第7話 彼はプロレスラーの卵

 コートの襟を立てて寒さをしのぐ。むき出しの頬を桃色に染める冷気は雪を従えて我が物顔に歩く。街のグレーが引き立つ配色にむき出しのアスファルトが協力を申し出る。水たまりに貼られた氷は白い身体を刃物のように光らせている。息が白い。


 はずんだ足音が聞こえてくる。耳になじんだそのリズムはどんな流行り歌よりも私の心を浮き立たせてくれる。もうすぐ、もうすぐ彼に会える。今の清人はどんな表情をしてるのかしら。


「はい。今はやりのタピオカ買ってきたよ」

 清人は重そうな鉄アレイの上に乗ったタピオカドリンクをテーブルまで持ってきてくれた。清人は駆け出しのプロレスラーの卵なのでトレーニングは欠かさない。鉄下駄がコンクリを削る音がする。来年の市の道路課は補正工事で大変だろう。清人のバズーカ砲のような太い腕が差し伸べられてそっと手を添える。次の瞬間指相撲バトルが始まった。


「ごめんまた僕が勝っちゃった」

清人はプロレスラー。だから毎日が真剣勝負。ちなみに私との戦績は20357戦20357勝だ。うち一回が私の反則負けだった。あまりに負けが悔しいから清人の栄養ドリンクに睡眠薬を盛ってやったら、清人の奴眠りながら勝ってしまった。恐るべき勝利への執念。潜在意識すらバトルに向かわせる男。


「みずほ、トレーニングジムにいかないか」

 いくら好きな相手でも毎回トレーニングジムでは飽きてしまう。わたしは「ダメよ」と指先でジェスチャーをして、彼を私の好きなカードバトルが行われているトレーディングカード屋にいざなった。


「よしこれで逆転よ」とカードゲームに興じる私をしり目に清人は束ねられたトランプカードを引きちぎろうと努力している。なんかの漫画にそんなシーンがあったかなーと思いつつ。私はバトルを終えた。空調が悪いせいか室内は空気がこもっていて胸が悪くなりそうだった。清人を呼び出そうと周囲を見回してみたらいない。地べたには引きちぎられた百人一首のお札が散らばっていた。表に出て見ると、清人はバス停のスタンドで重量挙げをしていた。私はさすがに清人をしかりつけた。

「もっと高く上げなきゃダメじゃない。何のための筋肉よ」


 いつものように焼き肉屋で食事をする。肉が焼けて香ばしい匂いがする中、待ちきれない清人は肉を生でむさぼり食った。口元から肉汁をしたらせていた清人は最高にセクシーだった。


 気持ちが高ぶった私は彼と最高の夜を迎えたかった。予約していたホテルに向かいスイートルームでベッドに寝そべった。清人は先にシャワーを浴びると言って出て行った。試合で皆に見せる胸板は今日は独り占めなのね。私はカーテンを開けて夜の朱理を眺める。この照明の元には幾千もの人がいてそれぞれが生活をしている。その人たちが出会い恋して清人が生まれた。


 シャワールームから清人が出てきた。湯気の出ている肌は赤く輝いて、ネイティブアメリカンを思わせた。その厚い胸板に私の白い手をはわせる。脈打つ血管、流れる血潮は私の物。ぜんぶぜんぶ私の物。汚れたトランクスは清人の物。

 

 夜の試合は私の勝ちだった。清人は会場に着く前の入り口でダウンした。秒殺だった。


 


 

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