第3話・ご隠居様救出
俺がタイムスリップして、過去の時代に来たのは間違い無い。そして歴史好きな俺には、ここが何処だかもう解っていた。時代が何時なのかもだ。
いや、歴史好きで無くとも近畿地方に住んでいる大概の人には解るだろう。過去に起こった大地震、前の大きな池と横にある城。周囲の山の形にも見覚えがある。
大きな池は、近代には埋め立てられて無かった巨椋池(おぐらいけ)で、城は伏見城だ。
豊臣秀吉の隠居城として建てられて、完成時に伏見大地震により倒壊した城だ。それは安土桃山という時代だ。そしてこの天変地異により文禄から慶長に年号が変わる。
文禄・慶長と言えば、有名なのが文禄の役・慶長の役だ。豊臣秀吉による朝鮮出兵だ。
この時代には、肥前名護屋に壮大な城と城下町が築かれて、大陸への足がかりとされている。今は和睦して一回目の役が終わり、諸大名方は国元に戻ってホッとしている時期だ。
歴史では、一回目の朝鮮出兵中に秀頼が生まれて、関白秀次の事件が起き、二回目の出兵、そして秀吉が死んで、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こるのはあと四・五年後のことだ。まさに激動の時代のまっただ中だ。
そんな時代に、俺は着の身着のままで放り出されたのだ。
俺の事を紹介しておく。俺は脱サラして独立し、家具造りをしていた。家具・建具の他に大工仕事もある程度出来る。趣味は登山と読書。読書は時代小説が好きで、それが高じて居合道や弓や槍など古武術を学んだ。
結婚して娘もいたが離婚して、娘に会えない辛さを酒で紛らわせた。毎日、仕事しているか酔っ払っているかのどちらか、いわば夢遊病者のような生活を送っていた。
そんな俺のいた平成の時代で地震があって、気が付けば伏見大地震直後の安土桃山時代にいるのだ。
タイムスリップしたのだ。それが何故なのか考えても意味は無い。
「おお、志乃様ご無事でしたか。わしら、さっきの揺れで腰がぬけておりました」
明るくなった屋敷内には、下働きと思われる年取った下男夫婦と小女が出て来て、母娘と互いの無事を喜びあっていた。母親は志乃と言うらしい。
「ご隠居様が・・・」
しばらくして母親が愕然として言った。
もうひとり倒壊した建物にいたそうだ。それは大変だと、瓦礫を取り除き始めた。俺も一緒になって手伝う。皆が無言で必死の形相だ。
しばらくして建物の下に着物が見えた。
「甚衞門様!」
下男が呼びかけるも返事は無い。
俺は老人の上にある材木を、柱をてこに使って慎重に浮かせてゆく。一度には重くてとても動かせない。上からひとつひとつ浮かせてゲタを噛ましてゆく。
そうしてやっと最後の材木を浮かせると、下男が老人を引っ張り出した。
俺は老人の怪我を調べた。打撲の程度は分らないが、特に大きな傷は無く血も出ていない。だが材木に鋏まれていた左腕は骨折しているかも知れない。
外れた板戸に老人をそっと乗せて、下男と二人で座敷に運び入れ寝かせた。濡らした手拭いで、志乃さんが顔の汚れを拭いてやっていると老人の目が開き俺を見た。
「儂は助かったのか・・、皆は?」
俺は頷き、老人は周囲を見回した。
「わたくしもこのお方に助けられました。芳造・たき・きくも無事です」
と、志乃さんがゆっくりと伝える。
彼女は下男らよりも身分が高いようである。
志乃さんが支えて老人はゆっくりと半身を起こした。
「お助け頂き誠に忝い。某、当家差配の小倉甚衛門と申します」
と、老人は俺に向かって頭を下げた。
老人とは言え彼は戦国の時代を生きてきた本物の武士なのだ。それがすぐに解った。毅然とした態度で声にも風格がある。
初めて見る本物の武士は、生死を掛けて戦をした凄みがのせいか奥深い人柄を感じさせた。かなり渋く貫禄がある。
俺も名乗らなければならない。
「私は、秋山です・・」
なんと名乗ろうかと思ったら、愛読書の池波正太郎の剣客商売の秋山親子の事が頭をよぎったのだ。本当はその後に大治郞と続くのだが、そこまで言いきれなかった。自分の本当の名前を忘れた訳では無いが、この時代に来てそれを名乗っても仕方が無いと思ったのだ。
「秋山さんか。・・・して、秋山さんは・・・?」
あっ、甚衛門さん疑っている・・・。訝しげな目で俺を見ている。
そりゃあまあそうだ、俺の格好は上下とも普段着にしていたジンベエだ。一応は和服の仲間にはいると思うが、皆の着ている物と比べれば素材感もデザインもかなり違う。
それに俺は日頃工房内での仕事が多いので、あまり日焼けをしていない。この時代の皆は、普通に日焼けをして浅黒い。まあ志乃さんは色白だが、
そう言う事で俺の見掛けは、武士でも無ければ商人や農民でも無いだろう。たぶん変な人に見える筈だ。
それは仕方が無い。俺はいわばストレンジャーなのだ。又は異邦人か・・・。
「実は、気が付いたら瓦礫の下でした。考えても自分が何者なのかさっぱり解りませぬ・・・」
「・・・・・・・・左様か、頭でも打たれたか」
俺は頷いた。瓦礫に埋まったショックで記憶を失ったのだ。記憶消失ってやつだ、それで行こう。
それで行くしか無い。
この時代の事は解らないことだらけなのだ。これから言葉遣いも注意しなければならない。
メッチャは、”凄い”とか”大変な”だな。
ウザイは、なんだ?”うるさい”か、ちょっと違うな、”鬱陶しい”かな。
ヤバイは、”まずい”か。
マジは、”本当か?”で、
いけてるは、”良い感じ”でいいか。
自分の事をボクちゃんなど言うのは論外だな。俺は調子に乗ったとき、たまにボクちゃんと言って現代の人にも引かれてしまうのだ・・・。
この時代は、ひらがなはあったと思うけれど、カタカナは無かったと思う。イケメンとかスレンダーとかナイスとか言ってはいけない。とにかく現代に溢れているカタカナ言葉は使わないことだ。
あれっ、カタカナっていつ広まったのだろう・・・
「地震の後、屋敷内の様子が気になって、夜が明けるのを待って、見廻っていたのじゃ。山本と遠六は下屋敷に見に行かせた。その時に納屋がかなり傾いていた。そっと入って状況を見ていたときに再び激しい揺れに襲われたのじゃ」
それを、起きていた志乃さんが見ていて、そして巻き込まれたらしい。
深夜に本震、朝方に強い余震があったようだ。その揺れで俺は目を醒まして、甚衛門さんと志乃さんが納屋の倒壊に巻き込まれたのだ。他の者はその揺れに恐れて、完全に明るくなるまでは外に出なかったそうだ。
この武家屋敷の内では完全倒壊している建物は納屋だけだ。
他の建物も傾いているが、倒壊するまで至らなかった。さすがに武家屋敷の造りはしっかりしているものと見える。
それに対して町中の建物はもっと酷い状況のように見える。とにかく歴史的な大地震があったのだ。多くの人が倒れた建物の下敷きになっているのに違いない。
とにかく俺は今出来る事をしようと思った。
「ではこれにてご免、私は町の者を助けたいと思います」
「町に出られるか。ならば少しお待ちなされ」
甚衛門は女衆に何事か命じ、女衆はすぐに屋敷に走って戻って来た。
「それでは、怪我をしましょう。これを付けて行きなされ」
甚衛門さんが差し出したのは草鞋だ。
有難い。
寝起きの俺は裸足だったのだ。前の時代にも草鞋は付けた事があるが、この時代はさすがに本場だけあって実にしっかりとした作りだ。
感激した。
靴よりも遥かにクッション性とフイット感が優れている。
いかん、両方ともカタカナだ。フイットは”しっかりと付く”か?。クッションは、ええと・・・まあいいや。
「これは有難い、助かります」
「これも持っていきなされ、それに今夜はここに戻って来て下されよ」
甚衛門老人は、手拭いを渡して優しく言ってくれた。
その言葉に、俺は寝る所も無い異邦人なのだと改めて気付かされた。
甚衛門老人はさすがに気遣いが細かい。
「かたじけない・・」
俺は思わずそう言った。
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