第21話・宴のあと
文禄五年(1596) 九月二十九日、夢の木屋開店祝いの宴の翌日
昨日は、盛大な開店祝いの宴だった。大いに盛り上がった。
いや少々遣り過ぎたかも知れぬ。
竜子姫が登場して皆が大興奮して、太閤さんのお祝いに湧いた。そして竜子姫のいなせな鏡開きに痺れて、夢の木音頭で大盛り上がりだ。
つまり、のっけからテンションMAXで突っ走ったのだ。その結果がどうなるか容易に想像がつくだろう。
実は俺は、それから先の事は良く覚えていない。だが終始笑い声が賑やかに満ちていたので、宴は悪くは無かったのだろう。二斗の酒樽が見事に空いた。
気が付くと俺は、店の奥の居間で寝ていた。もう日が高くなっている。頭が痛い。完全な二日酔いだ。今日は特に予定は入れていない。一日ゆるゆるとしていよう。こんな日があっても良いだろう・
そのまま、まどろんでいると「チリンチリン」と戸が開く音がした。来客が分かる様に、店の戸に鈴を付けたのだ。防犯上も良い。
(誰だろう・・・)と思ったが、俺は全く動く気分になれないでいた。すぐに、奥の戸も開いて俺の上に千代ちゃんがドンと乗って来た。
「秋山ちゃま、まだ寝ているの」
「・・うむ、飲み過ぎだ」
「お酒くさーーい」
と、言うが離れようとしない。
「志乃さんが来てくれたか」
「うん、きっとまだ寝ているわと言っていたよ」
読まれている・・・。まあ当然か。
「後片付けに来てくれたか・・」
「でも小父さんたちがいるから・・」
小父さんたち・・・、あっ、そうか。酔っ払った何人かが、そのまま店の中で寝ていたな・・。板張りにした三尺の床が、寝るのに丁度良かったのだ。六人ほどは余裕で寝られる。
ええと、店で寝たのは誰と誰だったかな・・・。まあどうでもいいか・・・。
「お屋敷の朝は大変なのだろう?」
「うん、沢山人がいて賑やかなの・・。朝飯はこちらでと言って来たの」
国元から人夫が入りつつあるのだ。事前に賄い担当の者と仮小屋を作る者が来て、日々の生活に慣れたようた。基本的に賄いや洗濯などの雑用は、彼らでこなしているのだ。
その上で物資の補給は山本どの、賄い全般はおたきが担当している。志乃さんは甚衛門さんの補助で、問題が出た時の対処をやっている。故に日々が雑用に追われている訳では無いのだ。
ちなみに大阪からの応援組は、それぞれ百名程度の人夫を指揮して頑張るそうだ。
音と匂いが台所からしている。志乃さんが朝食を作ってくれているのだろう。俺もそろそろ起きるかな・・・。
「千代坊、水を持って来てくれ」
「はい」
まとわりついていた千代ちゃんも用事を頼むとすぐに動く。そういうところはしっかりと躾がされている。やだーとかは言わない。
井戸からくみたての水は冷たくて旨いのだ。さすが酒造りの伏見の水だなと思う。・・って違うのかな、よくわからん?
千代ちゃんが汲んできた丼にたっぷりの水は気が利いていた。そして思った以上に旨かった。酔いが和らいだ俺は、床の間に置いてある物を見た。
太閤さんの感状がそこに紛れも無くあった。夢では無い。竜子姫がぶっ込んだサプライズだ。皆も俺もおったまげた。まあ、太閤さんの側室で淀殿の主筋に当たる竜子姫なら何でも無いことなのだろう。
京極家差配の磯野殿がそう呼んだから、俺も姫姫と呼んでいるが甚衛門さんに確認すると結構なお年らしい。若狭武田氏に嫁いで三・四人の子を成した。武田氏は本能寺の変のあと丹羽に与力して秀吉と戦った。そして戦いに破れて亡くなる。姫はその後に、秀吉に渇望されて側室となった。弟二人が大名に取り立てられているので断れなかったのだろう。
その本能寺の変が十四年前だ。
つまり姫は俺より年上で四十前だと言うのだ。この時代、女三十になると老女と言われて、褥から遠ざけられる。つまりあれはしないのだ。側室と言っても形だけだ。いや分らんな。竜子姫の楚々とした色香ではまだ充分にお呼びがあるか?
うむ・・・・、ならばいつまで姫と呼んで良いのだろう?
多分だが普通は嫁入り前までだろう・・・。しかし竜子姫はどう見ても志乃さんと同年代に見えるのだ。志乃さんは二十五才だ。ちなみに大阪城の淀殿と同じ年らしい。
ん、太閤さんに褒美を貰ったな。金一枚だ。見てみよう。
俺は、包まれた紙を丁寧に開けた。そして驚いた。
(天正大判だ!!)
秀吉が作った幾つかの金貨のうちの一つだ。高価すぎて一般に流通するものでは無くて、儀礼的に使われたらしい。江戸時代には通常の小判の十倍・二十倍以上の価値が有ったという。そして現代まで残ったのは僅か数枚だ。状態の良い物はとんでもない価値があるらしい。
この時代、金の価値が低くて多くの金貨が国外に流失したのだ。国内で金は銀の四倍が相場だ。ところが海外では十倍の価値がある。つまり銀を金に両替するだけで莫大な利益が出るのだ。
もはや商品の売買どころでは無い。外国のどの商人も血眼になって両替しただろう。それこそあっという間に日の本から金貨が激減しただろう。
その天正大判が、俺の手の上でキラキラと輝いている。
夢では無い。マジなのだ。うむ・・太閤さんのサプライズだな。
驚いたぜ・・・。
「竜之介様、朝の支度が出来ました」
志乃さんが顔を出した。二人きりの時は志乃さん俺をそう呼ぶのだ。あの時からだ。むふふ・・・。
それにしても「忘八様」では色気も何もあったものではなかったな。馬鹿みたいだ。よくぞ良い名前を付けてくれた。竜子姫アリガトー
三人で膳を囲んだ。朝食は宴の残り物の魚貝で出汁を取った雑炊だ。
う・旨い!酒で疲れた胃腸に優しいメニューだ。やっぱり志乃さんが来てくれて有難い。
「来てくれて忝い」
「はい、どうせ二日酔いで片付けも出来ないと思って」
「とにかく有難い。志乃さんが来なければ、今日は水だけで過ごしたかも知れぬ」
「駄目ですよ。ちゃんと食べなければ」
「駄目でちゅ、ちゃんと食べなちゃい」
「はい」
お叱りがステレオで来た。こうして娘は母に似るのだろうか・・・。
遅い食事を終えて、店の掃除をした。既に寝ていた誰かはいなかった。この時代ゴミなどは殆ど出ない。菰包みも返却するし、食べ残りもほぼ無い。少し出た紙包みは竈の焚き付けにするのだ。音楽を鳴らしたゴミ回収車は来ないのだ。朝なのに何故か音楽は、「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・」だった。
外に出て店を眺める。俺の店だ。障子に書かれた丸に夢の字が目立つ。
「良い所です」
志乃さんも一緒に眺めている。
「ああ、皆のお陰だ。昨日も一日世話になったのに、今日も朝から済まぬ」
「いいえ、わたくしの好きで来ているのです」
志乃さんの距離は近い。傍からみれば夫婦者に見える距離だろう。男と女の距離だろう。つまりあれだ・・・それがくすぐるように心地良かった。
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