第4話 惨めな挑戦
被害届は出さなかったのではなく、出せなかった。
特殊詐欺事件の被害者は、羞恥の意識が作用し、被害届を出しにくい心理状態となる。
「騙された年寄りがばか」「惨めでかわいそう」など、
世間体を気にするあまり、泣き寝入りするケースも多い。
実際の被害総額は、公表値の5倍に達すると言われている。
藤吉夫婦も、その類だ。
一度は警察に相談しようと考えたが、身内が60歳で色気を出し、詐欺に巻き込まれたとなれば、極力穏便に済ませたかった。
妻の失態に嫌気が差したが、60代で熟年離婚となれば、それこそ笑いものだ。
「今日から、印鑑と通帳はワシが預かる!」
妻は口を噤んでいたが、否定することも無かった。
本日は年金支給日だ。
藤吉は昨日の出来事が未だに信じられず、通帳と印鑑を持ち、銀行へと急いだ。
口座残高は20万円程。残金は年金支給額と同等の額。
被害額は口座内の額とほぼ一致していた。
一切の金銭管理を妻が行っていた為、藤吉は被害額を具体的に知ることはなかったが
藤吉は泣いた。
休日返上で働き、年下上司に頭を下げる日々。
上司の責任を押し付けられ、残業したこともあった。
それでも家族の為と、這いつくばって生きてきた。
そして、ようやく手にした退職金を含む貯蓄。
今、それを全て失ったのである。
パチスロに依存した代償は大きい。
毎月20万ほどの収入はあるものの、妻とふたりで生活していくには、あまりに質素だ。
70歳まで住宅ローンの支払いも残っている。
61年間、何も積み上げられなかった男は、ただただ涙した。
「パチンコ・パチスロは勝てる」
単純に見えて、これを説明するのは凄く難しい。
パチンコパチスロ未経験者ならまだしも、普段「養分」とされる負け組スロッターにさえ、伝わらないことがほとんどだ。
勝ち組は1割程度だと言われている。
勝利の法則は割と単純で、誰しもできるような方法なのにも関わらず、負け組が9割を占める。
ギャンブル依存症のほとんどはパチンコ・パチスロへの依存だ。
依存症が疑われる人数は、国内で500万人との推計が、厚生労働省の研究班により公表されている。
稼ぐということは、依存しないこと。
藤吉は銀行の帰り道、パチンコ店で3万円の損失を出し帰宅した。
涙は出なかった。
その晩、息子から連絡があった。
「あ、出た出た。おやじ?ちょっと今、風太に変わるから。」
「あ、じいちゃん?こないだね。ばあちゃんがスイッチ勝ってくれるって言ってたんだけど、ばあちゃん大丈夫?風邪なおった?」
藤吉は何かを察し、話を合わせた。
おそらく数万円もする子供のゲームだろうと、妻は仮病を使っていた。
そういえば、今月は孫の誕生日であることに藤吉は気づく。
「ああ、風太か。すまんかったな。今度、じいちゃんと買いにいくか。」
スマートフォンでスイッチを調べた。
3万円という驚異の値段に藤吉は驚きを隠せない。
しかし、本日出したパチスロでの損失も3万円だ。
今日、パチンコ店に行かなければ…
もっと早く孫から電話がくれば…
銀行員がもたついたせいで良い台が取れなかった…
ばあさんのせいだ…
目を覚ませ藤吉。
孫の誕生日もロクに祝うことができないなんて…。
藤吉はひとしきりタラレバ論を脳内で繰り広げた後、ひどく落ち込み、誰も見ていない場所で、誰も見ていない事を良いことに泣いた。
『もう…なりふり構っていられない』
翌日も懲りずに藤吉はパチンコ店へ足を運んだ。
しかし、今日の藤吉は覚悟が違っていた。
開店前の整列中、幾度となく常連さんの話に出てきた内容を思い出す。
「あの兄ちゃんいつも出してるんだわ。一回出たらクレジット落として、すぐやめてってよー。そのあと、連チャン狙いで座るんだけど、全然でないのよ。やっぱり勝ってるやつはヤメ時わかってるのかね~。」
藤吉も目にしたことのある人物だ。
たまたま出ているだけだろうと、特に気にしてはいなかったが、藁にもすがる思いで、接触を試みることにした。
藤吉は運よく、その人物を発見。
耳にはノイズキャンセラーイヤホン。
ジャージの上下を着こんでおり、スマートフォンをUSB給電にて充電中。
ブルーライトカットの茶色がかった眼鏡をかけている。
「す…す…すいません…。」
「あ?」
「わ…私もプロに…なれるでしょう…か…!?」
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