第13話 浄化されたい
紗都子はナンパした相手が一見小金持ち風のコスプレしたクワガタムシだったことに心の傷を負い、傷心を癒すために屋根に上った。
屋根の上からよくかき混ぜた納豆を垂らしていくと豆はお互いに糸で絡み合いもつれあいながら瓦屋根の上をゆっくりと滑り落ちていくのであった。
「紗都子や、気は済んだかい」
母の声に良く似せようとして高い声を出したがどう考えても無理のある野太い父の声が聞こえた。その心遣いが彼女を苛立たせた。
「まぁだだよ」
気の抜けた40年物のかくれんぼの返事のように、早朝の明け方にそぐわない子供の遊戯のような返事は近所の井戸端会議の奥様方を波立たせるのに十分だった。その後すぐラジオ体操の音楽をバックに彼女らはけたたましくいなないた。
「あそこの娘さん」
「失恋だってばよ」
「ちがうちがうちがう」と彼女は反論したかった。でも早朝過ぎて元気がなかった。彼女は納豆の入ったどんぶりを足元に置くと、用意していたヘナジードリンクを飲み干した。彼女はもっとへなへなになった。そう息を吹き込もうにも肺活量が圧倒的に足りずに膨らまない風船みたいに。
ついにたまりかねた納豆が口を開いた。
「食べ物を粗末にするな。俺を飲み干せ」
「嫌だわよ。あんた臭いもん」
と返事した後、彼女は自分の間違いに気づいた。そうなのよ、こういう時は川のせせらぎを目にするんだったのよ。ああ、私としたことが何という勘違いを。
彼女は家の車庫に駆け降りると愛車のハーレーダビッドソンに跨った。跨っただけ。さすがに早朝に爆音を鳴らして爆走する自信のなかった彼女は、庭に出ると水道のホースからちょろちょろと流れ出る水を眺めていた。
「羊が一匹、羊が二匹・・・・・・・」
彼女の空想の中では未は次々に溺れていった。まるで彼女の救われない心情を描写してるかのように。しかし残念な事に庭にはアリすらいなかったのだ。何故かというと前日殺虫剤をまいたから。その時。
「ほれ、お嬢さん。こいつにつかまれ」
海賊がやってきた。海賊は変な色のドーナツを投げてきた。食欲がわかなさそうな模様だと思ったら、浮き輪だった。彼女は浮き輪を手繰り寄せると、それを片手に起きの方に泳いでいった。方向が逆だ。
ふと傍らを見ると細マッチョの海難救助員が助けにやってきた。
「お嬢さん。けがはないかい」
彼女は昨晩のナンパの相手を思い出して、全身を震わせた。海面に渦ができその渦の中から怪物クラーケンが誕生した。
妄想から離れると、庭は水浸しだった。ホースの水? いやいつのまにか雨が降っていたのだ。夕立ならぬ朝の通り雨。雨粒は彼女のささくれ立った心や屋根の上の納豆を洗い流していった。ついでにお父さんも。井戸端会議の奥さん連中も。
そしていつの間にか天気は晴れ。彼女の心も晴れ。バイクはハーレー。
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