10◆生存者b
いままで途中で見かけた窓や扉はどれも歪んでいたり、極端に大きかったり小さかったりしていた。
通常サイズのこの扉なら、問題なく開けられるだろう。
俺の同意を得ると、水仙は警戒しつつ扉を開ける。
中は専門書らしき本が詰められた本棚があり、部屋の中央に置かれた大きな机には、広げられた資料が並んでいた。
「なにかの研究室のようじゃな」
深界生物がいないことを確認してから入室し、ようやく一息吐く。
扉の向こうに漏れないことを確認すると、水仙は魔法で光源を創り宙に浮かべた。
ちゃんとした明かりがあるだけでも、心が安まるようだった。
「ふぅ」
気絶したままの火音を床に降ろすと、額の汗を拭い水仙自身も床に腰をおろす。
いかに勇者といえど、小さな身体で気を失った人間を運び続けるのは楽ではなかったろう。
俺のマントに繋げた虚数空間に収納すれば重さも量も関係なくなるが、生物を入れることはできない。
理由は明確になっていないが、虚数空間に生きた人間を入れれば時間の長短に関係なく、死亡するか、良くて精神を患い狂った後に死ぬかの二通りしかないのだ。
あるいは強靱な精神力を持った火音ならば、死なずにすむかもしれないが、いくらなんでも仲間であった者にそんなことはしたくはない。
そういえば、異空間に人間を隔離する魔法が研究されているというのを聞いたことがあるな。何年か前の話で、実用化されたという話は聞いていないのでそのままなのだろうが……。
「日輪、貴様も食べておけ」
「ああ、わかっている」
マントの内側から携帯食料をとりだすと、わずかに口にふくみ咀嚼した。
食欲などないが、それでも体力を回復させないわけにはいかない。
戦場で食べ慣れた保存食がいつも以上に味気ないものに感じた。
食事を済ませると、水仙が俺に近寄り色素の薄い両手を俺の頬に当てる。
そして、額と額を合わせる暖かいものが流れてきた。
「木香ほどではないが、気休め程度にはなるじゃろう」
青い睫毛で装飾されたサファイヤの瞳が、間近で俺をみつめる。
治療が済んだのか、その額を離す水仙。そして勢いをつけて、俺の額に叩きつけた。
「いてっ、なにするんだよ」
「それはこっちの台詞じゃ、人の顔をジロジロみおって」
「いや、綺麗だなと思って」
「なんじゃ、今度は儂をナンパか? 言っておくが儂は他の連中のようにはいかんからな」
なんだろう、照れ隠しだろうか。
発言がズレている。
だいたい今度はって、以前に俺が誰かをナンパしたかのような言い草だ。
身体の傷はほとんど塞がっていた。気休めと言ったのは謙遜だったようだ。
それでも疲労が抜けていないのは、水仙の技量の問題ではなく神威の反動が肉体以外の部分にも負担をかけたのだろう。
手を握り握力の回復を確かめる。
思うように動いているのに、それがどこか自分の身体を動かしているという実感に欠けていた。
木香を生贄とし三発目を撃った際は、気絶しなくて済んだが、神威の反動は確実に俺の身体を蝕んでいる。
「なぁ、このまま最後のひとつを無視して、直接異界門を破壊にいくわけにはいかないのか?」
「なぜじゃ?」
「結界は城壁外のものも合わせて三つ壊してる。その機能は半分以上失われてるだろ。実際、通路のいくつかは、通常の状態にもどってる。それなら無駄な犠牲は避けられるんじゃないか?」
「逆だな。たしかに命というものは尊い。
しかし、この作戦には勇者だけでなく、大勢の人間の命をかけてられている。
それだけしてようやく得たチャンスじゃ。ひとつの命を惜しんで、それまでの犠牲すべてを無にするようなギャンブルは到底打てん」
俺の提案を水仙は冷徹な判断で否決する。
「それにいまだ、城中央部の正確な状況はわからぬままじゃ。
魔力拠点は不十分な状態でも儂らの行く手を阻んでいる」
たしかにその通りだった。
「そろそろいくぞ」
そう言って水仙は立ち上がり、もういちど火音を担ぎあげる。
その姿には疲労が感じられる。それでも彼女は辛そうな表情ひとつみせない。
いや、この作戦に参加した勇者のなかで、彼女だけが唯一弱音を吐いていない。俺はそんな彼女にたずねる。
「なぁ、どうして水仙はそんなにも強いんだ?」
「……おまえが思うほど儂は強くはないよ。
儂だけでなく誰もが強くなどない。
あるいは儂が知らぬだけで、強い者というのはどこかにいるのか?
どちらにしろ、儂がそうでないのはたしかじゃがな……」
四神と称えられた勇者の言葉には、なぜか自嘲が含まれていた。
「さっ、いくぞ」
「……ちょっとまってくれ」
元の通路にもどるため、扉に手をかけた水仙を俺は止める。
「どうした?」
振り返る水仙に、指を立て口元にもってくるジェスチャーをする。そして、部屋の奥にあった扉に指を向ける。それだけで水仙は察してくれた。
俺はもう一枚ある扉へと足を忍ばせ近づく。
耳を澄ますと扉の向こうのわずかな気配を感じ取った。
深界生物ではない微かな人間の呼吸音。この向こうに何者かがいる。
俺は鍵がかかっていないことを確認してから静かに扉を開けた。
光源を点けたままにしたのは、中の人物が敵対者だった場合、目が慣れている分こちらが有利になるだろうと判断してだ。
扉からなにも出てこないのを確認し、
するとそこには、そこには白衣を着た紫髪の女性が倒れていた。
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