第8話 妄想と現実

 小学校のころ、全校朝会のときに壇上に登ったことがある。

 といっても、スポーツで入賞しただとか、人命救助で表彰されただとか、なにかを成し遂げたわけではない。校長に食ってかかったのだ。

 昔から迷信やフィクションと呼ばれるような存在が好きだった。

 中学生になると少しは熱も収まったのだが、小学校のころは、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者だけでなく、ネッシーもUFOもビッグフットも、朝のニュースの占いにだって興味があった。これはもう好みというよりは、俺の生まれながらのサガみたいなものなのだろう。

 なぜそこまで信じようとしたかというと、存在していた方が世界は面白いからだ。剣や魔法のファンタジーの世界へ入るのは難しかったが、都市伝説なんかは現実味があって頭の中で広げやすかった。俺はそこでUFOに乗り、ビッグフットに追われ、口裂け女にポマードと唱えていたわけだ。

 周囲から奇異の視線で見られようと、俺はそれら迷信たちを否定しなかった。なぜなら存在しないなんてことは誰も証明できないからだ。悪魔の証明と呼ばれるものだということは理解しているが、実際に証明できないのだから信じることをやめる理由にはならない。

 壇上に上がったのは禿げ頭の校長がサンタを否定してきたときだ。俺は癇癪を起こし、いても立ってもいられなくなり、壇上へと走った。俺の勇気ある行動はあえなく体育教師に阻まれ、こっぴどく叱られることになったのだがそれはまた別の話だ。

 あれから二十と余年。同じ体育館でいま俺は、家族のためにビニールシートを広げて場所取りをしている。周りにもちらほらと、同じように場所取りをさせられている哀れな父親の姿が見える。

 まさか自分の子供が自分と同じ小学校に入るとは。そしてまさか未だに俺の名前が教師の間で知られているとは。二十年前の俺は反省してほしい。

「あれ、後藤くん?」

「え、あ、えーっと……、瑠美ちゃん?」

「正解!」

 急に名前を呼ばれ振り返ると、すらりと伸ばされた綺麗な茶髪が目に入った。同級生で学年の男子人気一位だった瑠美ちゃんだ。あの頃からまったく変わっていない。

「後藤くんも運動会見に来たの?あ、シート敷いてるってことは家族連れか。」

「うん。今年子供がここに入ったんだ。まだまだ若い気でいたんだけど、小学校に戻ってくると結構歳取ったなあって実感しちゃうね。あのころは丁度いいと思ってた階段がこんなに小さかったなんて思いもしなかった。」

 はあ、とため息をつく。

「後藤くんはいまも迷信を信じてるの?」

「あの頃ほどじゃないけどね。さすがにもう子供もいるし三十過ぎてるから、夢ばっかり見ていられないよ。」

「へぇー、少しがっかり。あの頃の後藤くん面白かったのに。」

 かっこよかった、じゃなく面白かった、と来たか。裏で笑われていただとかそういう話じゃないことを願うばかりだ。

「今はもう会社にも嫁にも使われる日々だよ。今日も朝早くに起こされて弁当作るのを手伝ってくれって言われてさ。この弁当、半分くらいは俺が作ったんだよ。」

 一人暮らしの期間が長かったおかげで、結婚当初、料理は俺の方が上手かった。そんな妻とも六年が経ち、いまでは俺がリクエストしたお菓子も作れるようになった。歳を取るわけだ。

「ああそうだ、カップケーキあるんだけど食べる?確か好きだったよね?」

「いいの?ありがとう!」

 中に入っていたケーキを差し出すと彼女はおいしそうに頬張った。お腹が減ってきたので俺もひとつを口に入れた。インスタントコーヒーの粉を入れたものだったようだ。あまり甘くなく、ほんのりと苦い。瑠美ちゃんも同じものを引いていたようで、最後にすこししぶい顔をしていた。

 それからもしばらく他愛のない話をしていたが、瑠美ちゃんが急に話を変えた。

「変わっちゃった、って言ったけど、やっぱり後藤くんは後藤くんだね」

「え、どこが?」

「んー、ふふ。お人よしなところかな。じゃあ私、そろそろ時間だから行くね。」

 型紙を置くと、またね、と手を振って彼女は去った。

 彼女の姿が見えなくなると俺は床に倒れ込んだ。天井近くの梁にバレーボールが乗っているのが見える。

「しゃぼん玉、とんだ、やねまでとんだ、やねまでとんで、こわれてきえた……。」

 人の夢と書いて儚いと読む、なんて決めたのはいったいどこの誰なのだろうか。

いつの間にか大人になり、夢ばかり見ることは難しくなった。

 だが、小さいころの俺はどんなことだって信じた。UMAだって、超能力だって、占いだって、そして、幽霊だって。

 俺にしか見えないものは誰にも否定できない。残されたカップケーキの型紙を見ながら二十年前と寸分たがわぬ姿だった瑠美ちゃんを瞼に思い浮かべる。

 彼女が死んだのは運動会の二日前だった。算数の時間だっただろうか、授業中にいきなり倒れて、それっきりだった。人はこうもあっけないほどに死ぬということを知り、俺は小さいながらに儚いという言葉の意味を理解したし、それからしばらく現実の世界に戻らなかった。

 外に出るにも彼女の影がちらついて、足がすくみ、吐くものもないのに吐き気がした。まるでこの世が俺の存在を拒否しているかのようだった。二週間ほど休んだのち、なんとか登校できるようになったものの、今度はなにごともなかったかのように動いている世界に嫌気がさしてまた休んだ。

「思い出した?」

 声が聞こえた。数分前に聞いたのと同じ声だ。

「そんなに現実って大事かな?」

 目を瞑っているが、確かにすぐそこにいるということが分かる。寝転がっている俺の枕元に座っている。

「こっちの世界とそっちの世界、どっちの方が君は楽しめるのかな?」

 耳元で息遣いが聞こえる。


「俺は……。」





「おとーさん?起きてる?」

 息子の声で飛び起きた。冷や汗がダラダラと流れている。

「すごい汗だけど大丈夫?秋口でもちゃんと水分取らないと熱中症が怖いって言ったでしょ?」

 妻から渡された水筒を受け取る。口の中に冷たい麦茶が染み渡る。歯に沁みて痛みを感じたが、生きていることを実感できた。

「ごめん、すこし悪夢を見てたみたいだ。」

 見慣れた妻と息子の顔を交互に見る。この世界に生きていることに安心する。

 どちらの世界が楽しいかなんてことは聞くまでもないことだ。ただ、俺はこの世界に一人きりではない。つながりがある。そう簡単にこの世界を離れることはできない。

 幼くして亡くなった彼女には酷かもしれないが、俺はこの世界に生きているからこそ、この面白みのない世界を生きるのだ。


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