第76話 物好き聖女のお誘い

 病院の裏手には患者の憩いの場として木々の多い公園が作られていた。

 普段は子供たちが遊び回っているが、今はまだ朝早いせいか人の気配が薄い。

 そんな公園内の道をゆっくりと歩いていた静夏は、木陰のベンチに座っている男性――ホーキンに気がつくとそちらへと足を向けた。


「おはよう、ホーキン」

「……ああ、物好きな聖女か」


 救われた自覚はあるがどうにも慣れ合いたくない。

 そんな心境からか挨拶は返さないものの、無視はせずホーキンは顔を上げた。

「医者からこちらに向かったと聞いてな。……少し話をしてもいいか」

「嫌だと言っても頷くまで居座るんだろ」

 頭を掻きながらホーキンは「なんだ、言ってみろ」と静夏を見る。

「ジェス、リリアナ、リバートはこの街でやり直す明確な意思を見せている。ホーキン、お前は今どのように考えている?」

「どのように、か」

「この街でやり直す他の道。それを歩みたいのならば選ぶのはホーキンだ。悪の道ならば止めるが、そうでなければ応援しよう。……もちろん、まだ決まっていない、だからそれを探したい、という選択肢でもいい。今どう考えているか……それを教えてはくれまいか」

 ふん、とホーキンは鼻で笑ってベンチの上で足を組んだ。


「何をどう考えようが俺は変われない。生まれてから今までずっと他人から奪いながら生きてきた一族だぞ、若い奴らならともかく俺が簡単に変われると思うか」

「ふむ、教えてくれてありがとう」


 嫌味のように言ったというのに、素直にお礼を言われたホーキンは押し黙った。

 素直すぎる礼は煽りにもなりかねないものだが、言ったのがこの聖女ともなると本心からだと読心術がなくとも伝わってくるため怒りが湧いてこずやりづらい。


「自分は変われない。これは変わることができるか試してみた者が口にすべきものだ。ホーキン、お前もきっと今まで様々なことを試し、苦労してきたのだろう。……しかしこの街で、ロストーネッドで試みたことはまだないはず。今一度試してはみないか」


 その手伝いのためならば惜しみなく手を貸そう。

 そう言って静夏は片手を差し出す。

 ホーキンは善人が苦手だった。鼻につく、というのもあるが根本から自分と違うのだと、そして自分と違う善人のほうがコミュニティの中では生きやすいのだと見せつけられているかのようで見ていられないのだ。


 しかしそんな善人から力強く、何の裏もなく手を差し伸べられたのは初めての経験だった。


「……」

 この街に馴染めるかどうか試したことはない。経験則では「無理だ」と判断している。

 だが人から手を差し伸べられるという予想外の『初めて』を経験してしまった。

(こんな経験がまだ残ってるっていうのか? こんな俺にも?)

 年若い者より犯罪の世界に染まりすぎて後戻りができなくなった人間。

 その環境は元来の性格との相性も良く、集落の暮らしは集落の暮らしで苦ではなかった。

 それが自分だ。そう思っていた。

 ホーキンは黙ったまま静夏を見上げ直し、そしてゆっくりと手を取る。


「……まあ、怪我が完治して裁きを受けるまで暇だからな。暇潰しがてら付き合ってやる」

「感謝する」

「で? 聖女様は一体どうやって俺が変われるか確かめようっていうんだ?」

「ふむ、ではまずは――」


 静夏は眩しいほどの笑顔で言った。


「街の皆々とマッスル体操をしよう」

「……は?」



 マッスル体操は筋肉を讃えるために行なう体操で、ムキムキという擬音が聞こえてきそうなほどのポージングをキメにキメる。とにかくキメる。

 行なう者は別に筋肉自慢のマッスルでなくてもいい。信心があれば問題なし――というのが通説だが、筋肉の神に遣わされた聖女などという肩書きを持つ静夏は「皆とできるだけで嬉しい」という考えらしく、筋肉への信仰心は気にしていないようだった。

 つまり隔絶された場所で生まれ育ったため筋肉信仰に疎いホーキンたちが参加してもいい。いいのだが。

「これを俺にやれと……!?」

 本人が「いい」と判断するかどうかは、また別の話だった。


 街の広場で行われたマッスル体操。

 ホーキン以外の参加者は静夏、静夏が声をかけた街の人間たち、恐らく監視も兼ねている協会の男性陣、そしてジェス、リリアナ、リバートの三人。


 なかなかに凄まじい光景だ。基本的に体操中は声を出さないため余計に。

 だがそんな掟知ったことかと言わんばかりにホーキンはジェスたちに話しかけた。

「お前ら、見かけないと思ってたらこんなことしてたのか……」

「最初は僕たちもそういう顔してたけど、うん、慣れたら目も覚めるし良い運動になるぞ」

「そりゃ目は覚めるだろうな」

「ホーキンさんもやってみたら? シズカに誘われたんでしょ?」

 筋肉のきの字も縁がないほど細いリリアナすらポーズを取っている。

 なんだこれは新手の悪夢か、と思っているといつの間にか足元にいた小さな女の子がホーキンの袖を引いた。


「おじちゃん、いっしょにやろ?」

「……」

「やりかたわかんなかったら、おしえたげる!」


 こう! とホーキンの腕の半分もない右腕を曲げ、立派なサイドチェストをキメながら女の子はにこにこと笑う。

 やっぱり新手の悪夢かもしれない。

 そう思いながら、女の子が更に他のポーズも教えようとしたのを見て、ホーキンも渋々マッスル体操に加わったのだった。

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