4話 憩いの場所

 ここ一週間程、彼は商店街へと向かっていなかった。


 というのも、色々と忙しかったのである。人が一人辞めてしまい、シフトが厳しい状態になっていたのだ。


「あ~もう、なんでこんな事に……夜勤のあとに、あのシフトの入れ方は鬼でしょう。お陰で疲労が取れない……」


 ブツブツと不満を言うが、どうやら疲れて遊びにも行けない程になっていたらしい。

 そのせいで、この商店街に来られなかったのだが、やっぱりストレスを解消しないといけないと、ひょっこりとやって来たのだ。


「ん~なんであの人と話していると、こう……心が落ち着くんだろう」


 あの女性の放つ不思議な雰囲気に惹かれ、一週間会ってないだけでも、既に堪らなく会いたくなっていた。

 しかし、恋煩いかと言われると、何だか違う。そんな不思議な感覚を彼は抱いていた。


「あぁ、着い――た?」


 電車で二駅、そこから少し歩くと着くその商店街が、何故か何ヵ月ぶりかに感じた……が、目の前に広がる奇行に、彼は眉根を寄せた。


「おい、またかい!?」


「す、すいません、お嬢!」


「やっぱりどんな物を使っても、この結界が壊せません!!」


 ホストの男性が2人、例の京華という女性の指示の下、金棒のようなものを突き出している。

 しかも、商店街のアーケードの外に向かって、何もない場所に向かってだ。


「????」


 当然彼の頭の中は、大量の疑問符が散りばめられている。

 しかも、京華の口ぶりが少しおかしい。普段の穏やかな口調ではなく、何だか荒々しいのだ。


 しかし、ここで面食らっているままではいけないと思い、彼は思い切って声をかけてみた。


「あの……京華さん。いったい何を?」


「へ?――――っ!!!! 良し、2人とも。次はシーン13、脱出を相談するシーンだ!」


「「はい?!」」


 何だか一瞬、声にならない悲鳴と、驚愕の表情をしたと思ったら、突然そんな事を言い出した。

 だがその2人も、いったいなんの事やらといった顔をしている。ただ、彼の姿を見た瞬間、何かを察したのか、直ぐさま京華に話を合わし始めた。否、合わせざるを得なかったのか……彼等は痛みに顔を歪ませている。


「あ、あぁ~了解です!」


「あのシーンの、脱出の相談ですね! それでは、向こうに戻りましょう!」


「うんうん。あぁ、君。久しぶりだね~忙しかったのかい? 休憩にするから、お茶でも用意するよ」


「はぁ……」


 3人の行動に、これはあまり詮索しない方が良いのだろうか。と、彼は思ってしまった。


 ◇ ◇ ◇


「いやぁ、すまないねぇ。ちょっと、この商店街のPR動画をと思ってね。ただ、白熱し過ぎて変な事になっちゃったよ」


「あ~そうなんですねぇ……」


 どう白熱したら、この商店街から脱出……なんてものになるのだろうか。

 奥に引っ込んでいる、ホストの男性2人からも「いや、それは無理が……」と呟いている。ついでに、お尻もさすっていて痛そうだ。


「あの2人は気にしないで良いよ。ここの商品の小道具なんかを、たまに発注してくる劇団の人だ」


 2人のことはお客様か何かだと思っていたが、聞かなくても勝手に答えてくる。何だか、今日の彼女は様子がおかしい。


「どうしたんですか? 京華さん」


「んん? どうもこうもないよ。それより、君もここ最近見なかったが、大丈夫だったのかい?」


「え? あぁ、はい……ちょっと、1人辞めてしまって、色々と大変だったんです」


「そうかそうか」


 机の上に置かれたお茶を飲みながら、彼女と近況を話していく。


 行方不明事件は、一旦ピタリと止んだ事。


 利用者が次々と、体調不良になっている事。


 ここ最近の休日は、家からも出ずに、ひたすらに寝こけていた事。


 本当に、とりとめのない事だった……が。


「その辞めた人、本当にちゃんとした理由があって辞めたのかい?」


 突然京華が、そんな事を口にした。


「え? いや、辞めた理由は聞いていないし、それは聞かないのが社会のルールというか、よっぽど本人から話さない限りは、辞めた理由までは……」


「なんだいそれは……それとね、君も来週辺り、体調不良で倒れるよ。ちょっと待ってて」


 そう言うと、京華は立ち上がって店の奥へと向かう。途中、何ともいえない表情でこちらを伺っていた、ホストの男性2人の脛を小突いて。


「ぐっ――――!!!!」


「ひぎっ――――!!!!」


 脛を小突かれただけのはずが、2人はその場に倒れ込んで悶絶し始めた。よっぽど綺麗にヒットしたのだろうか。


「お待たせ」


「おっ――――!!」


「ぐぅ――――!!」


 あの2人がお客なのだとしたら、そんな扱いをしても良いのだろうか。小突いたり、今みたいに踏んづけたりと。当然、彼は不思議に思って聞いてみた。


「あの……そのお2人がお客なら、そんな乱暴はしたらダメなはずですが……俺も、接客はしたことはあるので」


「あ~~いや、あの2人からのお願いでね。2人はドMらしくて、ボクに何だかそういうものを感じたのか、あんな風に弄ってくれと、懇願されまくったのさ。ボクとしてはやりたくないが、そうしないとここのは買わないとまで言われたらねぇ」


「えぇ~それって、商売として成り立ってるんですか?」


「まぁまぁ、ここはそんな変わったお客が多いし、人通りも少ないからね」


 そして京華は、机の上に今持ってきたものを置き、彼に見せてきた。


 それは翡翠色をした、小さな丸石だった。


「……これは?」


「ん、君の身を守ってくれるお守りさ。これ、しばらく肌身離さずに持っておきなよ」


「だけど、商品なんじゃ……」


 店の奥から持ってきたということは、少なからずこれも商品なのだろうと、彼は思った。しかし京華は、少し真剣な表情になって、彼に詰め寄ってくる。


「良いから、持っておくんだ。ボクだってね、唯一の憩いの時間が無くなるのは、嫌なんだよ。良いかい、これから君の身に何があっても、ボクとの時間をもっと過ごしたいと、そう願ってさえくれれば、君は大丈夫だから」


 そして、ぎゅっと彼の手を握りしめ、その翡翠色の丸石を握りしめさせた。


「あ、は、はい。分かりました」


 京華は容姿端麗で、幼い姿をしていても、その表情はどこか大人びていて、彼も思わず戸惑ってしまった。

 それに気づいたのか、またいつもの顔に戻った京華は、彼の様子を見てニヤリと笑みを浮かべる。


「んん、なんだい? ボクにときめいたかい?」


「え?! いや、そんな訳じゃ――」


「なんだい、ちょっとはときめきなよ。こう見えてボクは、美少女なんだぞ? そんな人に迫られたら、思わずときめいてしまうのはしょうがない事なんだ」


「自分で美少女って言いますか? しかもこの前は、立派に成人している女性だって、怒っていたじゃないですか?」


「へ? あっ!! いや、別に子供扱いされたくはないだけで、美少女は美少女の方が可愛いって意味があって、ボクとしてはそっちの方が……んぁぁ~! ちょっと待って!」


 彼の思わぬ攻撃に、京華が慌てふためいている。その姿は、さっきまでの大人びた様子とはかけ離れていて、まるで歳の離れた妹のような、そんな感じまでしてくる。

 彼女の、接客としての態度とは違う、その意外な一面を見た彼は、思わず笑みがこぼれ、ここ最近働き詰めだった心を解していく。


「はははは。可愛いですね、京華さんは」


「んぁ?! か、可愛い? 可愛い……かい?」


「えぇ、可愛いですよ。京華さんは」


「ん、んんぅ。そ、そうかそうか。それなら良い。うん、ふふふふ」


 あどけなく笑う彼女の顔は、子供のそれだった。本当にこの人は、歳はいくつなのだろうか。そんな疑問さえ沸いてくる。

 だが、そんなのは関係ないくらいに、彼女との時間がとても楽しい。


 店に流れる、ニュース番組のキャスターの声にも気が付かない程に。


『○○市、特別養護老人ホームの利用者が、突然全て行方不明になりました。職員とも連絡が取れず、目下捜索が――』

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