第5話「神のいる村」
鐘を鳴らし、神父が声を張り上げ、村に知らせる。
「ミア様がお亡くなりになった!」
悲痛な泣き声がこだまする。涙をながし、膝をつく女性。空を見上げる男性。
混乱する村の中で神父はさらに声を上げる。
「ついては、本日中に棺桶を丘の上、展望台の下に埋葬する!諸君、力を貸して頂きたい!」
*****
私の父は昔から貧乏神と呼ばれていたらしい。
故郷の村を発ち村から村へと旅を続けたが、どの村も父が住み始めてしばらくすると災害に巻き込まれ滅んでしまったのだという。
父が私に出逢ったのはこの村に来て一か月、雪山に狩りに来ていたときのことだ。このときのことは私も覚えている。
パキ、パキと不用心に小枝を踏みながら突然目の前に現れた私に対して父はとっさに猟銃をかまえた。
「だ、誰だ!?」
「……ミア」
私はそう答えた。それしか私を表す言葉を知らなかったから。
当時4歳だった私はきっと口減らしのために山に捨てられたのだろう。この冬は非常に寒く、どの村も食糧難だった。
「ミア、か」
そのときの父の顔はよく覚えている。なにかを決意したような精悍な顔つきだった。父は私を拾うと村に帰り、この子は神の子であるとまことしやかに噂を流しはじめた。
*****
咳がひどくなっている。
私は暖炉に火をつけ薪をくべる。
深夜になり、少し寒くなってきただろうか。
*****
父はかつて各地の村を転々としている間、様々な仕事の手伝いをしてお金を稼いでいたのだという。土木工事、農作業、牧師、猟師から劇作家、奇術師まで職種にこだわることなくあらゆる手伝いをやったらしい。どれも専門家になれるほどには詳しくなかったが、経験から得た広く浅い知識が父の武器だった。私が左利きだと分かれば左利き用のハサミを作ってくれたし、雲の動きから明日の天気が読めた。
「なんで眼鏡を?」
「眼鏡かけてた方が賢そうに見えるだろ」
数週間後、私は村の皆の前で「神の御業」を披露していた。帽子から鳩を出すという簡単な手品だったが、この村の人間はみんな騙された。涙を流している人までいた。
拍子抜けするほどに簡単に私はこの村の神の子になった。
「なんでみんなこんなに信じるの?」
「それはみんながお前のことを知らないからだ。俺みたいなおっさんが同じことをやっても誰も見向きもしないだろうな。だがお前は新顔で誰も知らない。それにお前は」
父は私の頬を軽く撫でながら続けた。
「顔がいい」
確かに私の髪と目の色はこの村の人々と違った。
「人は見た目でけっこう騙されるもんなんだよ。お前があまり口を開かないのも神秘的に見えるのかもな」
私は当時、最低限必要な言葉しか教え込まれないまま舞台に立った。時間が足りなかったというのもあるのだろうが、父はそこまで計算していたのだろう。
*****
寒くなってきた。ベッドから毛布をとってきて羽織る。
薪がしけっているのだろうか、あまり暖炉の火が強くならない。
*****
「今日はどこに行くの?」
「展望台だ」
村を一望できる丘には展望台があり、年に何度か父はそこで私の代わりに「神の言葉」を村じゅうに広めた。私は高所恐怖症でいつもこの台に立つと高すぎて足がすくむ。父は私にかまわず一歩前に出て紙を広げて演説を始めた。
「我らが神はおっしゃった。生くるため農作業に励むもの、神のために尽くすものには幸せが訪れるであろう──」
よくもこうすらすらと嘘が吐けるなと思いながら父の顔を覗くと、父も笑いをこらえるのに必死になっていた。紙を持っていたおかげで村の人間に顔が見えなくてよかった。
ある程度「信者」と呼ばれる人たちが現れると父はその人たちを働かせた。畑を作らせたり、寄付を募ったり、家を建てさせたり水道を引かせたりと盲信しているのをいいことに好き勝手に村を作り替えた。
こんな父の横暴ぶりに疑問を呈さなかった人がいなかったかといえば嘘になる。
こんな外れの村でも数年に一度は旅人がやってくることがあった。神を騙り、信者を私利私欲のために使っていると批判した旅人もいたが、そのころにはもう信者はそんな言葉には耳を貸さなかった。父曰く、人間は疑問を抱かなくなったら終わりだそうだ。私はけっこう肝が冷えたのだが。
「盲信って言葉があるだろ?信じることに頼りすぎて疑う目がなくなったらもうなにも見えなくなっちまうんだよ」
私はその言葉に感心したが、旅人がやってきても堂々としている父の姿にも感心していた。
「父さん、昔博打打ちとかもやってたの?バレたらどうなっても分からないこんなギャンブルをするの相当肝が据わってないとできないよ」
「平気な顔で信者の前に立ってるお前も相当な勝負師だよ」
二人で笑いあったのを覚えている。
信者がさらに増えると父は学校を作った。そこでは文字や計算といった普通の勉強の他に祈りの時間や私の名前の出てくる教科書での神学の勉強の時間があり、私は少し恥ずかしい思いをした。
ある日、変わった男の子が現れた。歳は私より2つ下で当時は10歳だった。
あるとき、彼、ルイスは授業を終えた父を呼び止めてこう聞いたというのだ。
「ミアさんは本当に神様なのでしょうか?」
このとき父は心底驚いたという。村の人間は誰も私を神と信じて疑わず、学校でも全くそんな思考を教えた覚えはなかった。というより疑う目を閉ざさせるための学校だったと言ってもいい。
ともかく父は驚いた。10年弱堂々と彼らをだまし続けてきた父もこのときは動揺した。この村に自らの思考でそこにたどり着くことができる人間がいるとは思ってもいなかった。父は口封じも考えたというが、仲間に引き入れることにした。神の子であるという建前上学校に通えない私の遊び相手が欲しかったということもあったらしい。実際に彼は頭がよく、一緒に遊んでいても私は彼のことを年下だとは全く感じなかった。
彼はそれから5年後、父から神父に抜擢された。適任者がいてむしろ助かったと父は言っていた。
私が18歳になると父は私の「お芝居」のお供をルイスに任せて表に出ることはなくなった。一人でやりきるのにも十分に大きくなって父がついているとむしろ神秘性を高めるには邪魔だろうという判断らしい。
*****
外が明るい。
夜が更けてきたのだろう。
咳はまだ止まない。私は俯いて床をじっと見ていることしかできなかった。
「なあミア」
伏せっていた父が急に体を起こした。
「父さん!」
「安静にしていてください!」
ルイスも慌てて父を寝かせようとする。しかし父は続けた。
「お前いま何歳だったっけ?」
「……24歳だよ」
そうか、と一息ついてから父はさらに続ける。
「お前はこれからどうするんだ?」
「え、っと……。明日は日曜だからミサに出席して、水曜日には学校に顔を出して……。」
至って真面目に答えたつもりだったのだが、父はぽかんとした顔をしている。
「私、なにかおかしいこと言った?」
「そんなこと聞いてねえよ。これから先どうする気だって聞いてるんだ」
「だから今まで通り」
「いやいや待て」
父は手を振って私の話を遮った。
「お前、俺はともかくお前はいつまでもこんな村に縛られているわけにはいかねえだろう」
村を出ろということか?でもこの村で神を演じている私が急にいなくなれるわけがない。
「そうか。お前には伝えてなかったか。ルイスはだいぶ前に気付いてたんだが」
わけがわからずルイスの方を見る。彼は目を伏せていた。
「俺がここ数年表に立たなかったのはなんでだと思う?」
「……神秘性を高めるため、じゃなかったの?」
父は一旦顔を両手で覆った。父が考え事をするときの癖だ。
「よし、昔話をしよう」
ため息をついて父は話を始めた。
「俺が疫病神って呼ばれたのはな、災害が起こることを予知できたからだ。川の護岸工事がなっていない村で川の氾濫の対策をした方がいいですよって村長に進言するだろ?するとな、この村に来たばかりの若者が生意気だ、って言って意地張って絶対に工事しやがらねえんだ。そんで、何年もしないうちに氾濫が起こっててんやわんやの大災害になる。そのときになって村長が言うんだ。お前が言ったとおりに災害が起きた、お前は疫病神だ、ってな」
そんな話があったのか。昔話は何度も聞いたことがあったがここまで詳しく話してくれたのは初めてだ。
「俺が何回も村を移り住んで分かったのはどうやら信用っていうのは大事だってことだ。俺みたいなただの人間がいきなり出てきて村の欠陥を指摘すると村の人間には悪口にしか聞こえねえ。まあ怒るよな、急に知らねえおっさんがコンプレックスを指摘してきたら。俺だっていい気はしねえ」
父は顔を上げて私の目をじっと見つめた。
「だからお前と出逢ったとき決めたんだ。この子をこの村の神様にしようってな」
私は口を開いたがしばらく言葉が出てこなかった。
「じゃあ村の人たちを働かせたのって……。」
「この辺は地震が起きる可能性が高かったがどの家も建築がなっちゃいなかった。それに畑もろくな肥料が撒いてなかった。だから俺は家を建て替えさせて農作業をさせたんだよ」
私はいままで自分を拾い育ててくれた父のことを軽蔑したことはなかったが善人だと思ったこともなかった。疑問を持つことをやめていたのは私だった。
「じゃあ、父さんが表に出なくなったのは?」
「神になったお前が村から解放するには理由がいる。単に逃げ出したらこの村はきっと崩壊する。それらしい理由が必要だ。」
「それらしい理由?」
続きを引き継いだのはルイスだった。
「ミアさん、どこの世界でも神がいなくなる理由はひとつです」
やっと気が付いた。だがやはり私の口は喉元から硬直したように動かない。
「死、ですよ」
父が頷いているのを見て私の視界が滲んだ。これは何だ。悲しみではない。父がもう長くないということはだいぶ前から理解しいていたはずだ。この気持ちは──。
「俺の都合でこの村に縛り付けちまった。こんなことをしたからにはお前を束縛から解き放つ台本も書かなきゃいけなかった。お前が死んだということを村人に信じ込ませなきゃいけねえ」
──喉が苦しい。首を絞められているかのようだった。うまく呼吸ができない。
「お前の代わりに俺の死体を棺桶に入れて村をあげて埋葬を行う。それでお前は自由だ。ルイスにはもう段取りを話してある。」
なんで、別に私のために父さんが死ななくてもいいじゃない。棺桶の中なんて誰も見やしない。
「それはな、ただの俺のわがままだ。最期までお前の成長を見ていたかった。」
「馬鹿じゃないの……。」
なんとか掠れた声をひねり出した。
「4年ほど生きすぎちまったけどな」
私が20歳のときにはもう死ぬ予定だったのか。いや、その時期には私に自由になっていて欲しかったということか。
羽織っていたタオルで顔を覆って涙を拭いた。心を落ち着かせてから顔を上げた。
「父さんは、世界で最高の土木作業員で、劇作家で、詐欺師で、父親だ。」
父は笑ったような、泣いたような顔で私の頭を撫でた。
「なに、気にするな。ちょっと先に神様のいる場所で待ってるだけだ」
*****
それから数時間後、父は息を引き取った。私はルイスと一緒に父を棺桶に入れた。その後、父が用意してくれたという旅用の鞄を受け取った。
「これからどこに行くんです?」
「とりあえず街かな。いろんなものを見て、私も目を開かないと。そのあとは……、そうね、村を転々としてもいいかな、なんて」
「ミアさん、お元気で。」
「ルイスもね。」
*****
小さい頃から何度も聞いた村の鐘の音を名残惜しく思いながらも私は反対の方向へと歩を早めた。ルイスはうまくやってくれただろうか。いや、彼なら上手くやってくれるに違いない。
私は神ではなく、ただの一人の人間だ。
これからなにが起きるかもわからないし、運命に流されていくことしかできないのかもしれない。世界に対してちゃんと目を開いて疑うことができるかもわからない。
ただ、どんな困難が降り注いでもこう言って笑ってやるのだ。
これくらいなんだ。私の父親は疫病神だぞ、と。
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