第4話・町衆の救出へ
伏見の町は、北に向かって緩やかに勾配があって町を見通しやすい。城のある東の方向に山があり、そちらにも次第に高くなっている。
その見晴らせる土地全体が碁盤の目のように整備され、無数の建物が見えている。その全てがここ二・三年に出来た新しいものだ。
天下人たる太閤・豊臣秀吉のいる伏見の町は、巨大な新興都市で日本有数の城郭都市なのだ。
町には大勢の人が出て、倒壊した建物の下にいる者を助けようとしていた。俺もそれに加わった。とにかく広い町だ、幾ら人手があっても足りない。
倒壊した建物の下から声がすれば、瓦礫を取り除き、材木をこじあげて人を引っ張り出す。
軽傷の者はそのままに、重傷の者は戸板に乗せて運ぶ。通りには、そういう救護所が何カ所か出来ている。
通りの両側には大きな商家が立ち並んでいる。そんな大店はしっかりとした造りが多く比較的無事なのだ。だが裏にある安普請の長屋などは、かなり倒壊している。
とにかく死んだ者は後回しだ。生きている者を一刻も早く助けなければいけない。
幸いにまだ火が出ていない。地震が起こったのが、台所に火の気が無い早朝の事だったのが幸いしたのだろう。だが、まだ安心は出来ない。竈には埋火があるのだ。過去の大震災でも、しばらくしてから火事が発生して広大なエリアを見るも無惨に焼き尽くしたと言うことがあったのだ。
(死んでいる・・・)
裏通りだ。建物の下敷きになった死体があった。
その死体は、肌を出さない厚手の着物に頭にスッポリと頭巾を被っていた。暑い季節に相応しくない格好だ。
丈夫そうな手甲に指にも布を巻き、絞った袴の裾に足元も厳重に固めている。
(伊賀袴・・忍者か?)
付近にはそういう死体が三体もあった。
紺色の着物が黒く染まっている。よく見ると、右手には抜き身の短刀を持っている。おそらく、昨夜の地震の前にここで闘争があったのだろう。
やっぱ、戦国残っているゎ・・・・・
伏見と言えば京の都の一部で、日の本の中心。豊臣の居城・大阪城も近い。全国の大名が集う場所だ。忍者が深夜に闘う事もあるのだろう。
(こいつは生きているぞ・・)
三人から少し離れた所に、塀の下敷きになっている男がいた。服装が他の三人と違う。
或いは三人と闘った者かも知れない。他にそういう者は見当たらないと言う事は、一対三で闘って打ち破ったのだ。相当な手練れだろう。
こいつは覆面を付けていない。年は俺と同じくらいだろうか、三十半ばに見える。日焼けして精悍な、見るからに強そうな顔だ。刀も抜いていない。
柱をテコに一つずつ乗っている瓦礫を浮かして、ゲタを噛まして固定する。
念のために言うと、ゲタとは足に履く下駄では無い。持ち上げた空間に置いて支える物だ。石とか木材とか、とにかく上部の重さに耐えられる物なら何でも良い。
男の胸に乗っていた壁を持ち上げたとき、男は目を開いた。そして不思議そうな目で俺を見た。
「気が付いたか。地震があったのだ。お主は建物が壊れて下敷きになった」
「・・・・覚えている」
男は回りを見回した。その視線は鋭かった。闘った相手を気にしているのだろう。
「心配するな。黒覆面の男が三人死んでいたが、他に怪しいやつは居ない。すぐに乗っている瓦礫をどかすからな。しばらく待て」
「・・・頼む」
その辺りにいる人を呼べば、はかどるだろうが、敢えて呼ばずに一人でやった。町の者が切られた死体を見れば騒ぎになるかも知れない。事故では無くて明らかに事件なのだ。役人に届けざるを得ないだろう。
それは恐らくは隠密の仕事をしているこの男の望むところでは無かろう。人知れずというと危険かも知らんが、俺はこの男の面構えが気に入ったのだ。
最後の瓦礫を浮かすと、男は自力で這い出て来た。両手に傷、足にも怪我をした様だ。座り込んで傷の具合を確かめている。
「水がいるか?」
「うむ、頼む」
この暑さだ。喉が渇いている筈だ。それに傷の手当てをするのに、綺麗な水が必要だ。この者ならば、恐らくは自分で手当てできる筈だ。
「歩けるか、ここを離れた方が良いだろう?」
「・・・、頼む」
男は頼むとしか言わない。
結構無口だ。ま、それも当然か。
男は時間を掛けて立ち上がった。傷よりも打撲で動けないのだろう。俺が肩を差し出すと、済まぬと言って手を掛けた。
そこからその侍を、二軒ほど先の家の井戸に連れて行った。
そこの家の者は、炊き出しに並んでいるのかいない。倒壊した材木の上に、男を座らせると、釣瓶を落として桶に水を汲んで出した。
「かたじけない」と言って軽く頭を下げた男は、水を飲んで大きく息を付くと、着物を脱いで、傷口を洗い出した。
見るからに鍛え上げた体だ。そして無数の傷跡があった。大きな怪我は無いようで、既に血も止っている。だが、しばらく後には打撲で熱が出て動く事が困難になるだろう。だが異邦人の俺にはどうすることも出来ない。
「他にいる物はあるか?」
通りに出来ている救護所では、手当てをする最低限の物はあるはずだ。
「いや、必要無い」
「ならば、私は民の救助に戻る」
「お陰で助かり申した。訳あって名を申せぬが、いずれ改めて礼を申す」
わかっているって・・・・・。
隠密や忍者がペラペラと素性を喋るもんか。そういう時には相手の口封じを考えるだろう。おお、こわ・・むしろ聞きたくな-----い。
何度も不気味な余震が来た。
その度に傾いた屋敷は不気味な音を立てて、救出作業をしている人々は慌てて屋敷から離れた。そして揺れが納まると再び瓦礫の山に取り付いた。
「誰かいるか?居るのなら返事をしろ。声を出せないのなら音を立てろ」
と言う被害者を捜す声が、方々で上がっている。俺も声を出している。
「もう少しだ、辛抱しろよ。すぐに出してやるから」
という救出中の声も聞こえる。
酷い災害だった。
救出された者は人の肩に縋って、或いは戸板に乗せて救護所に運び、死んだ者は道の端に並べる。
道の端には死人の列が続き、そこに家族を見つけて泣き崩れる声が流れている。まさに修羅場だ。生き残った家族の悲胆に、掛ける言葉は無かった。
「お侍さま、めしにしねえか」
周囲で同じ様に救出作業をしていた恰幅の良い男が、声を掛けてきた。
その男は大勢の者をキビキビと指図して救出に当たっていた。俺も一・二度は彼らに手助けして貰ったのだ。
時間が経つと方々で炊き出しが始まって、それに並ぶ被災者の列が伸びていた。だが救助に当たっている者には、優先して食べ物が届けられたのだ。
届けられた食べ物は、握り飯と汁だ。朝から何も食っていない俺は、それを貪るように食べた。旨かった。
男は大工の棟梁で英蔵と名乗った。伏見の城下が出来ると聞いて大和から移住してきたそうだ。
俺は瓦礫の下敷きになって記憶を失った事を言った。
「そりゃあいけねえ。帰るとこ寝るとこが無いとは、・・宜しければ、あっしが住む所を世話致しましょうかい?」
親切な申し出だ。是非にお願いしたいところだが、甚衛門さんが今夜戻ってくる様にと言ってくれたことを説明した。
「筒井家のご隠居様をお助けなさったか。それはお手柄でしたな」
英蔵は甚衛門を知っていた。同じ大和の出身者と言う事で、贔屓にしてもらっているそうだ。筒井家伏見屋敷の建物の普請もしたのだそうだ。
「筒井家とはどういう家なのだ?」
大和の筒井順慶の事は知っている。この時代だと後を継いだ筒井定次の事だろうと思うが念のために聞いてみた。俺の知っている歴史と違うかも知れないのだ。
「筒井様は、元あっしの居た大和の大名家で、今は伊賀に領地を持つお殿様でさあ」
「・・そうか」
やはり伊賀に領地を持つ筒井氏か。
伊賀の国は大阪にとって重要な土地だ。それにしては屋敷には覇気が感じられない。屋敷の大きさも他のお屋敷に比べて広いとも思えない。筒井氏は伊賀に転封してから嶋左近などの有力武将を失って勢力が落ちたのは事実のようだ。
嶋左近はこの時代の最も有名な武将であり、剣客であり政治家だ、そして俺の大好きな武将なのだ。ひと目会いたいものだ。
ムリか・・
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