第130話 速いことは良いことです

 ニルヴァーレの魔石を奪ったのと同一個体と思しき大カラスは森の上空を悠々と飛んでいた。

 たっぷりと肉――雛への餌を飲み込んだ影響で、そのスピードは普段よりもゆったりとしている。それでも人間の足で追いつくことは無理だと言い切れる速さだった。


 その下を引き離されないスピードで追う影が一つ。


 ただ一直線に追っているわけではない。木々などの障害物を巧みに避けながら大カラスを追跡している。それは伊織とネロがそれぞれ前後に跨った一台のバイクだった。

 前のめりになりハンドルをしっかり握っているのは左のみ。

 右には腕そのものを乗せてバランスを取っている。そんな体勢でも超技巧的な動きが出来るのはバイク自身が伊織の思考をすぐさま察して対応しているからだ。

 大木を避け、崖をジャンプし飛び越え、野生動物が飛び出してもウィリー状態で避けて再び走り出す。それをほとんど減速せずに行なっていた。

 背後のネロが息をのむ気配が伝わり、伊織は彼の乗り心地のことを考えていなかったと気づく。


「っすみませんネロさん、もしバイクから落ちそうになったらどこを掴んでもらってもいいので――」

「や……」

「や?」


 ネロは声を震わせて言った。


「やばいなこれ……! カッコ良すぎだろ、馬に乗るのに憧れたこともあるけど、何か、こう、次元が違うっていうか……別物の良さっていうか……こんなの初めて見るけど心に刺さるっていうか……!」

「ネロさんもわかります!?」


 熱の苦痛が一瞬吹き飛んだかのような勢いで伊織は声を弾ませた。

 前を見たままなので伊織の位置からネロの表情はわからないが、何度も頷いているのだけはわかる。


「召喚魔法ってこんなのも呼び出せるんだな、異世界の生き物ばっかりだと思ってたぞ!」

「こいつはちょっと特殊なんです、……一段落着いたら話したいことがあるんですけど、聞いてくれますか?」


 バイクのことを説明するなら一から伝えなくてはならない。

 ネロには知っていてほしい、と伊織は思った。彼が救世主を目指しているなら尚更だ。

 ネロは「もちろんだ」と頷き、そして前方を見て声を上げた。後ろから伸びたネロの手が指さした先に赤茶けた土で出来た塔のようなものがある。

 もちろん人間が作った塔ではない。

 何らかの理由で地中の赤土が盛り上がってそのまま細長い山になったような場所だった。常に風が当たって乾いているのか、他の場所より生えている植物が目に見えて少ない。

 大カラスはその天辺へと着陸する。


「あそこが巣……?」

「天敵を避けるために高くて見晴らしのいい場所に巣を構えるって聞いたことがある。あれだけ巨体でも雛の頃は普通の獣が捕食者になるからな」


 伊織はバイクを進めながらどうやって登ろうか考えた。

 短い時間なら研究施設での壁走りのように重力を無視できるが、あの距離は未知数だ。バイクも戸惑っている。

「……」

 メーターを確認すると残り十分も経たない内にバイクの魔力が切れることが見て取れた。

 無理な動きを何度もさせてきたからだろう、普段よりも減りが早い。


(徒歩で登りきるのは今の僕には無理だ。なら……むしろ魔力を使い切る勢いで行けるところまで行こうか)


 そんな考えに呼応してバイクがスピードを上げ、伊織は頷いた。

「……そうだな、よし」

「イオリ?」

「ネロさん」

 伊織は前方に障害物がないタイミングを狙ってネロを振り返った。その顔には笑顔が浮かんでいる。

 そして未知への挑戦に少し楽しみを見出したような、そんな声音で言った。


「――山羊の真似でもしてみましょうか」


     ***


 パトレアは苦悩していた。

 ヘルベールに託された任務。それを遂行すべく聖女マッシヴ様一行を尾行していたのだが、まさかのトンネルの崩落で一行がばらばらになってしまったのである。


 唯一村に戻った聖女とバルドという男を監視することにしたものの、彼女らはトンネルの瓦礫を退かさねば村人たちが困るからと、山側から突っ切って街へ向かうのではなく撤去作業の手伝いをし始めた。

 どうやら仲間が負傷し先に行っているらしく、長い間留まるつもりはないようだが――その空いた時間にパトレアは自慢の脚で周辺を駆け回り、そして川で水に流される聖女の息子を見つけてしまったのだ。


 ヘルベールが唯一血液サンプルを持ち帰った人物。


 つまり、もし何かわかれば真っ先に接触または捕えることになるかもしれない。

 しかも仲間とはぐれた今なら尚更だ。パトレアはそう思い「こちらを優先しよう」と聖女の息子に張りつくことにしたのだが、さてそれは正しい選択だったのだろうかと時間が経つにつれ不安が増していた。


(やはり最優先すべきは聖女だったのでは……!? しかしあの少年も救世主の一人、優先度はそう変わらないはず……いやしかし……)


 そう悩んでいる間に大カラスが彼らに接近したが、どうやら襲われずに済んだようだ。

 荷物か何かを奪われたようだが、命以上に大切なものなどあるまい。


 そう思っていたが、再びパトレアにとって想定外のことが起こった。

 聖女の息子と――村で何らかの勝負をしていたようだが、一行の仲間ではないと判断し個人のデータを取っていなかった赤髪の少年が必死になって何かを探し始めた。それが午前中のこと。

 午後もそれは続き、聖女の息子は負傷でもしたのか体調が良くないように見えるというのに歩き続けた。


(む、むむ、もし彼が死んだらどうするか指示されていない。対応に困るでありますな……)


 死体ごと持ち帰るか、それとも死ぬ前にこちらから手を出して助けるか。

 後者は難度が高い。しかし実験もそうだが、被験体が『生きていること』がとても大切な条件であることが多々ある。死は不可逆、なら必要なら殺せるという選択肢が残っている方がいいのでは。


 そんなことをつらつらと考えていた矢先。


「っ、な……!」

 聖女の息子が突如何かを召喚した。

 それはセトラスから聞いていた特殊な召喚獣だった。獣かどうかは怪しい。なにせ姿形があまりにも自分たちの用いる機械に似ている。

 それがまるで生きているかのように走り出した。

 パトレアが心底驚いたのはその召喚獣が現れたことよりも、召喚獣が走るスピードだ。


「なんでありますか……あの速さ、そして動き、こんなの何もかも……」


 ――自分より上なのではないか。


 そんな考えが過った瞬間、パトレアの心の中で爆ぜたのは嫉妬や悔しさよりも巨大な目標を見つけた時のような昂りだった。

 興奮した様子で馬耳を揺らし、機械の脚と生身の脚の接合面がむずつくのを感じる。結合が甘いわけではない。パトレアが昂った時に現れる感覚だ。

 早く速く走りたい、その表れだった。

(速い……速い、速い……! なんでありますか! あれは! あんな速さを見せられたら……)

 パトレアは木々の上を跳ねるように走りながら両目をきらきらと輝かせる。


「……競争したくなるではありませんか!」

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