Ⅱ■神威

06◆残されし者a

06◆残されし者


――ここはどこだ


 気がつくと俺は息苦しい場所を沈んでいた。

 上も下もわからないのに、ただただ沈んでいるという感覚だけがある。

 真冬の泥沼に浸るがごとく身体は凍え、そのまま深く遠くに消えていくようだ。


――死ぬのか。


 混濁する意識に『死』という概念が浮かぶが、それに抗おうという気は起きなかった。


 あるいは、すでにもう死んでいるのかもしれない。

 それでもかまわない。

 俺は自分をずっと支えてくれていた、とても大事なものに手をかけ、失ってしまったのだから。


――もう疲れた


 色も音もない沼底に辿り着くと、身体はさらに深くへと沈んでいく。


 ふと、どこかでかいだ花の匂いを感じた。

 まぶたをわずかに持ち上げると、ふわりした金色の髪をもつ小妖精がんでいた。


 妖精は懸命に口を動かし呼びかる。

 それでも、俺が動かずにいると、髪をつかんでそこから引き上げようとした。


 しかし、小妖精が背に生えた羽をいくらバタつかせようとも沼底に捕まった身体は浮上しない。


 無理を悟ったのか、そのうちに妖精はどこかえ消えた。

 あたりが静寂をとりもどすと、俺はもういちどまぶたをおろそうとする。


 しかし、いくばくもしないうちに妖精がもどってくる。

 こんどは赤・青・黄・灰色の仲間たちを連れていた。


 妖精たちは俺になにやら呼びかけながらも、力を合わせ俺をそこから持ち上げようとする。

 すると、泥の中に消えかけていた身体が、少しずつ引きずりあげられていく。


日輪にちりん……、帰ってきて……」

 誰かの声が清閑を打ち破り、俺の名を呼んだ。


 視線をあげると、水面から差し込む光が目にささる。


 淀んでいたハズの水は、いつの間にか透き通っていた。

 そこに細く白い腕が伸びてくる。

 応じるように手をあげると、腕は強引に俺を掴みそこから引きずりあげた。


 目を開くと、強いまなざしを向けた少女が俺を覗き込んでいた。


月兎子つきとこ……?」

 おぼろな視界の先に馴染みの名を呼びかける。

 だが、その幻想は少女の返事とともに崩れて消えた。


「よかった、帰ってこられた……」

 その可憐な声に相手を特定すると、視界も明確になる。


 ウエイブのかかった金髪の持ち主は、花の香りをまとった木香もっこうだった。


「……俺は。俺は気を失っていたのか?」

 夢に足をとられたままの俺は胸をなでおろす少女に尋ねる。


「そんな生やさしいものじゃありません。死にかけていたんですよ。

 心臓もとまってて、土星が力を貸してくれなきゃもどってこれませんでした」

 木香は涙をぬぐいながら説明する。


「月兎子は?」

「……いない」

 答え難そうな木香に代わり、事実を伝えたのは土星どせいだった。


「彼女はどこにもいなくなった」

 眼鏡をかけた竜脈使いはフードの内側から小さく、されどハッキリと呟く。


「そうか……」

 やはり、あれは夢じゃなかったのか。


 脳裏に、分解されていく月兎子の姿が浮かび上がる。

 それと同時に触れた、彼女の記憶も一緒に。

 両手で顔を覆うと、手袋が濡れる。


 やっぱり俺は彼女を……。

 手にはまだ彼女を貫いた感覚が残っている。


「おい、そんなことより、あのデカブツをどうやって倒したんだ!

 そもそもあんなツエー手があるなら、なんですぐに使わなかった!?」


 火乃国の若き女将軍、火音ひおんがほおけたままの俺の胸元をつかみ、強引に立たせる。


「そんな、まだ日輪さんは目覚めたばかりなんです。乱暴にしてはいけません」

 木香が神威カムイの反動から目覚めたばかりの俺を擁護しようとする。


「悪いが私も火音の意見に賛同する。我々はいかなる手段をもってしても、深界生物を倒さなければならない。

 その鍵を日輪がもっているのであれば、彼を休ませている余裕はない」

 獅子戦車ライオン・チャリツオ乗り金華きんかは説明を要求した。


 ハッキリとしない意識のまま、なにを言うべきか考える。

 だが、例えようのない喪失感から抜け出せない俺には、なにを言ったらいいのかまるでわからない。


「おい、なんとか言えよ。どうしておまえはあの槍を出し惜しみした。

 なんで、月兎子はどこにもいないだよ。知ってるんだろ」

 火音の太い腕に力がこもる。


「あれは出し惜しんでいたわけではない。その使用条件ゆえ、極限まで使えなかったのじゃ」

 凛とした声で、場を抑えたのは幼姿の大賢者スペシャル・セージ水仙すいせんだった。

 彼女の表情もまた苦々しいものだった。

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