第9話 隻腕求ム 前編

 年季の入った借家の一室でひとりの少女がテレビを見ながら昼食を取っていた。コンビニで買ったお弁当を食べながらお昼のニュースを見ていると、軍関係者による謝罪会見の様子が映し出される。


 先日起きた一連の騒動に対する謝罪だった。しかしながら世間一般にはサイコロリアンの存在は秘匿されているのでありのままが伝えられているわけではなかった。


 今回起きた騒動は、軍の新型の戦闘機が誤ってビルに突っ込み、その存在が軍でも一部の人間にしか知らされていなかった最新鋭の戦闘機だったため、何も知らなかった近くの駐屯基地の軍がそれを他国の攻撃だと勘違いして、大隊を動かしてしまった……という筋書きになっていた。


 そして画面が切り替わると、件の新型戦闘機――実際にはそれはコビドが乗ってきた宇宙船――が、見事なまでにビルに突っ込んでいる様子が映し出される。ビル周辺で作業をする軍の兵士がその宇宙船を回収しようとしているところだった。


 そのピンク色の宇宙船を見た少女は口に運んでいた唐揚げをポトリと落とした。


「……まさか……これって――!?」


 少女は食べかけのお弁当をそのままに、艷やかな菫色の髪を振り乱しながら家を飛び出した。


 ……………………


 …………


 コビドたちによってロッチロおよびグレゴリーの部隊が大敗した戦いから2日が過ぎた。現場となった区域は封鎖され未だ事後対応に追われていた。

 幸いにしてコビドたちによる次の攻撃は行われていない。ただ、2日たった今でも兵士たちの疲れ、特に心労は癒えず、あれだけの兵数がいてサイコロリアンを仕留めきれなかったことに対する絶望感が蔓延していた。


 そんな中、対サイコロリアン討伐軍本部にて、先日の戦闘を受け今後の方針を決める会議が行われていた。出席者は総司令官のヨラン中将に加えダイアン中佐とロッチロ中佐の2人だった。


「遂に我が国にもサイコロリアンの魔の手が伸びたか……」


 ヨラン中将が面倒なことになったと嫌気のさした態度で言った。


「中将!! これからどうするのですか!?」


 やけに声のでかいダイアン中佐が今後の方針を乞う。


「やることはひとつ。サイコロリアンを殺す。それだけです」


 答えたのはロッチロだった。


「そんな事はわかっている! そもそもロッチロ中佐がさっさとサイコロリアンを始末していればグレゴリー大佐は――」


「過ぎたことです。やめましょう」


「それを君が言うんじゃない!! 反省しているのか!?」


「お言葉ですが、一歩間違えれば私も死んでいたのですよ?」


「大佐と中佐の命が同等だとでも!?」


「ほほぅ。つまりダイアン中佐殿はグレゴリー大佐の代わりに私が死ねばよかったと?」


「そうは言っとらん。だがたった1匹のサイコロリアンに手こずっていたのは事実だろう?」


「たしかに私が確認したのは1匹です。ですが本当に1匹ならここまでの大敗を喫することはなかったはずです」


「どういうことだ!?」


「あのとき私たちが追い詰めていたサイコロリアンは明らかに手負いだった。その状態であれだけの巨大なコンクリートの固まりを押し返す力はなかったはずです。つまり、そこに別の個体が現れた可能性が高いと言うだけの話です。そして我々が戦っている最中さなかにギャリコ大尉が何者かの奇襲を受けていたことも加味すれば、少なくとも我が国には今最低でも2匹のサイコロリアンが存在していることは間違いないでしょう」


 静かに話を聞いていたヨランが深いため息をついた。


「なるほど……そうなるとかなり厄介だな。――して、ロッチロ中佐にはサイコロリアン討伐に関しての算段はあるか?」


「あります。ですがそのためには先ず部隊の再編が必要です。それから行方のわからなくなったサイコロリアンを探し出す必要もあります」


「そうか。ならばそれらに関してはロッチロ中佐に一任しよう。良いかな?」


「もちろん異論ありません」


 ロッチロは快諾した。


「なぜです!?」しかし噛み付いたのはダイアンだった。「彼女は先の作戦で失敗したのですよ!?」


「簡単なことだよ。我々の中でサイコロリアンとの戦闘経験があるのはロッチロ中佐だけだ。そして今回の被害状況を見れば素人がどうこうできる相手ではないことは火を見るより明らかだ。それともダイアン中佐、君が全隊の指揮を取るかね?」


「そ、それは……」


 ダイアンは押し黙るしかなかった。


「ただしロッチロ君。次はないと思ってくれ」


「はい。心得ております」


 会議が終わるとヨランを残し2人は部屋を出る。そこにはドコスタの姿があった。


「あの。どのようなお話で?」


「引き続き私が任されることになった。あと、お咎めはなしだ。」


「本当ですか中佐!? 良かったです!!」


 ドコスタはまるで自分のことのように喜んだ。


「喜んでばかりもいられんさ。ヨラン中将の肚の裡はよくわかっているつもりだからな」


「と、言いますと?」


「責任を取りたくなのだよ」


 ロッチロが多国籍軍として戦地に出向していた頃にも同じような騒動があった。当時のロッチロはまだ階級も低く別の国の人間が指揮する隊の一兵卒として戦場に出ていた。そこではサイコロリアンとの戦いよりも意見の合わない指揮官同士の諍い、責任のなすり付け合いのほうがより苛烈だった。


「ですが先日の記者会見でヨラン中将は謝罪をしていましたよ」


「あんなものはポーズに過ぎん。形だけの謝罪なら誰だって出来るさ。自分の経歴に傷つくわけではないからね」


「なるほど」


「それより例の件だが?」


「はい。それに関してはすぐに手配できます」


「そうか。ならば行こう」


 2人はプライベート用の車両が止めてある駐車場へと向かった。


 ロッチロが基地の外に出ると、肩を落として歩くいろはとすれ違った。右腕を失ってなお基地に出入りする彼女は他の兵士たちから奇異の視線を向けられていた。そんな彼女は荷物を持ってどこかへ出かけるようだった。


 ロッチロは足を止めいろはに視線を向けた。声は掛けずただ彼女の姿を追った。


「生き残りらしいです」


 ドコスタが言った。


「なに?」


「彼女。サイコロリアンと一対一で戦って、奇跡的に生き残ったそうです」


「ほう。彼女があのとき担架で運ばれていた者か。あれで生き残るとは……強運の持ち主だな」


 いろはを見つめるロッチロの目が興味に変わった。


「でも、あの腕ではもう戦えませんよ」


「やりようならいくらでもあるさ。義手、ロボットアーム、サイバネティック――」


「彼女ひとりにそこまでするんですか?」


 先の戦いで負傷したのはいろはだけではない。彼女だけを優遇すれば他からの反発は免れない。


「今の私にはそれなりの権限が与えられている。一考の余地はあるというだけの話だ」


 そう言うと、ロッチロはまた歩き出した。それから2人は車に乗りドコスタの運転でとある場所へと向かった。


 ……………………


 …………


 いろははターニャの実家がある町行きのバスに乗っていた。乗客は彼女の他に老夫婦が一組いるだけだった。


 バスは牧歌的な風景の中を走る。


 いろはが目覚めたのは彼女が病院に運ばれてから丸一日経ったあとだった。奇跡的に一命を取り留めたことや、回復のスピードが早いことに医師たちは大層驚いていた。……が、当のいろは失った自分の右腕を見て絶望に暮れていた。そこへさらなる追い打ちをかけるかのように彼女の元へ悲報が届けられた。


 ターニャが死んだ――


 飛んできたビルの塊の下敷きになってターニャは命を落としていたのだ。


 それはいろはにとって耳を疑いたくなるような事実だった。その報せを伝えに来た同僚から、ターニャと一番仲の良かったいろはに、彼女の荷物を家に届けるよう言い渡され、いろははひとりでターニャの実家に向かっていた。


 バスを降りてしばらく歩くと教えられていた住所の場所にたどり着いた。


 ドアベルを鳴らすとすぐに気立ての良さそうな女性が顔を出した。彼女はターニャによく似ていた。そんな彼女の顔を見てターニャとの思い出が蘇るといろは今にも泣きそうになり、なんとか堪らえようと俯いた。


 そして、いろはは何も言えず、ただ左手に持ったカバンを前に差し出した。


 ターニャの母――アリョーナは訝しげな表情でカバンに目を向ける。


「タ……ニャが――。殉職、を……」


 いろははやっとの思いで声を絞り出した。


 その言葉を聞いてアリョーナの顔がみるみるうちに青ざめる。そして彼女のやり場のない怒りがいろはに向けられた。


「どうして!! どうしてあの娘が!!?」


 軍人である以上は戦場で命を落とすことは往々にしてある。だからといって誰しもその心構えができているわけではない。


 アリョーナの尋常ではない叫びを聞いて家の奥からターニャの父――ミーシャが顔を出した。今にもいろはを取り殺してしまいそうな勢いのアリョーナを見て驚き慌てて羽交い締めにして止めた。


「ちょっと落ち着かないか! 母さん!」


「なんで!? どうして!? ターニャが! ターニャが死んだのよ!? あなたはどうしてそんなに冷静でいられるのよ!!」


「え? ほ、本当……なのかい?」


 ミーシャがいろはに訊ねると、いろはは無言で首を縦に振った。


「そうか……そうなんだな……」


「あなたそれだけなの!? 悲しくないの!?」


「僕だって悲しいさ!! でも彼女を攻めたってターニャが戻ってくるわけじゃないだろ!? それに、彼女だって――」


 ミーシャがよく見てみろといろはに向かってアゴをしゃくる。そこでようやくアリョーナはいろはの体の違和感に気づいた。


 いろはは長袖のジャケットを羽織っていて一見してそうとはわからないようにしていた。だが風を受けた時の袖の揺れ方が左右で違っていた。


「あなた……腕が――」


 アリョーナがいろはの腕の無い袖に触れようとすると彼女はさっと身を引いた。


「大きな荷物は持ってこれませんでした。もしもそれらが入り用なら連絡して下さい。後日改めて届けますので。それでは――」


 いろはは捲し立てるように言ってその場から逃げ出した――


 それからいろはは走った。涙を流しながら走った。


 腕の通らない袖が風に揺れる。


 ――憐れまれるのは嫌だ。気を使われるのも嫌だ。生きてるだけターニャより遥かにマシだ。でもこの身体では彼女の仇を取ってあげることもできない。


 もう戦えない。戦えない人間は軍にいることすら許されない。


「くそっ……。くそっ、くそっ、くそっ――うわあああああああああああああ!!!!!!」


 いろはは走りながらやり場のない怒りをぶつけるように空に向かって叫んだ。

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