第7話・胡乱な者たち

文禄五年(1596) 九月七日


その日も、町中の救出作業を続行した。残暑が厳しいが、現代のような体温を超える温度では無く、実は俺には割合と楽に過ごせる気温だ。


「秋山様、一服しましょうな」

と、顔馴染みになった英蔵親方が声を掛けてきた。


そうだな、と瓦礫に腰を下ろして並んで座った。彼の手元たちは少し離れた所で腰を下ろしていた。

英蔵は盆に乗せた徳利と湯飲みを持っていた。


「これは地元の酒を井戸で冷やしたものでさあ、どうですか一杯?」

「おう、頂こう」


地元の酒って、ここは伏見なのだ。

この時代以降の日本酒のトップブランド、本場である。なにを隠そう未来の俺も、伏見の酒を愛飲していたのだ。毎日2Lは軽く飲んでいたアホだ・・


程良く冷えた酒は、喉も五臓六腑も心も癒やしてくれた。旨いと思わず言葉が出る。マジ旨い。

昼酒は癖になるほど甘露なのだ。


「全くで。ところで今日はお腰の物をお持ちですな」

「うむ、志乃さんがうるさくてな・・」


俺が無腰で行くといったら、「なりませぬ」と言われたのだ。

それで仕方なく脇差しのみを腰に差して、隠居した老人のような格好で出て来たのだ。


さすがに大刀を持っては作業がし難い。この時代の武士は、普段は二本の刀を差していない。太刀か脇差しかどちらか一本だ。


池波小説では剣客の老人・秋山小兵衛がこうした格好で良く外出していた。それを俺は思い出していた。悪くない・・


「はっはっは。志乃様は誠にお優しい気質なのに、一本筋が通った気がお強いところがありますからね。まあ、それが武家の女ですが。その志乃様に秋山様はよっぽど見込まれたのでしょう。でもね秋山様、町場ではやはりご身分が解るものを身につけていた方が良いですよ」


「ああ、それは甚衛門さんにも言われております」

他の武家や町人ともめ事になった折は、武士であるとハッキリと解る格好が必要と言われていた。


もし身元を聞かれた場合、”伊賀筒井家の伏見屋敷差配小倉家の食客と名乗れ”と言われていた。

甚衛門さんは懐が深くて、細かなところにも良く気を回してくれる俺にとって実に有難い人だ。


「ところで秋山様は普請の経験もお有りだそうで、筒井屋敷の傾いた建物の屋起しを朝飯前に片付けたとか・・」

と、ニヤニヤしながら英蔵は言った。


「それはそうだが、ちと話が早すぎないか?」

今朝の事をまだ昼前に知られているとは驚きだった。


「いやなに、ここに来る前に、小倉様にご機嫌伺いに行ったのでさあ。お怪我をされたと聞いて見舞いがてらに行って来ました」


「左様であったか・・」

それを聞いて全て解った。昨日英蔵親方と知り合いになった事は甚衛門さんに話している。と言う事は、俺のおおよその事情は、英蔵親方の知るところとなった訳だ。


まあ、おおよそのところと言ったって、瓦礫か抜け出して志乃さんと甚衛門を助けて世話になっている。たったそれだけの事なのだ。何も無いっていうのは、気楽なことだ。


「秋山様の屋起しした建物を見せて貰って、なるほどとわっしも納得しやした。ああいう所に筋交いがあれば倒壊しなかったのかと」


 そう言えば、この時代の建物は筋交いを入れるという考えが無いのだ。


勿論、建築初めの建て方の時には仮筋交いで固定するだろうが、完成時にはそれは全て取り払われて無い。

陣屋造りの建物は、実際の戦場では殆ど板壁で固められていて、それなりの強度があるだろう。だが、居住のために開口部を多用した屋敷では強度が極端に劣っている。


「あれはこれからの余震で、さらに被害を出るのを抑えるために入れたのだ。揺れが落ち着いたら外したら良いのだ・・」


「いえ、とんでもありません。揺れが納まっても取ったらいけませんや。それに火打ちも当たり前に必要だ。我らも、今回の事を教訓にしなければなるめえ・・」


 現場の職人たちは、量産された定型建物を流れ作業のように組み立てただけなのだ。火事場のような忙しさで、余計な作業をする暇はなかったろう。


「もともとこの国の建築は、開口部が多すぎるのだ・・」

俺は思わず、そう呟いてしまった。


言った後で、”この国・・”はまずかったかな、と後悔した。親方も変な顔で見ているよ。やっちゃったかなww・・


たしかに・・と呟いた親方は、そこを追求はしなかった。


「最近は地震が多かった、これを見越してお城は、なまず大事に造られておったようですが、それが持たなかったのは何が原因と思いやす?」


確かに城は材木の大きさ・木組みの構造も強度も普通の屋敷とは桁違いに大きいだろう。

それが持たなかったとすれば・・・・・。


「勿論間取りもあるだろうが、一番大きいのは屋根の重さかも知れんな。それに大きな建物を建てるのには、少し地盤が弱かったのかもしれぬ」

屋根組の構造の立派さも桁違いだろうが、その上の豪華な屋根瓦の重さは、揺れたとき倒壊の大きな原因となる。


「・・・なるほど、それで天守が・・・・・、それに大きな間取りの御台所が倒壊したと聞きます。まさに秋山様の仰る通りですな・・」

と言って、少し間を置いた。


「地盤が弱い・・・なるほど。太閤さんもそれをご存じか、ここでの再興を諦めて山の上に築き直すそうですな」


 完成直後に倒壊した伏見城は、横の木幡山に改めて築き直される。これで我が国有数の城郭都市であった伏見は、単なる城下町になるのだ。歴史好きの俺としてはちと残念だ。


 でもまあ結局、天下分け目の戦いの前哨戦で城も町も完全に焼け落ちるのだけれども。・・・・あと四年か、その時には俺、どうしているのだろうな・・・



その日も大勢の人を助ける事が出来た。


それ以上に死人も多い。

郊外に埋葬する場所を設けたとかで、武士団や町衆が死体を戸板で次々と運んでゆく。そこには数百の土饅頭が並んでいて、大勢の僧が並んで経を読んでいるらしい。線香の匂いがここまで風に乗って来る。


大手筋を侍の列が盛んに通過して行く。南の方向・大阪や大和からの応援部隊がどんどん到着しているのだ。


それらは当然真っ直ぐに城に向かって行く。

どうやら城内でも大きな被害が出たようだった。

だが太閤さんは無事だという。

その武士団の一部が町中に出て来て、町衆の救助に当たっている。そのおかげで作業が随分と進んでいる。



「それにしても侍たちは親切だな・・」

目にするだけでも多くの武士たちが救出作業に当たっている。


さらに武家屋敷からの炊き出しは大掛かりで手厚い。それほど武家が町衆のために親身になってくれるとは想像していなかったのだ。


「なあに、太閤さんのご命令でしょう。なにしろここの町衆は、太閤さんの呼びかけに応じて各地から集った者たちですからね」


 そうだったのか。


確かに伏見は新しい町だ。中心となる城と碁盤の目のように町を計画的に整備して、そこに住む者たちは領地から呼び集めたのだろう。


それ故、町衆は秀吉の事を”太閤殿下”や”太閤様”ではなくて”太閤さん”と気易く呼ぶ。権力者に対する恐れよりも、おおらかな親しみを持っていることが呼び方に現われている。



その日、救出作業をしている者たちの中に、胡乱な動きをする者たちがいて目をひいた。

人数は五・六名で武士のような格好をしていたが、なぜか雰囲気が違う。何が違うのかと考えてみると、それは姿勢だと思った。


武家たちは作業していてもその姿勢は一本筋が通ったようにシャンとしている。だが彼らにはそれが無い。姿勢が悪く屈んだ不自然な動きに卑しい感じがするのだ。そして一応に険しい目つきで移動しているのが遠目にわかる。


「秋山さんも気が付きましたか。あまり見ねえほうが良いですよ」

頭領が作業しながら目線を合わせずに言う。俺もヤバい気がしてチラ見だけに留めていた。


周囲の者は明らかに彼らを避けている。誰だってあんな連中に関わりたくないのに決まっている。俺の頭の中に乱派・素波と言う言葉が頭をよぎった。胡乱な者とは彼らの様な者たちだろう。


 ふいに彼らの動きが停止した。通路に置かれている遺体を見ている、例の忍びの者たちらしい三人の遺体だ。


(死んだのは、奴らの仲間だったのか・・)

 しばらくして彼らは何処かから大八を引いてくると、遺体を運んで去って行った。


 太閤さんのお膝元であるここ伏見でも、忍びの者らの暗闘があるのだ。いやここだからこそ、有るのかも知れない。ここ伏見は、まさしく天下の中心となる町なのだ。



俺はふと思った。豊臣家の忍び衆と言えば何処だろう?


記憶に無いな、秀吉の主君で伊賀を焼いた織田家には甲賀の者が仕えたか?、配下の滝川という大名も甲賀者だったな。


筒井氏の領国は伊賀だが、伊賀衆は徳川も囲っていた。


関東の北条は風魔衆、中国の尼子は鉢屋衆、伊達の黒脛巾組、上杉の軒猿、その他多くの武将も乱派や忍びの者を抱えていた筈だな。


あ・あと真田忍者は有名だったな。霧隠才蔵や猿飛佐助か・・彼らは実在していなかった人物らしいが。


 この時代は忍びの者の暗躍は数え切れないほど有るだろう。

なにせ豊臣から徳川への態勢替わりの時期だ。


東につくか西につくか、あるいは中立か。様々な思惑が渦巻く各地の大名の命を受けた忍びが、昼夜を問わずに無数に暗躍しているのに違いない。


「町衆の救助も一区切りがついたようで、わっしらは明日から大工仕事を始めます。立て直しの依頼の数がとんでもねえことになってまさあ」

英蔵は帰りにそう言った。


一区切りついたと言っても隣近所のご町内の事だ。

具体的には、筋と筋に囲まれた町内だ。伏見の町全体は広大で、とてもそこまでは手が回らない、他の町はそれぞれの町衆に任せるしか無いのだ。


実は英蔵はもう少し南の町の住人だという。その辺りは、職人や人夫が多く救出の手が足りているとみて、こちらに来ていたのだ。こちらに手がけた建物があり気にもなったのだという。


英蔵の言葉で、俺も明日からどう動こうか、とぼんやり思った。


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