第75話 ネロから見たイオリ
『忙しさ』とは何か?
そう問われたら「今という時そのものを答えとして差し出そう」と言っただろう。
今日も時間の感覚が曖昧になるほどの客入りだった。
どうやら最近旅人間の口コミでこの店の料理が話題になっているらしく、現在絶賛流行中ということらしい。
終わった後にバルドたちと話す体力を残しておかないと、と伊織は時折気合いを入れ直した。
それでも休憩時間はきちんと取らせてくれる辺り、店長の思考はとてもホワイトだ。
(今日はネロさんと休憩時間がズレちゃったか……)
昼下がりのブルーバレル、ピークが過ぎてもざわめく店内の気配をドアの向こうに感じながら伊織はクロケットサンドを齧っていた。昨日買ってきたものの余りを挟んだだけだが意外と美味しい。
これだけ時間が開くと前の話の続きを持ち出すのが難しく感じた。これはネロもそうかもしれない。
「っと、そろそろ休憩もおしまいか」
クロケットサンドを包んでいた紙をくしゃくしゃと丸め、手を洗ってから店内へと戻る。
すると入れ違いに休憩へ入るネロと擦れ違った。
「っあ、イオリ、4番テーブルの女性客の水、そろそろ無くなりそうだったから時々チェックしといてくれ」
「わかりました」
短く会話をしてホールへと戻る。途中、厨房で店長が忙しそうに調理しているのが見えた。店長以外の料理人もいるが、メインで取り仕切っているのは店長のため店内で一番忙しいのは確実に彼女だろう。
相変わらずところどころに空席があるだけでほとんどの席が埋まっているのが見える。
そんな光景を見つつ、伊織は「よし、やるか!」と密かに握り拳を作って一歩踏み出した。
見知った顔を見つけて仰天したのは、その直後のことである。
***
ネロは大きく伸びをして固くなった肩を解した。
ここまで長い間同じ場所で働いたのは久しぶりだ。いつもはもっと短い期間だったが、今回は纏まった旅費を稼がなくてはならないためネロにしては長く留まっているほうだった。
しかしそのおかげで良い店長に出会えたし、働き者の先輩や真面目な後輩もできた。今まで環境の悪い仕事場にもしょっちゅう当たっていたため、これはとてもラッキーな環境である。
(真面目な後輩か~……)
後輩ができるのも珍しい。
前述の通り短期間しか働くことがないため、似たタイミングで雇われた人間がいない限り『後輩』などという存在はなかなかできないのだ。伊織とは年も近いためどうにも恰好をつけて良いところを見せたくなる。
だが先輩風を吹かせすぎるのもネロとしては避けたいため、実際にそれを回避できているかどうかはさておき、自分と同等の存在として扱うよう心掛けていた。
(そういやあいつも旅をしてるって言ってたけど、どこから来たか訊いておけばよかったなぁ)
自分と違う方角から来たなら探し人について訊ねるのに適している。
先日ゆっくりと話してからなかなか纏まった会話の時間を取れないでいたが、伊織が辞めるまでに一度そういう場を設けてもいいかもしれない。向こうが快諾してくれれば、だが。
しかしなんとなくOKを出してくれる気がした。
(……親近感、自分で思ってるより持ってるってことなのかもしれないな)
我ながら単純だが、後輩に友人という関係をプラスしたような存在として見ているのかもしれない。
まともな友人などいたことがないため想像でしかないが。
「……」
何も下がっていない自分の腰を見下ろす。
今は手元にない大切なものがあった。それをもし持っていたなら今頃得ていたかもしれない仲間を想像する。
その中にもしかしたら伊織も含まれていたかも、などと想像して自分で笑ってしまったネロはそろそろ持ち場に戻るか、と制服の袖を正した。
ざわざわと混んでいる店内に戻ると、先ほどまでよりはほんの少し空いてきていた。
その影響だろうか、伊織がとあるテーブルの客と話している。
通常は私語厳禁だが客から話しかけられた場合は例外だ。仕事に支障が出ない程度に会話したり、料理についての質問などに答えてもいいことになっている。
丁度その隣の席が空いたため、清掃に向かうとふたりの会話が聞こえてきた。
「ふむ! 噂に違わぬ美味な料理だ、この間食べたものとはまた違った調理方法であるな」
「店長はかなりこだわってるみたいだから。……で、なんでわざわざ僕の仕事先に昼ご飯を食べにきたんだ? そもそも昼っていうにも遅い時間だし……」
どうやらふたりは知り合いらしい。
ネロには経験はないが、友人知人が仕事場に食べにくるシチュエーションというのは時折見かける。理由は応援だったり気兼ねないからだったり茶化すことが目的であったりと千差万別だ。
「情報収集に夢中になっていたらうっかり食べ損ねてな。そう思っていたら丁度ここの近くだった故、イオリの制服姿でも拝んでやろうと足を運んだわけだ」
随分と個性的な喋り方をする少女だ。
一体どんな子なのだろうと思わず興味本位で視線をやると、席についていたのはびっくりするほどの美少女だった。
長い耳はエルフ種であることを窺わせる。緑系で纏まった髪色と目の色も新緑を思わせる美しさだった。
そんな少女がロスウサギのハンバーグをダイナミックに頬張っているというギャップに呆然としていると、続けて伊織の声が聞こえた。
「要するに茶化しに来たのか」
少し呆れつつも諦めを含んだ親しい口調。
普段の真面目で真っ直ぐな敬語を使う伊織しか知らなかったため、こんな喋り方もできるのかとネロはカルチャーショックじみたものを感じた。
もしかしてこれが旅の仲間だろうか?
女の子、しかも美少女が仲間というのは年若い少年でもあるネロとしては少し羨ましい。否、かなり羨ましい。
しかしここで勝手に羨ましがっては先輩の風上にも置けない。ぐっと堪えていると少女が言った。
「何を言う。純粋に見たかっただけだぞ? 存外よく似合っているではないか、ロアーナレディスでも思ったがお前は服を着る才能がある」
「そういうこと言うのはヨルシャミだけだよ……」
ネロ目線から見ても似合っていると思うのだが、俺だってそう思うぞ! などと言いながら話に混ざったら不審に思われるだろうか。というか制服姿を見ている時間はこっちのほうが長いのだからもっと正確な判断を下せるのに、などと変な先輩風が心の中に吹く。
「とりあえず僕は仕事に戻るよ」
「うむ、……ここの料理も気に入った。後でシズカたちにも勧めるか」
「さすがに母親に来られるのは何か恥ずかしいからやめてくれ……!」
去りかけるも、ヨルシャミという名の少女の呟きを拾ったらしい伊織は慌てて釘を刺した。
(母親……家族ぐるみで美少女と旅してる、だと……!?)
ヨルシャミとは親公認の何だか羨ましい関係だったりするのだろうか。だってあれだけ親しいのだ。
そんな想像をしたネロは結局勝手に羨ましがることになった。
「……あっ、ネロさん。おしぼりの替えってどこにしまってありましたっけ?」
そんな如何ともし難い心情に悶えているところに伊織が駆け寄ってきてそう訊ねる。
せめてもう数十秒そっとしておいてほしかった。
「イオリ……お前は敵だ……!」
「ん!? 僕何かしました!?」
「あとおしぼりの替えは突き当りの二番目の戸棚だ……!」
「よ、よくわからないけど教えてはくれるんですね!?」
ありがとうございます、と律儀にもお礼を言って去っていく伊織の背中を見送り、ネロは伊織の代わりに自分の頭をごつんと殴った。
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