第9話・仕事の準備


「秋山様、よう見えられましたな」


英蔵親方の土場に来ると、英蔵が笑顔で迎えてくれた。そこには顔馴染みになった職人たちもいて、彼らも軽く頭を下げてくれた。だが人数は少ない。

親方の元には十人ほどの手元がいる。ここに居るのは三人ほどでしかなかった。


「なにせ依頼は多くても、まだ材木が足りやせん。それで甚五郎たちは倒れた建物の建て直しをしてまさあ」

 俺の考えを読んだ英蔵はそう言った。甚五郎というのは、親方の番頭格で、職人たちの指揮が出来る者だ。


ともかく甚衛門といい英蔵といい志乃さんといい、この時代の者は、人の気持ちを察するのに長けている。それは些細な事でも寝首を掻かれかねないこの時代の用心なのだろうか?


とにかく繊細な感覚と厳しく鍛えられた強さ優しさを英蔵や甚右衞門さんは持っている。


「実は親方に教えて貰いたいことがあって足を運びました」

俺は、事情を英蔵に伝えた。


「なるほどそれは良いことで。秋山様でしたら間違いの無い屋起しが叶いやす。それは伏見の復興に弾みが掛りやす」

と、親方は賛成してくれた。


「そうですな、京では一人前の大工の相場が百文。屋越しだけの手なら五十文もあれば充分だ。手元を八人、板材や釘もいる、金槌や下げ振り、梯子や綱などの道具もいる。ふむ・・・四八母屋を一日に四棟出来るとすると、一棟あたり一貫文ぐらいが適当かな・・」


と英蔵親方が仕事の相場を考えてくれた。職人のあいだでは、陣屋型の屋敷は四八母屋と呼ぶらしい。二間八間の長屋は二八長屋だ。


「四八母屋一棟あたり一貫文か、かたじけない」


今の俺に相場は分らない。ともかく親方の判断に従えば良いのだ。それ以外にも色々と銭が必要になる筈だ。税はどうなる?


「いや、これくらい何でもねえことでさぁ。それより金物屋や材木屋に紹介致しましょう。代金を後払いにして貰えれば、好都合でしょう」

「是非ともお願い致す」

 道具と材料の代金の事は、考えていた。後払いが出来ぬなら、甚衛門さんに借り入れするしか無いと思っていたのだ。


「その前に、秋山様の商売名を決めなされ」


仕事を始めるためには、まず商売で使う通り名を決めなければならない。要するに屋号だ。ちなみに英蔵親方は、「大和大工・英蔵」というシンプルなものだ。


俺は屋起しを手始めに、ゆくゆくは家具など生活道具を作っていきたい。そこのところも考えにいれて「夢ノ木屋(ゆめのきや)」とした。俺にとってタイムスリップしたこの時代は、まさに夢のようなものだからだ。


「ゆめの木、夢ノ木屋ですか、なかなか良い名ですな。では行きましょうか」


道具屋の伏見屋、材木屋の伊勢屋が英蔵親方の紹介ならばと、後払いを了承してくれた。


ここでなんと甚衛門さんが芳造に一貫文の銭を持たせてくれていることが分った。

一貫文は一千文だ。

甚衛門さん、何という機転と太っ腹、ともかく感謝感激、アリガトー、有難く使わさせてイタダクヨ。


まずは伏見屋でメモ・いや忘備録にする紙五十文と携帯用筆記具である矢立三十文の二つを購入した。紙はかなり高価だ。


帰って紙をB5ぐらいに小さく切って、それを閉じて覚え書きにするつもりだ。

まずは聞き込んだそれぞれの値段を書き込んでゆく。商売はきちんと忘備録を取らなければ成り立たないのだ。


仮筋交いに使う胴縁が一束十二枚入りで三十文、

つっかい棒に使う二寸角の垂木一間半もの、一束九本で二百七十文、

釘十匁が二十文、

金槌、四十文、

一間半の梯子、五十文、

麻の丈夫な綱、十間が三十文、

一尺の横挽き鋸、三百文、

下げ振り、七十文、

それと大きな買い物が大八車だ。木材や道具を運ばなければならない大八車が五百文。


「金槌と梯子・綱が二つずつ。道具類が一千二百文か、これは初期投資だ。材料は胴縁が四束と垂木一束、釘が百匁で五百九十文。垂木は何度も使い回しができる。合わせて一千七百九十文。手間五十文が八名、一日四棟やり終えたなら減価償却出来るな・・」

 なるほど、英蔵の言う一棟一貫文は良い線である。さすがだ。


ひとまず帰って甚衛門さんに相談する事にした。と言うのは、梯子・綱・大八車は屋敷の物を借りられないかと思ったのだ。

それだと初期投資が大幅に少なくなる。


それに顧客との折衝を山本どのに頼みたいのだ。

山本どのは小倉家の勘定方で算術や相場に詳しい。顧客との折衝は、慣れれば勿論俺にも出来るだろうが、異邦人の俺では最初は心許ない事甚だしいのだ。

ここまでの必要な買い物の合計は一千百三十文だ。



「良いとも、当家にあるものは使いなされ」

 一貫文のお礼と梯子などの道具を当座の間使わせてはくれないだろうかと甚衛門さんに相談した返事だ。


「ありがたし、収入を得たならその分の賃料を出します」

「それは無用じゃ。その替わりに納屋を建て直ししてくれぬか」


甚衛門さんは、賃料の代わりに倒壊した納屋を建て直してくれと言う。それは願っても無い好条件だった。なにせ、そのままの道具で出来る仕事だ。


「承知しました。地震にびくともしない丈夫な納屋を建て直します」


「お願いする、だが急ぐ必要はないですぞ。さしあたって納屋に入れるものも余りない。道具などは空いた長屋に放り込んでおりますでな」


 これで、気兼ねなく屋敷の道具類を使える。ありがたい事である。


山本どのを屋起しの要望があった屋敷への折衝役の件も頼んだ。もちろん俺も同行して屋起しをする建物の見積りをしなければならない。


「屋起しの依頼が来たのは、当家宛じゃ。山本を遠慮なく使いなされ」

これも快く引き受けてくれた。


 早速山本どのと交渉の打ち合わせをする。まずは、屋越しする建物の四方を見せて貰い、俺が費用を算出する。お相手方に求める条件は、


 屋起し作業には、それなりの者が付き従って貰うこと。

 起こしたあと仮筋交いの板を打ちつける、その許可をして貰うこと。

 作業で、柱や壁などに多少の傷が残ること。

作業の費用は、終了後即金で頂くこと。

屋起し以外の作業には関与しないこと。


支払いを受けたあとに渡す書き付けを、彼と相談して紙の最後に書いた。夢ノ木屋・秋山忘八と署名をする。


 結局俺は、下の名前は忘八としたのだ。浮世の事は全て忘れたと言う意味だ。

記憶喪失となった俺に相応しい名前だ。山本どのはそれを見て呆然としていたが、何も言わなかった。



早速、山本どのと中間の芳造の三人で依頼があった隣屋敷に向かう。依頼があったのは南隣の加藤家と東の池田家だ。


「ご免下され、某は筒井家の山本と申す。昨日依頼があった件で参った」

 門番にそう伝えると、


「早速のお運び、かたじけない。某、当家差配山田壱之進でござる」


「某、秋山忘八で御座る。故あって筒井家小倉様のご厄介になっております。この度、地震からの復興の為の屋起しの仕事を行なうことに成り申した。当家にご要望有りと聞いて伺いました」


挨拶は、甚衛門さんと相談した内容だ。


山田差配の案内で、肝心の建物を見せて貰う。建物は、筒井家と同じ四八母屋だ。

 建物は、つっかい棒でなんとか支えられていた。そして確かに結構怖い傾き方をしていた。俺が来た時のような大きな余震があれば、或いは倒壊の恐れもある。ここに住んでいるのだ、まさに早急に手入れしてくれと嘆願するはずだ。


「秋山どの、こちらは我が方の条件を全て受け入れてくれましたぞ」


俺が建物を見ている間に、手筈通り山本どのがこちらの条件を説明してくれたのだ。


「そうですか、では母屋一棟の屋起し代金は一貫文。仕事は明日にも可能です」

「即金でお支払い致します。どうか宜しく頼みます」

これで、加藤家屋起しの商談成立だ!。


次は背中合わせにある池田家だ。

池田家と言えば、信長の親族衆の大大名である。池田家の敷地は、筒井家と加藤家を合わせた長さで、馬場にでも出来そうなほど南北に細長い。その長い塀を北に進んで行く。


「池田様は羽柴の名乗りを許されて、この道は、羽柴長吉屋敷と呼ばれています」

「そうでしたか・・・」


池田家の敷地の殆どは、木々が茂る森だ。建物は四八母屋が二つ建てられている、他に二八長屋も数棟ある。だが、人気は無く閑散としていた。

 ここは母屋二軒とそれに繋がった四間三間の台所、この台所の傾きが大きい。それと四間二間の食物蔵も屋起しが必要だ。


池田家の差配は前田彦五郎どのだ。前田どのと、四棟屋起しで代金三貫文で商談が無事成立した。


 これで一旦筒井家に戻った。明日は初日だし、この二件で手一杯だろう。それよりも今日の内に、材料などを揃えなければならない。

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