第237話 その名はカーメリック!

 伊織は夢路魔法の世界でカレーライスを振る舞っていた。


 なんとも不可思議なシチュエーションだが、前に話していたことをようやく実現できて伊織はすっきりしている。

 今回は一番好きなチキンカレーを再現した。

 味覚がなくなって久しいが味はちゃんと再現できているだろうか。

 夢路魔法の中なら味も感じられるのだが、景色と違い他人とも同じものを共有できているのかはっきりとわからないため不安だ。伊織がそう気になって訊ねると、ヨルシャミはスプーンを握ったままもぐもぐと口を動かして飲み下してから言った。


「元を知らんのでな、故に感想を口頭で伝えてイオリに判断してもらいたい」

「……! 大歓迎だよ、どうかな? 辛さとか大丈夫?」

「うむ、まずこれは何種類もの香辛料を使っているようだな、少し人を選ぶが私は好きだぞ。辛さも唇が痺れる程ではないし丁度いい。……が、もう少し辛いものも気になるところであるな」

「辛さの段階も選べるぞ、もう少し辛いっていうと――これくらい?」


 伊織はヨルシャミの手を握り、許可を得る形でイメージを反映する。

 少し口内に刺激のある中辛にしてみるとヨルシャミはぱたぱたと両耳を動かした。


「ん、ん……おお! これはいい、好みだ!」


 ぱあ、と顔を輝かせてヨルシャミは美味しそうに咀嚼する。

 伊織はホッとしつつもニルヴァーレの様子が気になって窺い見た。

 カレーを出してから黙々と食べているのだ。普段騒がしい人物が大人しいと逆に不安になってしまうのは致し方ない現象である。


「ニルヴァーレさんはどうです? もしかして口に合わなかったりとかは」

「……ん? ああ、僕は口に合わなかったらここまで食べはしないよ。ちょっと記憶を探っててね、いやはや、一時期ほぼ普通の食事から遠ざかっていたから思い出すのに苦労してしまったが――」


 ニルヴァーレはぺろりと唇を舐めて言う。


「これ知ってるよ、カーメリックだ!」

「か、かーめりっく?」


 予想もしていなかった名称が飛び出し、伊織は復唱することしかできなかった。

 なんでもニルヴァーレが気紛れで西南の国に行った際、かなり狭い地域でのみだがカレーに似たカーメリックという料理が流行っていたのだという。もう数百年は前のことだそうだ。


「なんだったかなー……たしかイオリたちと同じ転生者考案の料理とか言ってたな。似た名前の材料か何かの代用品がなかなか見つからず苦労したから名称に組み込んだらしい」

「ええと、タ、ターメリック?」

「多分それかな……?」


 記憶が風化しているため詳しくは思い出せない、とニルヴァーレは首を傾げながら言った。

 しかしその直後に手を叩く。


「あ! けど逸話は思い出した!」

「逸話?」

「元にした料理……カレーだっけ? それをほぼ再現できてたが、まぁ……ここまでするくらいだから、その転生者はこだわりがあったみたいなんだよね。だから名称を同じにしなかったのも「カレーにあってカレーにあらず。よってカレーとは呼ばず別の名称とする!」みたいな感じだったらしい」

「わ、わー……本当にこだわってる……」


 こだわる気持ちはわかるよ、と深く執着する性質を持つ者としてニルヴァーレは頷いた。恐らくその転生者は喜ばないだろうが。

 いつの間にかぺろりと完食したヨルシャミが口元に笑みを浮かべる。


「しかし良かったではないか。現存しているかはわからないが、いつかそこへ行くことができればシズカに好物を食わせてやれるのだろう」

「うん、さすがにカレーはルウがないと作れなかったから……可能性があるだけでも嬉しい」


 シチュー等をベースにカレーと似たものは作れるだろうが、伊織は出来ることならこの懐かしい味に近いものを母親に食べさせてあげたかった。しかしスパイスを扱う知識が皆無だったのだ。

 もしカーメリックが現代にも残っているなら、スパイスの配合を教えてもらえるかもしれない。

 今の静夏なら食後の体調不良を心配せずおかわりをすることだって可能だろう。

 好物を食べてもその後数日間苦しんだり、果てはついに口にすることすら叶わなくなったあの頃とは違う。


(それに、今なら沢山の仲間と一緒に食卓を囲める)


 前世の静夏がカレーを食べることができていた頃は父も生きており、三人での食卓が多かった。

 父には仕事関連の食事会の誘いもあったようだが、静夏の体調の変化は急であることが多かったため、迷惑をかけるといけないからと断っていたらしい。

 顔もはっきりとは思い出せないほど記憶はおぼろげだが、三人でも楽しかった、とそんな雰囲気を伊織は覚えている。


 しかし、今の静夏を見ていると大勢での食事もとても楽しんでいる様子だ。

 それなら皆と一緒に食べてみたいと伊織は思う。


「……今、皆でカレーを食べれたら多分母さんも楽しいと思うんだ」

「ふは、イオリは本当に親思いだな。そのためにもさっさと不死鳥をなんとかして、舌を治す方法を探しにゆこう」


 ヨルシャミの言葉に伊織は頷く。

 主目的は世界の穴を探すことと魔獣退治。それはあてのない旅となるため、治療方法探しとカレーの件はサブの目的となる。

 最優先ではないが、こうしてはっきりとした目標ができると足が軽くなる気がした。



「――しかし紫色の炎でできた不死鳥か、一度見てみたかったなぁ」


 ニルヴァーレは使い終わった食器類をぱっと消しながら言った。

 彼が憑依すれば強力な戦闘要員になるが、デメリットも多い。しかも憑依した状態でまともな戦闘を行なったことがまだないのだ。

 大カラスの時は逃げるのを優先しており、バイクでのレースはまた別種の戦闘。温泉への入浴は論外である。

 加えて万一憑依状態のニルヴァーレが模範されれば大惨事、聖女VSニルヴァーレ戦を今度は伊織の外見で母親に行なわせることになってしまう。

 そのためニルヴァーレは戦闘に参加しない予定だった。


「まだ実物は見てないですけど、見た目は綺麗そうですもんね」

「そうそう。それに僕、紫色が好きなんだ」


 ニルヴァーレは庭園に植えていた紫色の薔薇を思い出す。

 自分で身に纏うものにはあまり使わず、観賞用として用いることが特に好きだった。今はもう枯れてしまっただろうが、手慰みにと直々に品種改良したものなので自力で元気にしているかもしれない。

 そんなことを考えつつ再び口を開く。


「ただの炎が不死鳥として認識されたのもいいよね。恐らく不死鳥は最初に出会った強いもの……鳥の魔獣を模し、それが二羽から生まれ落ちたように見えた。そして元は炎が本体であるが故に何度切っても死なずに再生する。――これで『紫色の不死鳥』の誕生だ」


 そして、それを不死鳥自身は認識していない。

 浪漫あるね、とニルヴァーレは笑った。


「そして僕としてはその後の不死鳥も気になるところなんだが」

「その後の不死鳥? ……討伐せずに進化を続けた結果、ですか」


 ぞっとすることを言うな、とヨルシャミがニルヴァーレを緩く睨みつける。


「ホーキンらをあそこまで深追いしたということは、鳥の魔獣の本来の特性は縄張りに入ったものを殺すまで追撃する類だったのだろう。しかし不死鳥はここに留まった。模しきれていない。そして人間を模すのも二体目は成功しなかった。つまり……」

「不死鳥は生まれた時はまだ未熟なんだろう」

「そう、狼頭を持つ雪女と同じような存在だったということだ」


 パーティー内で話し合った際にも出た話だ。未成熟、それはとどのつまり進化という伸びしろを残しているということでもある。

 性質までは模せなかった初回。

 細やかな部分まで模した二回目。

 もし熟した回数に由来せず、時間経過で育っていくパターンだとすれば今はどうなってしまっているのか。

 不死鳥は限られた範囲に留まるタイプのようだが、それすら進化で変わってしまうかもしれない。自発的に動き回り、その分強いものに出会い、それを高精度で模すようになれば手がつけられなくなる。


「自ら向かうのはその進化を促すことになるかもしれないが、放置も危険だ。少なくとも今は騎士団を退けるほどの存在になっているのだしな」

「……ああ、これから慌ただしくなるから今のうちに羽を伸ばせるだけ伸ばしてるのか」


 三泊する程度ならいいが、長い期間を要して計画を練ったり訓練するといったことはできない。

 今夜で二泊目。明日一日使って準備を整え、最後の一泊後にララコアを発って火山へと向かう。

 最終日はそう心に余裕を持つことも出来なくなっているだろう。今のうちに、という気持ちは皆が持っているものでもあった。


「ならさ!」


 ニルヴァーレがぱんっと手を叩く。

 そして輝くほどの笑みを浮かべて言った。


「今夜ここでデートでもしてったらどうだい?」


 伊織は無言になる。

 ヨルシャミも無言になる。

 ただ一人、ニルヴァーレだけが「時間の縛りもそんなにないし良案だろ?」と笑っていた。

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