第24話・志乃の決心

文禄五年(1596) 十月一日、筒井家上屋敷、


 風雨が建物を嬲っている。野分け到来から一昼夜経つが、一向に納まる気配はありませぬ。

母屋や長屋は国元から来た人達で、すし詰め状態です。皆膝をつき合わせて辛抱しています。仮の宿舎はまだ不十分で、雨風を充分に凌げないのです。


野分けのせいで彼らの仕事はお休みですけれど、窮屈そうな顔をしています。それも仕方がありません。風雨特に強い風のせいで、竈の火は使えずに食事は干し飯と少量の味噌、そして水なのです。


「秋山さんが居ないと、この席も寂しいですな」

と山本殿が晩酌の席で言われた。

秋山さまが来られてから、夜のひとときのこの時間が恒例になったのです。今は築城の事とか、国元から大勢来られた人達の問題とかを相談するのに良い席になっています。


「そうだな。木村も村井も下屋敷に行ったしな」

この席にいるのは、甚衛門様、山本殿、村井殿の三人。それにわたくしとおたきが傍に居ます。おたきは賄いの一切の面倒を見ていますので、その事を話すのです。


「野分けの他に問題は無いか?」

「ただ野分けが過ぎるのを待つのみです。問題はありませぬが、折角積み上げた土が流されてしまわぬか心配です」

と、村井どのが憤懣として言った。


「そうじゃの。だが、それは仕方が無いことじゃ。お城の方でも出来る事はしておろう。野分けが過ぎたあとの現状を受け入れるのみじゃ」

「全く左様ですな。心配しても詮無きことでした」


「他には?」

皆、首を振る。詮無きこと、村井殿と同じ気持ちなのです。


「ところで志乃さん、国元から縁談が来ている。悪い話しでは無い。どうだ?」

と、甚衛門様がおっしゃった。

相手は山上三十郎と言う方。二人の息子と嫁に行った娘が一人、年は四十五才だが百石取りで五十名の弓隊を率いる足軽大将だそうだ。武事よりも書物を読むのがお好きな柔和なお方だそうです。


千代のためにも父親がいた方が良い。だけど、わたくしの心は既に決まっております。

「折角なのですがその話、お断りお願いします。わたくしの先行きは既に決めております」


「秋山さんじゃな」

皆は一様に驚いている。だが甚衛門さんは気付いていたのだ。


「はい、わたくしが余震で下敷きになった時。何処かに飛んで行こうとするわたくしを暖かい大きな手が引き戻してくれました。それが秋山様でした」


「うむ、それがしも秋山様に助けられた。この世界に戻ったときに最初に見えたのが見慣れぬ秋山さんの顔じゃった・・」


「はい、私の手を触った暖かい大きな手。この大きな手の人がわたくしを助けて呉れるのだ。わたくしはその時の嬉しさを忘れていません。たぶん一生忘れないだろうと思います。ならばその人の傍に居て、少しでもお役に立ちたいと思います」


皆は何度も頷いている。わたくしの気持ちに同意してくれたのだ。

「それは、秋山様もご存じか?」


「いいえ、知りませぬ。今初めて口にしたことです」

「すると、断られるかも知れぬのぅ・・・」

断られる。そうかも知れない。明るい竜之介様だが、何か思い詰めたところがあるような気が致します。或いは妻子がおられるのではないかと・・・


「そうじゃ、こうしよう」

甚衛門さんが悪そうな顔をしている・・・


「どのような手で?」

山本殿も嬉しそうな顔だ。村井殿も・・

この三人の顔、最近見た事あります。

あっ、戦仕立ての屋起しの相談の時だわ・・


「既成事実を作るのじゃ、志乃さんが秋山様の所に泊まる。そしてそうなった以上は責任を取って貰う。さてどう言う手順で行くかの・・」


「そうか、その手か。惜しかったですね、開店祝いの宴の時に、ドサクサに紛れて泊まってくれば良かった」

「そうだったな。だが終わった事。この野分けで行ってみたものも帰れない。と言うのはどうです?」

「だが、この風雨で行くのは難儀だぞ。危ない・・」

と、三人は勝手に相談しています。


思わずおたきと顔を見合わせて笑ってしまいました。わたくしの事を考えてくれているのです。ただ、楽しんでいます。悪巧みです。このままではどういう風になるのか解りませぬ。


「わたくし、決めました!!」

皆、驚いてわたくしの方を見ました。


「ここを追い出された事にします。国元からの良い縁談を断って追い出されたと」


「待て待て、それでは角が立つ。そうじゃな、追い出されたでなく出て来たと言ってはどうか」


確かに追い出されたでは、竜之介様と甚衛門さんが陰険な関係になるかも知れませぬ。


「はい、国元からの縁談を断って屋敷を出て来ました。もう行くところが無いと言います」

「うむ、それなら良かろう。既成事実が出来た翌日には、儂らで荷物を運ぶ。それから祝いの宴じゃ。宴の用意も運ぼう」

「そうですな。それが良い」

「村井らも呼びましょうぞ」

「志乃さまの門出です。おらも行くだよ!」


 たちまち翌日の宴まで決まりました。わが屋敷の者は、宴が好きです。それから秋山様も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る