1章 ~御千度参り~

1話 呼び声は何処から?

 その日の夜は、特に蒸し暑いわけではなかった。

 夏にはまだ早く、梅雨にも少し早い。それにも関わらず、部屋は何故か蒸し暑かった。


「……くっ、何でだ? なんでこんなにムシムシするんだ? 良く分からない……」


 自宅のマンションへと帰り、自分の働いている場所がとんでもないことになっていると知り、連絡先を交換した職員に、直ぐ様連絡を入れてみたが、一向に返事が無く、電話をしてみても繋がらなかったのだ。


 もう夜になっていたので、とにかく明日はいつも通りに職場に行ってみようと、早々に床に付いた瞬間、これである。


「……寝られない」


 時間はただただ過ぎていく。


 ふと、今日貰ったあの丸石の事を思い出し、嫌な予感がした彼は、鞄からそれを取り出した。


 何故か淡く光るその石を見ると、少し心が落ち着いてきた。


「…………えっ?」


 だが次の瞬間、耳に聞きなれない声が聞こえてくる。

 この部屋には誰もいないはず。隣の部屋の人かと、耳を澄ましてみるが、どうもこの部屋からである。


「ヤバイヤバイ……」


 言葉を拾うことも出来ないくらい、か細い声。しかも大勢だ。


『どこだ……』


『どこだ……』


 何かを探しているかのような声に、彼は心底恐怖した。このマンションがこの部屋が、事故物件なんて聞いていない。だから、こんな事が起こるなんて思ってもみなかった。

 ということは、自分の今までの行動に何かあるのかと、そう考えてみるが、思い当たる節はあまりなかった。


『お前も、お百度参りを……』


『いいえ、あの庄屋に対して、いえ……大名に対して――』


『『『『お千度参りを』』』』


 お百度参りという言葉、庄屋、大名……そのような言葉が聞こえてくる度、この霊は相当古いものだというのが分かった。つまり、彼等は自分にも同じことをさせようと、探しているのだ。しかし見つからないのか、ひたすら同じところをウロウロしていそうだった。


 ちなみに――


「体は動かないか……こんなの初めてだぞ……くそ」


 金縛りで動けなかった。だから、その者達の声を、ただ聞いているだけしか出来ない。連れ去られたらどうしたものか……。

 そう考えながらも、彼は京華に貰った丸石をぎゅっと握りしめた。


 横になっていなくても金縛りになるとか、ハッキリ言って、異常だったのだ。


 とにかく彼は、いつか彼等が諦めてくれることを、ただひたすらに願うしかなかった。


『そこか……しかし、見えない。見えないぞぉぉ』


『いや、待て……こやつ、この気配……なんと「舌」の名を持つ者だ』


『何……? それでは連れていけないではないか……』


 ただただ息を殺し、声を潜めるしかない。それでも、こいつらは何処かに去っていきそうな雰囲気である。


『仕方あるまい……こいつらだけで――』


『あぁ、参ろうか』


 その後、声は聞こえなくなった。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。あれから一睡も出来なかった彼は、眠気覚ましにエナジードリンクを流し込み、バイクを運転して職場に向かった。


「くっそ……なんだったんだ、あれは……」


 今日が早出じゃなかったのが幸いだ。それでも、午前中の出勤なので、正直キツいのだが、そうも言ってられない。代わりがいないのだから。


 だが、職場に着いた彼は、恐らくそのまま帰って寝られるんじゃないかと感じた。


「……マジか」


 なんと職場に規制線が張られ、パトカーやらマスコミが集まっていたのだ。

 このまま向かうと、唯一連絡の取れた職員として、質問攻めに合ってしまう。いや、警察に身柄を押さえられるか、下手したら冤罪を吹っ掛けられら可能性も――等、余計な事が頭に浮かんだ所で、彼はその場でUターンをし、そこから離れた。


「本当に、俺の職場で事件が起きたのか。あの利用者達も、職員も……皆」


 そう思うと、何やら背筋にゾッとするものを感じた。


 昨夜のアレは、この事件と何か関係があったのか……。


 実は彼の職場に向かうには、公園の中を通って行かなければならなくて、その公園の前からバイクを押すことになる。

 暖かい時期になってきた為、少し汗ばみながら、彼はバイクを押す。すると――


「やぁ、君。すまないが、少し良いか?」


 途中で呼び止められてしまった。


 流石にあの場で静かに去るのは、逆に目立ってしまったかと、彼がゆっくりと声の方を向くと、その背後には、サングラスをかけた男性と、鋭い目付きの女性が立っていた。


「な、なんでしょうか? 私は別に――」


「あぁ、あそこの職員だろうと何だろうと関係ないよ。君、見過ごされただろう? あいつらに」


「な、なんの事でしょう……」


 グラサンをかけた男性が、意味深な事を言ってくる。

 その容姿は、スーツ姿ではあるものの、かなり乱暴に着崩していて、ネクタイは着けておらず、ツーブロックでソフトモヒカン、真ん中だけ金色に染めていて、そこそこ怖い雰囲気を持っていた。


「ん~誤魔化したって――」


「誤魔化しても無駄ですよ。私達には分かるので」


「玲衣ちゃん玲衣ちゃん。今、俺が言ってるんだけどなぁ~」


 そんな男性を遮るように、女性の方が怖そうな口調で言ってきた。

 キリッとした表情、スラッとした身体付き、日本人ではあり得ないような、薄いブルーのストレートロング、スーツ姿もキッチリと決まっていて、スタイルの良さも相まって、物凄く似合っている。そこらの女性では敵わない程、女性の方は美人であった。


 正直、この2人から逃げる術は、ないかもしれない。何か言っても、言い返されそうである。見た感じでは、警察官ではない。しかし、次に彼等の取ってきた行動で、彼の動悸は一気に加速した。


「一応、これを見せた方が話聞いてくれるかな? って玲衣ちゃん、その携えている日本刀は仕舞おうか」


「威嚇。即ち隷属」


「いやいや、ならないならない。ビビってションベン散らすから」


 警察手帳と、何故かの日本刀であった。しかも抜刀しかけていた。明らかに違法である。


「難しい……」


「難しくない。俺の言うとおりに、ね?」


 しかし、どうもおかしな2人である。警察手帳も、ここ最近は偽物を作って詐欺を働く手口がある。


「その警察手帳――」


「残念、本物だよ。名前と所属も言おうか? そのあとに、警察署に連絡をして貰ったら良い」


 彼がその2人に向かって言おうとした瞬間、男性の方が警察手帳を開き、中の写真等も見せてきた。

 これはもう、殆どと言って良いほど、間違いないのかもしれない。


「…………」


「あ~まぁ、警戒するのは仕方ない。この場所でも構わない、君が経験した事を話してくれないかい? 昨夜、君は何を見た?」


「うっ……いや、その――」


「話した方が良いと思うよ。君、ロックオンされているからね。下舌勇我しもしたゆうが君」


 更には、彼の名前まで告げてくる。どうもこの2人は、何かを知っていそうであった。そう、あったのだが――


「……やっぱり、怪しい人達に個人情報を握られているような気がするので、今日は失礼します」


 後ろで日本刀を眺めている彼女に恐怖を感じ、彼はそそくさとその場を後にした。


「えっ? あっ?! ちょっと玲衣君! 駄目だってば!!」


「美麗……素晴らしい。これでスパッと――」


「スパッと斬るのは勘弁してくれるかな!! ターゲットに逃げられたから!」


「なに? では追いかけて、足を――」


「斬らなくて良い! あ~もう、何で君みたいなのがパートナー何だろうなぁ~!!」


 ある程度距離を取ったところで、彼はバイクに股がり、そのままエンジンをかけて走り出した。後ろの方で、何だか良く分からない漫才をやっている2人は放っておいて。


 とはいえ、また自分の前に現れたら、今度はちゃんと警察署に連絡して、彼等を連れていって貰おう。そう彼は決心した。


「あ、そういえば。京華さんは何か知っていたのかな……」


 そしてふと、昨夜にあった事で、もうひとつ思い出した事があった。


 あの翡翠色の丸石である。


 あの現象が起きてから、アレは輝きだし、彼に安心感を与えていた。それに、何か暖かい力も溢れていた。

 そうなると、彼女は知っていた事になる。昨夜起きた、あの恐怖の出来事を。


「彼女にも聞いてみるか……って、あっ! 俺、明日から仕事どうなるんだ? 待て待て、給料は? 家賃とか生活費は?! マジか……ヤッバイ、また仕事探さないと……」


 そして先の事を考えた瞬間、彼はブルーになってしまった。

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