第12話・商談不成立
文禄五年(1596) 九月十一日
それから三日経った。
夢の木屋への仕事依頼はおおよそ順調に来ていた。おおよそと言うのは、依頼の中には受けることが出来ない案件もやはりあったのだ。
初日に作業した池田家の親類の池田三左衛門屋敷は、広大な敷地に建てられてある屋敷が大きすぎて俺たちではとても手が出せなかった。
池田三左衛門と言えば池田輝政の事で、後に現存する国宝・世界遺産の姫路城を作った大名だ。伏見城の普請も手がけたようで、大規模な普請を得意とする人だ。
俺たちは倒壊を防ぐ仮の突っ張りを入れた後に、丁寧にお断りした。向こうもそれを理解してくれたのだ。落ち着いたら人数を入れると言っていた。
池田三左衛門屋敷から大手筋を鋏んだ向かいも池田屋敷だ。この屋敷、当主は三左衛門の実子だ。両家共に大手門のすぐ近くにあり、池田家がこの時代いかに大きな力を持っているかが良く解る。
次に多い案件が、無償でして貰えると思われることだ。特に稲葉という家の合田という差配は酷かった。
「おい、そこな者ら我が屋敷も起こしてゆけ!」
と、移動中の我らに声が掛かった。そういう風に移動中に依頼の声を掛けてくることは多い。だが、こいつの様な上から目線で言われたのは初めてだ。
むかつく気持ちを抑えて、俺と山本どのが見積りに入り、傾いた建物を確認して先方に条件を伝えた。
「な・なにい、銭を取るのか!」
と、合田が目を剥いて言う。
「はい、我ら仕事として屋起しをしておりますれば」
「困っておる者から銭をふんだくるとは、不届きである。無償にて行なえ!」
と来た。まあ気持ちは解らんでも無い。今町場で行なわれている救助作業や炊き出しなどは無償の奉仕なのだ。だが俺たちは仕事としてやっている。そこは譲れない。
「暮しを立てるための生業ですので、それは出来ませぬ」
「生業だと、たかが、綱を引いて家を起こすだけであろう」
「そうです。たかがそれだけ、ですが糧を得るための大切な生業です。故に、ご当家の依頼はお受けできませぬ。ではご免」
たかがそれだけ、ならば自分たちでやれば良いのだ。俺はむかつく気持ちを抑えた。丁重にお断りするしか無いのだ。
俺たちは軽く例をして引き返そうとした。それに合田某は、目を吊上げて噛み付いてきた。
「まてい、我らの窮地を見過ごす不届き者は、このまま捨て置かぬぞ!!」
おっさん、今にも刀を抜いて打ち掛かってきそうだ。
この態度に、穏健な山本どのもさすがに切れたようで敢然と言い返した。
「我らは、ご当家の家臣でも領民でも有りません。それを脅してただ働きさせようとする事こそ不届きでありますぞ。こんな事が世間に広まったらどうなるのか考えなされ!」
と、毅然として山本どのは言った。さすがの傲慢合田くんも顔色を変えたが言い返すことは出来無かった。山本どの、かっけー
帰って甚衛門さんに報告すると、こんな事を言った。
「稲葉家の合田は、傲慢けちの嫌われ者です。誰も相手にしません」
ここで合田くんの傲慢は有名なのだ。どの時代でもいるのだなあ、ああいうの・・・。
「しかし、ああ言う輩は根に持つ。くれぐれも油断するでないぞ」と注意された。
えぇ、根に持って仕返しか・・・。あるのかな?気を付けよう。
ともかくも初日に四棟、二日目に五棟、そして昨日は六棟をこなした。材料と道具代、手間賃を差し引いて既に十貫目近くの利益がでていた。道具の償却も終えていたので、あとはやればやるほどに儲かる勘定だ。しっかり稼ぐぞ---と。
伏見の地理もおおよそ分った。
南の宇治川に掛かる肥後橋からの道は、渡った所で一旦西に折れてから真っ直ぐに北に延びる。それが町の中心となる大通りで京町通りとも言う。
大通りを北に進むと、替え銭を営む銭屋が住む銭屋町通りがあり、その先は京の都に通じる京街道になる。
また筒井屋敷から南に二つ目の筋が、お城の大手門へと続く大手筋だ。
ちなみに南北に延びる道が通りで、東西の道を筋と呼ぶ。
大通りの左右は商家が並び、その東は大名屋敷が城まで続いている。大通りの西は商家や町屋・職人町や武家屋敷が混在して外濠がある。外濠の西にも町屋や武家屋敷が沢山あるらしい。
宇治川の向こうは向島と呼ばれて、伏見城の出城だ。一帯が徳川大納言の屋敷になっている。道は南山城や大和に続く大和街道が繋がっている。そこは太閤さんが新たに作った堤らしい。その肝心な橋や出城も地震で壊れて大勢の人夫が出て修理をしている。
夢の木屋を真似て屋起しの仕事を始めた者もいるそうだ。「家起し屋」とか「屋直し屋」「屋戻し屋」など似たような名前なのが笑える。
同業者、俺としては大歓迎だ。毎日余震が続いている。沢山の同業者が出て一刻も早い屋起しが出来たら良いのだ。
今日の三軒めの屋敷は、外濠の西にある京極屋敷だ。外濠の外に出るのは初めてだった。
濠の傍には沢山の町屋が並んでいた。その中に大名屋敷がポツポツとあって、町屋の西にも大名家の大きな屋敷地が続いている。
外堀に掛かる橋は、毛利橋という。基本的に橋を守る形で大名屋敷が配置されて、そこから名前を付けているようだ。ここは橋のたもと濠の内側に毛利家屋敷がある。
京極丹後守は、あの浅井家三姉妹の三女・初が嫁いだ京極高次の実弟だ。兄は交通の要衝・大津に、弟は丹後宮津に領地を持ち、兄弟で大名家に名を連ねている名門だ。
京極家の建物も結構危険な状態だった。どうも被害が大きい地域が伏見の中央を横切っていると感じた。筒井屋敷や池田屋敷、お城の天守もその辺りにあるのだ。南もやや被害が大きくて、北になるほど少ない気がする。
兎も角も屋起しは順調に進み、火打ちの取り付けを残すのみだ。それに垂井と村井があたり、木村は留吉と片付けをしている。四日目になると皆手慣れたものだ。特に指示などは不要なのだ。
「いやあ、これで安心して住めまする。夢の木屋どの、早速の屋起し忝いことです」
と、京極屋敷差配・磯野六右衛門の真に迫った言葉を受けた。
「いえ、こちらこそ、「おおきに」でござります」
「はっはっは」
京極屋敷の屋起しも無事に終わったのだ。ここまでは順調な普通の一日だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます