第16話・夕立

文禄五年(1596) 九月十四日


この日は補強工事を十棟こなした。二手に別れて、半日で作業を終えた。午後からは翌日の準備をする。職人仕事は、段取り九分なのだ。いかに万全に準備をするかで早さが決まる。


俺たちは、材料の買い出しと運搬、事前の切断、御用聞きにと別れた。俺と山本どのは御用聞き担当だ。


俺は、伏見湊に近い佐竹家や村上家・高山家を回っていずれも補強工事の商談を成立させた。

全てが蜂須賀家の戦支度の屋起しの評判を聞いての依頼だ。あれ以来、南にある大名屋敷の依頼がうなぎ登りなのだ。まさに竜子さまさまなのだ。


高山屋敷は材木町にある。ここまで来たついでに、伊勢屋に向かう。湊周辺は混雑していた。太閤さんは、今の城の復旧を諦めて、後の山の上に築城を始めたのだ。


天下普請だ。全国の大名家から大勢の人夫が集りつつあり、伏見湊はその喧噪の最中にあった。


荷船が接岸して荷を降ろして、水上にも多くの船が順番待ちしている。桟敷周辺には、荷車に積み替えて運ぼうと人が順番待ちしていた。

 捻り鉢巻き褌一丁の人足が殆どだが、指示役の武家もチラホラといる。


しかし、空模様が怪しい。

黒い雲が早い勢いで広がってきた。そう思う間も無くゴロゴロという腹に響く低い音がしてきた。


(夕立だ・・)

急いで何処かに逃げこまなくては・・・。

伊勢屋の作業場にしよう。作業場の隅には、屋根を掛けた休み場があるのだ。そこまで一町(約100メートル)ほどだ。間に合うか・・・


護岸沿いを急ぎ足に南に向かう。すぐにポツポツと雨が落ち始めた。俺は出がけに渡された傘をかぶっている。少々の雨なら平気だ。気遣いありがとう、志乃さん。


「ひゃー、夕立だ!!」「逃げろー」

人足達も雨除けを求めて散り始めた。通りはまるで蜘蛛の子を散らしたような有様だ。


伊勢屋まであと半町か・・、どしゃ降りの夕立が早いか、屋根の下に逃げ込むのが早いか。雨粒は次第に増えてゆく。周囲は急に暗くなってきた。地面はたちまち濡れ始める。


その時人混みの中で一人だけ違う動きをする者がいた。こちらに向かってくるのだ。流れに逆らいながら人足の男が俺の方に走ってくる。


その男との間合いを計りながら、ぶつかる寸前で俺は後ろに飛んだ。するとその男は足を滑らしたか後ろ向けに派手に転倒して、走り込んできた勢いそのままに川に滑り落ちた。


「だれか落ちたぞ!!」「馬鹿なやつだ」「川に逃げてどうする」

人足たちのゲラゲラと笑う声がする。

俺は伊勢屋の作業場に入り、屋根の下に駆け込んだ。途端に大粒の雨がどっと音を立てて落ちてきた。バリバリバリと凄まじい雷の音が響き渡る。



「旦那、滑り込みで助かりましたなあ」

伊勢屋の作業場には顔見知りの者が何人かいる。木挽き職人だ。その職人らが場を譲ってくれた。ここまでは人足らは入って来ない。


「うむ、助かったぞ」

 まさに滑り込みで二重に助かったのだ。あの男は明らかに俺を狙っていた。短い棒のようなものを持っていたのだ、それが俺の体を掠ったのだ。まさに間一髪、足元が滑ったお陰で助かった。


(何者だ・・・)

何者かは不明だが、最近見張っている目を感じるのだ。だから俺は、礫の稽古を始め、そして常に持参しているのだ。

(だが、袂の礫に手を触れる余裕は無かったな・・・)

と、手拭いで頭を拭きながら思った。


礫の巾着袋は右の袂に入れている。咄嗟の場合、左手で巾着を取りだして、右手で中身の一つを取って撃つ。そう考えての事だ。着物は左側が上になって、右手で無いと手を突っ込めないのだ。


時期遅れの夕立だった。

どしゃ降りもすぐに上がり、まだ夏を感じさせる日光が水たまりに反射して眩く光った。職人らはやりかけの仕事をするために、それぞれ道具を持って外に出る。


「虹だぜ・・」

築城中の城の方向、山手の方に大きな虹が出ていた。

「ほう、普請を始めたお城に、虹が出たか」

「天も太閤さん贔屓じゃな」


おいおい、虹は単なる自然現象だぞ。太閤さん贔屓なのはあんたたちですから・・、と思った時、ふいに笑いが込み上げてきた。


 通り雨に紛れて襲ったにもかかわらずに、足を滑らせて標的の目の前を滑って行ったのだ。その男の戸惑ったような情けない顔を思いだしたのだ。


「はっはっはっはっは」

俺は堪えきれずに大声で笑った。



「国元から、いつ頃人が来ますか?」

と、その晩の酒席で甚衛門さんに聞いた。

新しく山の上に城の建設が始まり、伏見は日を追うごとに人が激増している。関白さんによる天下普請なのだ。


今の城を作るのに二十五万人もの人手を使ったと言う。新しく作る城はそれ以上に人手が必要だとも。

それらの人夫全ては、諸大名が国元から徴集するのだ。すぐに伏見の町は、足の踏み場も無いほどの人出になるだろう。


「うん、普請奉行・大山源十郎様を筆頭に家臣十名・人夫五百がもうすぐ参る。来月になれば段階的に来よう」


「五百・・・・」

皆が絶句した。その人数を上下屋敷でみなければならないのだ。寝るところもいるし、毎日の食事の世話はまさに戦場そのものだろう。


「とんでもない数ですな」

「そうよ。国元では領民も侍も、たび重なる労役にみな喘いでいるわい」


 既に国元では、大勢の人夫を動員しての苦役が始まっているのだ。緒大名は派遣する膨大な人夫の為の住む場所の材料を揃えるところから始めなければならない。勿論、食料や銭も膨大に必要だろう。伏見湊が混雑する筈だ。


 朝鮮の役、そしてこの天下普請だ。苦役の上にさらに苦役なのだ。だが拒否することは決して許されない。

大変だぁ、サムライ稼業も・・


「ところで秋山さん。余震で同業者がいなくなった噂はご存じか?」

「・・それとなく聞いております」


屋起し屋の仕事をする同業者が五組ほど出来ていた。俺たちは実際に町中で出会った事も何度かある。ところがこの間の大きな余震で、彼らの施工した建物がかなり倒壊したのだ。怪我人・死者も出ていた。その事を知った同業者は雲隠れしたのだ。


「ほれ、例の合田某も怪我をしたようですよ。銭を惜しんで流れの屋起し屋を入れたらしい」

「ほう、さようか・・・」

いくら傲慢親父でも、怪我をしたとあれば悪口を言うのを避けた。夕方襲われかけた事も黙っていよう。余計な心配を掛けたくない。特に志乃さんに・・・


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