか、と伊織が納得したところでヨルシャミが同じくジッと時計を見ているのに気がついて首を傾げる。


「どうかしたか?」

「いや、あれなのだが……学び舎にもあったな。何なのだ?」


 伊織は目を瞬かせる。

 しかし、そうだ。ヨルシャミが生まれ育った世界には、基本的に機械による時計は一般流通していないのだと思い直した。

 伊織はアタフタしながら説明する。今まで当たり前に接していたものをまったく知らない相手に説明するのは存外難しい。


「ええと……時計だよ。たしか向こうにも日時計とかはあったよな?」

「あっ、僕は知ってるぞ。ナレッジメカニクスのラボとかでよく見かけた」

「と、時計まであったんですか」


 ニルヴァーレの言葉に伊織は驚いたが、あれだけ機械技術を発展させている組織なら時計くらいあってもおかしくないかと思い直す。


「日常でそこまで必要になることってないんだけどさ、実験する際にあると便利なんだってさ」

「あぁ、なるほど……」

「でも僕としてはさほど魅力は感じないな、大体『僕』の摂取間隔で測れるし」

「ぼ、ぼくの、せっしゅ?」


 ん? とニルヴァーレは首を傾げる。

 なんとなく『僕の摂取』が何を指すのか察したヨルシャミだけが先に耳を塞いだ。


「いやあ、あの頃はあまりにも周りに美しいものが少なくてさ、仕方ない……と言うには実用的だったけど、定期的に鏡で自分の顔を見てたんだ」

「わ、わあ……」

「まあ今はイオリとヨルシャミを摂取できてるから満足なんだけどね!」

「僕ら摂取されてるんですか!?」


 慌てつつも伊織は「あ、でも!」と付け加える。


「腕時計とか懐中時計ならニルヴァーレさんに似合うかも。ファッションにも取り入れられるんですよ」

「ふぅん? 文脈からして小型の物があるのか?」


 どうやらニルヴァーレがナレッジメカニクスでよく目にしていたのは、実用性の高い通常の掛け時計や正確に時間を計測する大掛かりなものばかりだったらしい。

 もちろんナレッジメカニクスの技術力なら小さいものもあっただろう。ニルヴァーレは他の幹部ほど実験や知識の追求に興味はなく、どちらかといえば戦闘要員として所属していたそうなので余計にだ。

 しかしニルヴァーレが知らないなら見せてみたいと伊織は二人の手を引いた。


「じゃあ次は時計屋さんに行ってみましょうか!」

「専門店まであるのか!?」


 驚いた声を上げたヨルシャミに伊織は笑って頷く。

「ヨルシャミにも似合う時計があると思うよ。ええと、その……」

 伊織は一瞬だけ迷った後、思い切ってそれを口にした。


「時計を贈るのは特別な意味があるんだ。これからも同じ時間を過ごしたい、って意味。……だからまた僕から二人に贈ってもいいかな?」


 ヨルシャミとニルヴァーレは顔を見合わせた後、断ると思うか? と声を合わせて言った。


「その代わり僕とヨルシャミからもイオリに贈りたいな」

「うむ、たとえ夢路魔法の中であっても……いや、そうだな、良いことを思いついたぞ」

 ヨルシャミはにやりと歯を覗かせて笑う。

 それは名案を思いついた顔だった。

「時計を贈ることに籠められた意味、それを契約とすることで物理的に贈ろうではないか」

「け、契約の証として作り出すってこと? 腕輪や指輪みたいに?」

「うむ。まあ本当の時計のように時は刻めぬがな」

「僕も契約に参加するからヨルシャミも同じものを持てるよ」

 それとも僕は参加しない方がいいか? とわざわざ訊ねるニルヴァーレにヨルシャミは肩を竦めた。


「それをイオリは望まないだろう。それに……まあ、今夜くらいはお前の我儘に付き合ってもいい」


 今夜だけだぞ、と念を押すとニルヴァーレは緩く笑みを浮かべた。

「珍しいこともあるものだね」

「イ、イオリにあてられただけだ。――さて」

 ヨルシャミは伊織を見る。

「さあ、嫌なら契約はやめておくが、どうす……」

「契約しよう!」

「食い気味だな!」

 だってこんな嬉しいことはないだろ、と伊織は心底嬉しそうな顔をして時計屋へと足早に向かった。



 時計屋で各々好きに時計を選んだ結果、伊織から二人への時計も、二人から伊織への時計も懐中時計と相成った。

 伊織がヨルシャミに選んだものはアラビア数字の入った文字盤の懐中時計で、蓋やリュウズ等が銅色をしたもの。チェーンはやや細いが丈夫な代物だ。

 蓋には双葉の意匠が凝らされており、長針と短針だけ緑色をしている。


 ニルヴァーレに選んだものは金色の蓋が透かし彫りになっており薔薇の意匠が付いたもの。

 文字盤の数字はローマ数字で、伊織だと随分と格好をつけて見えてしまうが、ニルヴァーレが持つと様になっていた。

 そして、ヨルシャミとニルヴァーレの二人が伊織に選んだもの。


「わ、こんな小さいのもあったんだ」

「ははは、ここはイオリの記憶から作られているのだ、それも一度は目にしているはずだぞ」

「さすがに視界の端に映っただけとかだったら覚えてないかな……!」


 それは大体500円玉と似たサイズの小さな懐中時計だった。もはやペンダントに近い。

 持ち運びしやすいようにという気遣いのある大きさのほか、特徴的なのはシルバーの蓋に彫られた月と文字盤に躍るウサギのシルエットだ。


「さっきイオリは僕たちにウサギをくれたからね、僕らも贈ろうじゃないかってことになったんだ。とはいえ少し可愛らしすぎるかな?」


 また選び直してもいいが、と言うニルヴァーレに伊織は首を横に振る。

 そして小さな懐中時計をぎゅっと胸に抱いた。自然と浮かんだ笑みと共に伊織は気持ちを口にする。


「いえ! これがいいです!」


 ヨルシャミは口元に笑みを浮かべると、それぞれの懐中時計に目を向けた。


「よし、ではこのイメージを元に契約を。……種族、生き方が随分と違う私たちだが――そんな些事に関わらず、これからも同じ時を歩むと約束しよう」

「僕も昔とは随分と変容してしまったが、案外この生き方も悪くないと思っている。今後も隣に君たちがいることを望み、僕も共にゆくと約束しよう」


 ヨルシャミとニルヴァーレの手元が煌めき、光の粒子が懐中時計を覆う。

 すると手の平の内側に隠れた懐中時計自体も光の粒に姿を変え、空間そのものに溶け消えた。

 だというのに――手を開くと懐中時計はそのまま残っている。伊織は不思議なものを見たように何度も目を瞬かせてそれを見下ろした。


「これで完了だ。……いやはや、しかし自分から言い出したこととはいえ、二重契約という大仰なものだというのに内容は曖昧という不思議な契約になったな」

「二回も契約するのって珍しいことなのか?」

「普通はもっと厳密に決めるんだよ、重要な契約を結ぶ時に使うことが多いね。まあ十分重要だと思うが」

「ニルヴァーレも交えてというのが実に奇妙奇天烈な感覚ではあるがな……!」


 あくまで私が契約したのはイオリだぞ、と念を押しつつヨルシャミは伊織を見る。


「さて、どうだ、イオリは他に行きたいところはあるか? ここは夢の中も同然、望めばどの季節にも変えられるぞ」

「わ、季節も弄れるのか。さすが夢路魔法の世界……」


 今は夏と秋の境目といった気候に感じるが、他の季節も選べるなら変えてみたい。

 そう思ったと同時に伊織はこの店の近くにある日本人には馴染みのある風景――桜並木を思い出した。

 花が散った後も落ち着く光景だったが、春の空気と共に見たピンク色の花弁が舞う光景は伊織にとっても素晴らしいものだった。陰鬱な気持ちになった時も心が慰められたものだ。


「……なら……二人に見せたいものがあるんだ、一緒に来てもらってもいいかな?」


 そわそわとしながらそう問うと、二人はもちろんだと頷いた。


     ***


 桃色の花に暗い色の幹。

 何度も何度も、故郷で過ごした春の回数だけ見た花の姿に伊織は目を細めながら歩いた。


 桜という木と花の説明、伊織たち転生者には馴染みがあるものだという説明を聞いたヨルシャミは「こちらではあまり見かけない花だな」と空を見上げるようにして桜に視線をやる。

 緑色と桜色の組み合わせがとても綺麗だ。

 桜の木の幹が黒に近い濃さを持っているのもコントラストをはっきりとさせ、景色の美しさを際立てている。

 するとニルヴァーレが機嫌良さげに足を進めながら言った。


「桜並木とやらは美しく、その中を歩く僕も美しい。いやはや君たちは役得だね、こんなに美しいものを見れるなんて!」

「また始まった……」

「やれやれって顔をするなよ、ヨルシャミ。この美しさがわからないなんて人生損してるんだぞ? もっと惜しく思った方が――」

「僕は美しいって思ってますよ」


 伊織の不思議そうな声に、ヨルシャミに詰め寄っていたニルヴァーレは足を止めた。

 ヨルシャミも綺麗だがニルヴァーレだって綺麗だ。そんな人物に対して『美しい』と言うなら首を縦に振れる、と伊織は思う。それ故の素直な感想だった。

 しかしニルヴァーレは肩を揺らして笑うとヨルシャミの肩を叩く。


「ほーら、イオリだってお世辞くらいは言えるんだ。ヨルシャミも……」

「え、あ、いや、だから思ってますって。お世辞じゃないです」


 伊織は慌てて言葉を重ねる。

 まさか自身の美しさを心から信じているニルヴァーレがすぐにこちらの賛辞を信じないとは思わなかった、という顔だ。


(もしかして……自分の美しさは信じてるけど、賛同された経験があまりない、のかな?)


 それはなんだか嫌だな、と伊織は思う。

 たしかに性格はぶっ飛んでいるが美しいことは事実のはずだ。

 そもそもこれまでも雑談でなんとなく口に出したことがあったが、もしやニルヴァーレは本気と受け取っていなかったのだろうか。

 それはそれで嫌だ、と伊織は重ねて思う。


「ニルヴァーレさんは美しいですよ」

「そ、そうだろうね。けど本当に君はそう思ってるのか?」


 再び疑われたことにより、伊織は心の中に湧いた使命感に似た感情に任せて口を開いた。


「ええ、鼻筋も整ってて綺麗だし背も高いし筋肉のつき方も無駄がないし、金色の髪だって綺麗ですし特に太陽に透かした時がとても印象に残ります。自分て理解してます? きらきら光って宝石みたいなんですよ」

「こ、言葉を尽くしてくれるじゃないか。……ん、ん? 待てイオリ、なぜ熱くなってるんだ」

「瞳もなんですかその綺麗な色の組み合わせ! 手も大きくて指が長いし……なんていうのかな……曲線美! しっかしりてるのに曲線美があって素敵です。爪の形も含めて! あとこないだ見ましたけどおへその形めちゃくちゃ整ってますよね!」

「ま、待て待て待て」

「足も――」

「ストップストップ!」


 ――伊織特有の褒め殺し癖だった。

 ここにきてそれに晒されたニルヴァーレは珍しく面食らった顔で反り返ったが、伊織は構わず続ける。

 如何に自分が嘘をついていないかを伝えるために。

 真摯に。

 真っ直ぐ。

 全身全霊をかけて。


「ニルヴァーレさんは会った時から今の今まで本当に綺麗です、これはお世辞じゃありません。ちゃんと信じてください! あなたは美しいですし、僕がそう思ってるのは嘘でもお世辞でもありません!」

「わ、わかった! わかったから! 疑ってすまなかった!」

「やはり人たらしだなイオリは……。なあニルヴァ――」


 からかい半分、助け舟半分にニルヴァーレに話しかけたヨルシャミは固まった。

 ニルヴァーレは手で口元を隠しつつ視線を彷徨わせ、何かに耐えるように眉根を寄せると小さく唸る。

 これだけ見ると深刻な地雷を踏み抜いたように見えるが、違う。確実に違う。なにせちらりと覗いた口元は緩み、そして明らかに顔が赤い。ついでに耳まで赤い。


 つまり褒め殺しで照れている。


 ニルヴァーレは普段は褒められてもここまで照れない。当たり前のこととして受け入れる。

 それ故にヨルシャミは今までこんな顔をするニルヴァーレを見たことがなかった。照れないナルシストである。


 ただしそんな彼が照れてしまう条件があったのだ。

 自身が美しいと認めたものに自分の美しさを認められること。

 そんな流れを真正面から物凄い熱量でぶつけられた。しかも世辞は一切混ざっていない。ヨルシャミは多少心の中で思っていようが褒めるために言葉にしたことはなかったため、もしかするとニルヴァーレにとっては初めてのことだったのかもしれなかった。

 自分が一番価値があると思っている『美しさ』を、自分が認めた人間に頭から足の先まで肯定されたのは。


「……」


 ヨルシャミはニルヴァーレが終始親に認められたがっていたことを知っている。

 その親ではないが、それに次ぐほど価値あるものに認められ肯定されたのなら――まあ照れくらいするか、とヨルシャミは思った。


「いや、しかし本気で人たらしだな、イオリは!」


 そして、やはりそう口に出さずにはいられなかったのだった。

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