忘却

早良香月

忘却

 ある男がいた。彼は裕福な家庭に育ち、充分な愛情と教育を受け、すくすくと育った。ところが育ちというのは本人の人格に大して寄与しない(あるいは寄与しすぎる)ことは往々にある。エミール・ゾラよろしく「人間は遺伝と環境によって決まる」という箴言はかくのごとくと単に言えないのはこのことで、生まれ持った性質というものは遺伝でも環境でも揺るがしがたい。男は眉目秀麗、文武両道であった。学生時代は男女ともに人望に厚く、優秀な成績でもって大学を卒業した。しかしながら彼は厄介者であった。いつまで経っても本当の自分なるものが評価されないとぐちぐち頭の中で言葉にもならぬ言葉をだだ洩らしにしては、親や周囲の人々にそれと気づかれぬよう気丈かつ雄弁さをもって振舞った。彼は本当の自分なるものが分からないくせに本当の自分を見てもらいたかったのである。うわっつらだけの成績や見た目からでは分からないものを見てほしかったのである。しかし彼自身それが何なのか見当がつかない。彼は自分がまるきりの空洞であるかのように思うことがあった。なんとしてでもこの空洞を埋めなければならぬ。


 手始めに彼は好きでよく聴いていた音楽で何かを始めようと思った。とはいえ幼少期に習い事で触らされたことがあるヴァイオリンやトランペットは親からも勉強はできても音楽の才能はないねえと言われたことがある。彼は子どもの頃に言われたそのことをよく覚えていた。へたくそという判断ができるのは上手にできるアマチュアがおれと同じ年代にごろごろいるからであって、比べる対象が少なければ上手かろうが下手だろうが大して分からないだろう。彼はキューバのラテンオーケストラや、アストル・ピアソラを大変よく好んで聴いていた。正直聴いていてもどれが何のパートを担当しているのか分からないし、そもそもラテンオーケストラなどアマチュアで極東の島国でやらせてもらえる楽器などほとんどない。彼は大学を卒業し、民間企業に勤めるうち、しばらく「本当の自分」は音楽にあるはずだと懊悩し、半年間ほど何度も見たピアソラの映像や『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』、少し毛色は違うがアントニオ・カルロス・ジョビンの音盤を繰り返し聴きこみ、楽器屋を見て回り、ようやく決めることになった。バンドネオンである。おおよそ中古で底値20万円が相場となっている。ふむ。学生時代は買えなかった。しかし社会人になり「本当の自分」を見つけるためにこの程度の値段をはたくのは将来への投資である。12弦バンジョーの方が向いていたらどうしようという危惧はあったが、音色は好みの問題である。サンプラーなどに手を出すことはしなかった。アコースティックこそ音楽の神髄と信じてやまなかった彼であるが、弦楽器や管楽器にコンプレックスがあった彼はこのアコーディオンよりもリッチで鍵盤楽器なんだかよく分からぬ楽器に決して安くない金を叩きつけた方がよっぽど自身の美意識にかなう気がしたのである。自身の美意識にかなう「気がした」というのは、美意識という言葉の原義からして微妙にずれているのではあるが。しかし、これがまさに彼の満たされなさを満たしている要因であった。


 しかし、当然ながら、バンドネオンという楽器は大変に難しい。両手で違う動きをしながら両腕を動かして弦楽器のようなアーティキュレーションをつける。彼は手をつけたとき絶望した。そういえば幼少期に挫折した楽器はどれも旋律楽器である。ヴァイオリンでバッハのフーガを弾けるほどの技量もなく、トランペットは教則本の練習曲をなんとかさらえるようになったレベルでやめてしまった。ブルーノート、ペンタトニック、ディアトニック、七音音階、五音音階、この時点で謎であり、彼が憧れていたキューバやアルゼンチンのラテン音楽は微妙にまた使用するスケールも違う。加えて和音である。ルートとかいうのさえ分からない。ところが彼はいちいちそんなものを勉強するのは癪であった。スタジアムを沸かせるロックバンドのギタリストが教則本でいちいちフレット数を数えるところから出発しているわけがない。ギターをたまたま1本手に取っただけだ。おれが中古のバンドネオンを持っているのはたまたまである。和音やスケールなど勉強する必要はない。そもそもおれはバンドネオンが弾きたいわけではない。容姿や勉強の能力を評価されてもなお満たされぬこの気持ち、本当のおれなるものが音楽に違いないという理由でバンドネオンを手にしている。始めてみたらバンドネオン奏者としてラテンオーケストラに引き抜かれるかもしれない。南米を旅して、そのたびに聴衆をわっと言わせられるかもしれない。いい女も寄ってくるかもしれない。やらいでか、という気分で、とりあえずピアソラの「オブリビオン」を練習することにした。最初は音を拾うだけだったが、次第に大した時間もかからず節回しや歌い方が身についてきた。ふむ、なかなかいける。おれはバンドネオンの才能があるのかもしれない。ヴァイオリニストのギドン・クレーメルの演奏を聴いても、おれの方がうまい、と思った。彼は下手に居丈高であった。「オブリビオン」しか弾けないくせにである。さしもの彼も自身の1曲だけのレパートリーに危機感を覚え始め、「ブエノスアイレスの四季」を一曲ずつ真似してみたりした。全曲通すには大した時間はかからなかった。何より、とても浅ましい動機で始めたバンドネオンであったが、ものになってくると楽しい。録音で「夏」を聴いていると足踏みが入っている。おれもやってみたい。きっと一人でやるより楽しいはずだ。次第にそう思えてきた。


 レパートリーも増えてきたところであるが、しかし「バンドネオン奏者募集」などといったアマチュアのラテンオーケストラなどあるはずもない。学生時代は大学祭の実行委員長をやっていたもので、ピアソラもカルロス・ジョビンも周りに知っている人間などいない。だからといって当時の彼は世間体を気にしてそのような音楽を聴いている人間は根暗のオタク野郎だと烙印を押されることを恐れ、とてもじゃないがリスニングサークルやバンドサークルに未経験で入る蛮勇は揮えなかった。というわけで学生時代のツテは使えない。どうしたものか。バンドネオン愛好会が集うバーなるものがあるらしいが、バンドネオンで合奏したいわけではない。ラテンオーケストラでかっこよくピアソラ以上のカデンツァを披露して喝采を浴びたいのだ。いくら楽器演奏が楽しいといっても彼の小物ぶりはこういうところであった。彼は自分が徐々に自らの本質に近づいていっていることに気付かなかった。あるいは知らんぷりをして屁をこいていた。とりあえず一人でしこしこ弾いているだけでは実力もよく分からない。しかし生身の人間に聴いてもらって「あんた、あんまり上手くないね。運指が……」などとのたまわれたものではたまったものではない。うるせえとぶん殴る度胸もないし、はい、理論を勉強して出直してきますと言うほどプライドも低くない。ただ屈辱に身を震わせて帰って20万のバンドネオンを叩き壊してあとはよく分からない生活を送るだけになる。ここは人の顔が見えないインターネットに頼ろうと彼は腹づもった。誹謗中傷は顔が見えないから大したダメージはない。称賛のコメントは素直に嬉しい。彼は撮影と録音をするためのカメラとマイクをまたもや躊躇なく購入し、Youtubeのアカウントを作成した。元々インターネットどころかパソコンすら大学に入ってから買い与えてもらったものだったので、録音と撮影に加えて編集もフリーソフトで行い、作業は一か月ほどかかった。手始めに短いし自信もある「オブリビオン」にオリジナルのカデンツァを付け加えて7分ほどの動画である。


 アップロードした当初は大した反応もなく、まあこの程度のものかと思いつつも、日を追うごとに段々と再生回数や高評価が増えていった。おお、おれの才能は間違ってなかったのではないか。これが「本当の自分」なのではないか。不安もあったが、少ないコメント欄にはポルトガル語、英語、日本語で絶賛の言葉が並んでいた。特にカデンツァが評価されたようで、ピアソラの単なるオマージュに終わらない独創的なソロだとか、グルーヴに南米の血を感じるとか、そういうコメントが並んでいた。これに大変気を良くした彼は、「ブエノスアイレスの四季」の全曲をアップロードした後に、自作曲を発表することに決めた。これも蛮勇である。バンドネオンのソロの自作曲など誰が聴くのか。そういった客観的事実は彼にとってどうでもよかった。おれは「あの」オブリビオンのカデンツァを弾いた飛びぬけたアマチュアである。きっと聴かれるに違いない。彼にとってもはや目的と手段はわやくちゃである。「本当の自分」がたまたま弾けたバンドネオンという楽器によって他人から評価されただけに過ぎないのに、その評価をもってしてこの才能こそおれがおれたるゆえんなのだ、と信じて疑わぬ傲慢さと音楽という芸術にあってアマチュア・プロフェッショナルにおいて平等に許されざる凡庸さ。つづめれば小物である。だが彼の「快進撃」は止まらない。事実彼の自作のバンドネオンのソロ楽曲はアップロードされるやいなや大変な絶賛を受け、音楽理論などまったく分からぬ彼のフリーキーだがラテン音楽のエッセンスを抽出した旋律、バスの音域を強調しセオリー通りの運指では想像もつかないような「一人ベースライン」によるダンサブルなリズムはメロウで郷愁漂わせるバンドネオンという楽器のイメージを見事に刷新した。彼は傲慢で凡庸でありながら、才能こそはそれなりに通用するものであった。しかし彼は居丈高であった。これではだめである。再生数、高評価、シェア、エゴサーチ。彼は自分の動画の評判をひたすらに気にしていた。そのうちまとめサイトなどにも「天才アマチュアバンドネオン奏者の謎に迫る!」などと書かれていた。当時会社員としても優秀な彼であったが、業務の多少など「謎のバンドネオン奏者」の名前に浮かれきっていても彼は簡単にこなせた。作曲、録音、アップロードを2週間に1回は行い、月末はアナリティクスを眺めながら酒を飲んでへらへらするのが彼の至上の喜びであった。広告収入もつき、果たして彼は「バンドネオンYoutuber」というよく分からない存在になっていた。


 しこうして、彼は本来の目的を忘れかけていたものの、とりあえず売名に成功し、アマチュアのラテンオーケストラにバンドネオン奏者として入団しませんかとYoutubeに載せていたメールアドレスに連絡が来た。彼は大喜びしてこれを了承、すぐさま練習に参加する運びとなった。10人前後の編成であり、分厚い音がそれなりに出せる人数である。ストリングスは揃っているし、アマチュアの割にグランドピアノもあり、パーカッションも二人。もちろんホーンセクションも申し分ない。前のバンドネオン奏者が還暦を超えて肉体的に負担が大きいため脱退したところに彼の動画を見て声をかけたという次第であるらしい。彼は傲慢でつまらぬ男のくせして、人当たりについては腰が低く、ははあ、初めまして、立派な練習場で楽器もしっかりしてらっしゃるし、あまりうまくはないんですけれども、お力添えできれば幸甚です、などとぺらぺらな文句を並べたてる。もちろんそう当たられては向こうも気を悪くすることはないので、いえいえ恐縮です!私らは大変期待しております、と返す。内心彼はこのオーケストラを踏み台にしておれの才能を知らしめてやるぐらいの気持ちでいた。おれのバンドネオンでこのオーケストラが有名にならないことなどない、そう、おれには「ネームバリュー」がある……。思い上がりも甚だしく、しかし彼には才能があることは間違いないのだから、真に思い上がりであるかどうかは難しいところである。「本当の自分」は露呈していくが、彼はもはやどうでもよくなっている。よろしい。彼にとって「本当の自分」など、どうでもよいことなのかもしれない。「評価される」、「有名になる」、そのような貧相極まりなくつまらないものが「本当の自分」とやらなのであれば、向き合うだの逃げるだのという態度を取ることさえあほらしい。突き詰めればあほになるべきなのであろうが、べき論がどうのではない。あほはあほである。


 アマチュアのラテンオーケストラのコンサートは少人数でのステージもあるため、彼はレパートリーの一つであり、コンサートの目玉である「ブエノスアイレスの四季」全曲に乗ることになった。一応新入りなので試運転の意味合いもあり、これに大して彼は特に不満はなかった。「夏」でかませばよいことだ、程度にしか思っていない、だが僥倖、「あの」バンドネオン奏者が加入ということで、客へのサプライズということでアンコールで「オブリビオン」をやらせてもらえることとなった。思ってもいなかったことなので彼は平常心を保ちながらも内心喜びまくり、長大なソロをかまして客をトランスさせてやろうとわくわくしていた。練習では中古のバンドネオンが唸りを上げ、ピアソラ以外のオリジナル曲はバンドネオンのスコアが読めないため団員のピアノ音源をなんとなく耳で覚えるしかなかったが、独特のアレンジを彼が付け加えると合奏中に団員から歓声が上がった。事実彼のバンドネオンの音量は異常だった。普段は家で弾いているため控えめにしていたが、練習場やホールで思いっきり弾くと力の加減が分からない上、ただでさえ新品でも高くなく手に入れてすぐ演奏できるアインハイツ式の中古は蛇腹の加減次第でいわゆる安い管楽器の「バカ吹き」のような音が出て割れる。しかし彼はそのようなノイズでさえ表現に組み入れてしまい、すっかりオーケストラの色を変えた。メロウな曲では楽器の弱みを隠して繊細なアーティキュレーションで、グルーヴィーな曲では爆音でオーケストラを制圧する。特に「四季」の「夏」で団員が足踏みする箇所の迫力はすさまじいことになっており、来たるコンサートへの期待が団員全員高まっていた。彼はというとすっかり興奮状態で、いかに自分が目立つかしか考えていなかった。コンサートの当日は、オーケストラがアマチュアといえどもファンが多く、「彼」のバンドネオンが聴けるということもあり地元の決して大きくない公会堂のようなホールが8割9割埋まっていた。当日の熱狂はラテンオーケストラのコンサートとは思えないほどのものであり、特にバンドネオンの轟音はホールを割らんばかりであった。


 アンコールとなった。


 新入団員のアナウンスがあり、アンコールが知らされる。「Youtubeでの活動で有名なあのバンドネオン奏者による……」舞台袖で楽器を持ちながら、彼は内心緊張している。演奏がうまくいかないことに対して緊張しているのではない。最初のスピーチで見栄を切りたいのだ。その文句をずっと考えている。しかし考えてもうまく言葉が出てこない。ここに来て彼ははたと思い知る。おれには何もなかったのではないか。バンドネオンで評価されたところで何も変わっていないのではないか。いや、評価されることは嬉しかった。自分の才能が分かった。しかし何の空洞も埋められていない。思えば、俺はいい大学を出て、ずっとちやほやされて、それでもなんかよく分かんなくて、掴めるはずだと思って楽器を始めたはずだ。バンドネオンにプライドもある。しかし、しかし、いいのか、おれは、これで、何かを忘れようとしていないか、こんな場所で満員の観客に喝采を浴びて、息苦しい、おれは、なんでこんなことをしているんだっけ?


 舞台上に出てきた彼はバンドネオンを小脇に抱え、スポットライトを浴びながら誰もいない舞台上に一つぽつんとある椅子に座り、事前にお願いされていたスピーチと挨拶をしようとした。ところが、事前に覚えてきた原稿、たかだか原稿用紙1枚にも満たない簡単な挨拶の原稿のそら覚えを、すっかり失念してしまった。ええいままよ、と思い、彼はマイクに向かって喋り出した。




――本日は本公演にご足労いただきありがとうございます。本日付けで私はバンドネオン奏者としてこのオーケストラに加入いたします。私のことを動画で知ったという方はいらっしゃると思いますが、社会人になってからこのような形で楽器演奏を評価されるとは思っておりませんでした。いつもいつも、私は人の目、親の目、世間体を気にし、楽器もそういった不純な動機から始めたものです。私のバンドネオンが人々に感動を与えられるとすれば、だからこそなのでしょう。誰かから評価されたい。才能を認められたい。努力はしたくない。ずっとそうでした。バンドネオンもそうです。バンドネオンとの出会いは、私にそのことを思い出させてくれました。忘れていたのです。自分がそういう人間だったということを、すっかり忘れていたのです。思い出した今、バンドネオンをやっていくことが、とても辛いです。私は人と比べてとても幸せな人生を送ってきました。しかし忘れていたことを自分ができることによって思い出させられた今、これから先、何をやっても苦しいと思います。でも、その苦しさを認めることによって、アマチュアなりに良い音楽を皆さんに届けられたらいい、あ、これも人任せですね、届けます。それで初めて、これから先の私の生き方が、誰からでもなく、私によって認められるのでしょう。私が初めて動画投稿した曲ということでたまたまこの曲をやることになりましたが、タイトルがタイトルですね。思いの丈を込めて、ソロでやらせていただきます。アストル・ピアソラで、「オブリビオン」。

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忘却 早良香月 @anusexmachina

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