第19話・満月の夜。
泉屋で両替して伊勢屋に向かう。ところが大通りが混雑していた。なかなか進まないのだ。
「秋山さま、各地から荷が入って来て渋滞しているだよ」
「うむ、そのようだな。よし回り道をしよう」
天下普請のための人や荷車が各地から入ってきているのだ。そのために主要な通りは混雑するのだ。
銭四十二貫目(158kg!)が銀に両替すると、軽く俺の懐に納まるのだ。重荷を取り去った俺たちは心も体も解放されていた。まったく銭の重さは厄介だ・・・・。
材木町も人や船荷で盛況だった。俺は伊勢屋の新左衛門に、建物代金銀五枚と店賃の半期分・銀二分と小粒を支払った。
「確かにお受け取り致しました。秋山様は伊勢屋の遠戚の伊勢の者として届けておきますのでな。そのおつもりで」
「それは、ご配慮忝し」
役人に届けるのに、どこそこのなにがしと届ける必要があるのだろう。俺の事情を知っている伊勢屋のご厚意に甘えるしかない。
それから泉屋の補強工事を受けたことを伝えた。
「泉屋さんの補強もされますか。それは良かった」
「それも伊勢屋さんのお陰だ。かたじけない」
「わては何もしてまへんで。ただ夢の木屋はんの手が入ってからは安心して寝られると言っただけで」
「それが良い宣伝になったのだ」
「お大名の屋起しは、ほぼ終わった。これからは商家の補強が流行りまんな。ちゃんと補強出来るのは、何と言っても夢の木屋はんだけやさかい」
と、伊勢屋のご宣託があった。
「材木町も天下普請となると大変だろうな」
「はい、それはもう。目が回るどころではありませぬ」
「ならば、夢の木屋の材木を纏めて頼んでも良いか?」
「そうされるのが宜しいと思います。あと半月もすると足の踏み場も無くなります」
俺は、補強工事に使う一寸三寸の胴縁と三寸角の柱材、四分厚の壁板を結構大量に購った。購入した建物の補修と隣の空き地に納屋を建てるためだ。これからさらに沢山の人夫が来て、町中で身動き取れないようになるかも知れない。その時には、ゆっくりと納屋造りをしようと思ったのだ。
「お買い上げありがとうございます。材料は夢の木屋はんの敷地に運んどきまひょ」
「頼む」
購った材木は、木曽屋で運んで置いてくれると言うのだ。それは助かる。
「胴縁だけは今日頼みたい。あとの物は急がぬ」
「畏まりました」
その日の夕餉の席だ。芳造とあと二人を明日借りる許可を貰った甚衛門さんはさらにこう言ってくれた。
「泉屋の仕事をしたことが広まれば、商家の仕事が沢山来ましょう。芳造・遠六を遠慮なく使いなされ」
「・・・心遣い痛みいります」
甚衛門さん、これから天下普請で忙しくなるのに、俺の仕事の事を考えてくれていたのだ。実に有難かった。
遠六と芳造は殿様の家臣では無くて、小倉家の奉公人なのだ。力の強い遠六と、芳造は若いときの経験がものを言って、大工仕事が上手かった。頼りになる二人だ。
「ところで秋山様。あちらの生活道具を揃えるのは早い方が良いですぞ」
「そうか。そうだな・・・」
大量の人々が伏見に来るのだ。当然生活に必要な物は品不足になろう。
だが、ええと・・・・・・・・・・。何を何処で揃えるのか、皆目見当がつかないぞ。・・・駄目だこりゃあ。
「わたくしが揃えます」
当然だと言う志乃さんの顔を見て、甚衛門さんの顔を見た。えっ、笑っている・・・仕込んだのか?
「それが良い。秋山様では屋起しのように上手くは行かぬだろうからな」
うぅ甚衛門さんの顔が、亀仙人になっている。完全に仕込んだな。
まっ、有難いことではある・・・。
その夜は、美しい満月の夜だった。縁側に座った俺たちは、その月を見ながら酒を楽しんでいた。
「暮れぬ間は 花にたぐへて散らしつる 心あつむる春の夜の月」
酒を飲みながら甚衛門さんがしんみりと言う。
「源頼政公の歌ですな。平安時代に源氏の長老を勤めた方です。武芸に優れて歌人としても有名でした。昼間は散りゆく花のように、一枚一枚散らした恋心を夜になれば月が集めてくれて、心は満ちている・・」
山本どのは、俺に説明してくれたようだ。
武将で歌人か・・。和歌を楽しむというのも、この時代を生きる彼らの奥深さの一部だな。現代人が無くしている慎みというものを感じるな・・。
「のぼるべきたよりなき身は木の下に 椎をひろひて世をわたるかな」
と、山本どのは、諳んじたあと付け加えた。
「頼政公は、この一句で官位を上げたと言います。憤懣を和歌で表わす、良い時代です」
登るべき頼り無き身ってのは、俺と同じだな。木の下に椎を拾いて世を渡るとは?・・・憤懣?
「椎とは、官位の四位を掛けているのじゃ。良く働いているのに長い間官位が上がらぬ事を嘆いている歌よ。だが、秋山様の境遇にも似ているな。こうすれば如何か?」
と、甚衛門さんは少し沈思してから、歌い上げた。
「登るべき頼りなき身は、夢の木の、枝に実を成し、あとをなすかな」
「お見事でござる。甚衛門様!!」
ありゃま、そうきたか。でもとても嬉しい。この人達と親しくさせて貰えるだけでも充分だ。俺の事をこんなにも思って貰っているのだ。
その夜半。俺が寝ようとした時、長屋の戸がすっと開いた。咄嗟に俺は枕元の刀に手を伸ばした。だが、その手をすぐに引っ込めた。戸口には白い月光があり、誰だか解ったのだ。
志乃さんだ。
志乃さんは無言で入って来て、横になったままの俺の傍に座った。
俺はそのまましばらく待ったが、志乃さんは何も言わないので問いかけた。
「どうしたのですか?」
「・・・月が、月が満ちたのです」
俺はその意味を考えた。
・・・あれか!「・・心集る春の夜の月」
たしか源頼政の和歌だったな・・・。「昼間は散りゆく花のように、一枚一枚散らした恋心を夜になれば月が集めてくれて、心は満ちている・・」と説明してくれた山本どの言葉が頭の中を流れる。
志乃さんの心が満ちたのだ。
腕を握って引き寄せると、志乃さんはすんなりと倒れ込んできた。
めくるめく甘美な時間だった。明かり取りの窓から入る月光に志乃さんの白い体がくねった。俺はしなやかにくねる志乃さんの中で果てた。
スッゲー気持ち良かった。志乃さんスレンダーなのに巨乳で吸い付くような肌をしている。俺、昇天したな何度も・・・。
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