ハプニング発生 ③

 中央病院に着いて産婦人科で診察を受けた後、レナはすぐに病室に案内された。

 仕事柄、夫婦共に世間で顔が知られている事から、レナは3階にある個室を使う事になった。

 人見知りのレナは知らない人と同じ部屋になる心配をせずに済んだとホッとした反面、話し相手もいない個室で何週間も過ごすのかと、少し寂しい気もした。


 ユウは入院手続きの書類と、病院案内や入院に必要な物を書いたパンフレットをもらって、レナの入院準備をするために一度帰宅した。

 ボストンバッグにレナの衣類や洗面道具などを詰め込みながら、事務所に電話を掛けると、珍しく社長が応対した。

 今日はテレビの歌番組に出演するため、お昼過ぎにマネージャーが自宅まで迎えに来る事になっていたが、レナが入院する事になったので直接テレビ局に向かうと言うと、社長は驚いた様子で、心配そうにしていた。

 事務所との電話を切った後、ユウはレナの母親のリサと、自分の母親の直子にも電話を掛けてレナの状態と入院を知らせた。


(入院か……大変な事になったな……)


 ユウは入院手続きの書類に記入を済ませ、荷物を手に再び車で中央病院へ向かった。

 ユウが入院準備の荷物を持って病室に足を踏み入れた時、レナは子宮の収縮の様子を調べるモニター機器のパッドをお腹につけられて、ベッドに横たわっていた。


「レナ、荷物持ってきたよ」

「ありがと……」


 ユウはバッグからタオルやパジャマなどを取り出してロッカーにしまう。


「ごめんね」

「謝る事なんかないって。そう言えば、結婚する前にオレが事故にあって入院してた時、レナいつも奥さんみたいに身の回りの世話してくれたよな」


 ユウはレナを不安にさせまいと、なんともなさそうな顔をして笑う。


「できるだけ顔出すようにするからさ。とにかくなんにも考えないでのんびりしてな」


 バッグから取り出した音楽プレイヤーを枕元に置いて、ユウは優しくレナの頭を撫でた。


「安静って、ずっと横になってなきゃいけないんだって。座ってると腹圧がかかるから」

「そっか……それは退屈だな。テレビカードとイヤホン、後で売店に行って買ってくるよ」


 荷物の片付けを終えたユウは、テレビカードとイヤホンを買うために売店へ足を運んだ。

 できれば四六時中でもレナのそばについていてやりたいが、そういうわけにもいかない。

 医師の話では、入院生活は妊娠37週目に入る頃まで続くと言う。

 苦手な病院のベッドで、長い時間をひとり横になって過ごさなければいけないレナの気が少しでも紛れたらと、パズル雑誌とペンも買う事にした。

 それからしばらくレナのそばについていたユウが、仕事に行くためイスから立ち上がった。


「ホントはずっといられたらいいんだけど……もうそろそろ行くよ」

「うん……」


 レナは少し寂しそうにうなずいた。


「今日の歌番組、8時から生放送だから。疲れてなかったらテレビで観てて」

「わかった……。ありがと、ユウ」


 ユウはレナの唇にそっとキスをして、優しく頭を撫でてから病室を後にした。



 ユウが仕事に行ってひとりになると、レナは小さくため息をついた。

 さっき別れたばかりなのに、ユウがそばにいない事を、もう寂しく思ってしまう。


(今日からしばらく、ユウと離ればなれか……。4週間も離れるの、ユウが事故にあって入院してた時以来かな……)


 病室の中ではもちろん携帯電話を使う事はできないし、携帯電話の使用可能なスペースに行きたくても医師から安静の指示が出ているので、院内を歩き回る事もできない。


(電話もメールもできない……。寂しいな……)


 レナはしばらくぼんやりと窓の外を眺めた後、病室の白い天井を見上げた。

 見慣れない病室の天井はとても無機質で、ユウと二人で住み慣れたマンションが途端に恋しくなる。

 それでもとにかく今は赤ちゃんのために、医師に言われた通り横になっているしかない。


(私は無理したつもりはなくても、赤ちゃんには負担をかけていたんだな……)



 それからレナは、ユウが持ってきてくれた音楽プレイヤーで『ALISON』の曲を聴きながら、目を閉じていた。

 大好きなユウのギターの音色を聴いていると、ほんの少し不安が和らぐような気がした。

 相変わらずお腹の張りは治まらない。

 様子を見に来た看護師が、レナのお腹に触れてから、微かに顔をしかめた。


(なんだろう……)


 レナが不安に思っていると、看護師は顔を上げて笑みを浮かべた。


「片桐さん、張り止めのお薬が出てますから、後で持ってきます。食後に忘れず飲んで下さいね」

「わかりました」



 しばらくすると夕食の時間になり、配膳スタッフがベッドまで夕食の乗ったトレイを運んでテーブルに置いてくれた。


(病院の夕食は6時か……。早いな……)


 いつもより随分早い夕食。

 ずっと横になっていた事もあり、食欲がわかない。

 それでも食べられるだけは食べようと、レナは妊婦用に薄めの味つけの料理を口に運んだ。


(ユウ……私がいない間の食事、大丈夫かな……。外食ばっかりになるのかも……)


 そう言えば、冷蔵庫の中の食材の事を忘れていた。

 おととい買い物に行って、あれこれ買い込んで来たものの、昨日はハヤテの結婚式で外出していたので、買って来た食材はほぼ手付かずのままだった。


(次にユウが来た時に言っておかないと……)


 レナはそんな些細な事を考えながら、キュウリとしらすの酢の物を口に入れた。

 ただでさえひとりの食事は味気ないのに、病院のベッドの上でひとりで食べる食事は尚更だ。


(もう食べたくないな……)


 3分の1ほど残して食事を終え、薬を飲んで、再びベッドに横になった。

 しばらくは何もせずぼんやりとしていたレナだが、あまりに退屈なので、ユウが買ってきてくれたパズル雑誌を手に取ってめくってみた。


(どうせ他にやることないし……やってみようかな……)


 レナはクロスワードパズルのページを開き、ペンで答を書いてマスを埋める。

 普段こういったパズルはあまりやったことがなかったけれど、やり始めてみるとなかなか面白い。


(頭も使うし、いい暇潰しになるな……)


 レナはしばらく黙々とクロスワードパズルを解いた後、時計を見た。

 間もなく8時になろうとしている。

 ただ黙って横になっているだけより、時間が過ぎるのが早く感じた。


(もうすぐユウの出る歌番組が始まる……!)


 レナはイヤホンを用意して、テレビをつけた。

 ほどなくしてユウの出演する歌番組が始まり、ユウたちが登場すると、レナは食い入るようにテレビ画面に釘付けになった。


(ユウ、やっぱりカッコいい……!)


 他のアーティストがトークをしている時も、レナは後方の雛壇に座るユウの姿を目で追う。

 雛壇の端に座っているユウは時折、隣に座っているベースのリュウと言葉を交わしているようだ。


(何話してるんだろう……。カメラ遠すぎてよくわからないな……)


 いつも一緒にいるユウをテレビで見るのは、付き合うようになってから2年半近く経った今でも、まだ不思議な気分だ。

 レナと二人でいる時とはまた違うユウの表情を見ながら、レナはため息をついた。


(この人が、私の夫なんだなぁ……)



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