第2話・被災した町


 再び激しく体を揺さぶられて、俺は目を醒ました。顔にゴミが降ってくるので横を向いて手で埃を払った。


(朝になったのか・・・)


薄暮の明るさがあった。

その薄明かりで自分の置かれている状況が解った。


家が倒壊して材木やら土壁の残骸やらに埋もれている。体のあちこちが痛むがなんとか動く。酷い怪我はしていない様だ。


(そうだった、家が崩れると思って咄嗟にベッドの横に逃げたのだ・・)


それで助かったのだ。そう思って横を見たおれは息を飲んだ。

ベッドが無いのだ、横に有るのは低い石垣だった。


(何故だ・・・?)


さらに体の下は床では無く土、ようするに地面だ。ということは今俺がいるのは、家の中では無く屋外なのだ。


地震で咄嗟にベッドの横に逃げた。・・・あれは夢だったのか。それとも俺は狐にでも化かされて石垣の上で寝ていたというのか・・。


あり得ない事ではない。ここのところ毎日酔っ払って前後不覚となって倒れるように寝ているのだ。そう言うことがあってもおかしくはない。


 だが、体には毛布が巻き付いている。黒灰色の豹柄の毛布・間違い無く俺が使っていた物だ。それが、ちゃんとベッドの上で寝ていて、地震を感じてベッドから逃げたことが夢では無い事を証明していた。


(どういうことだ・・)

 しかも何故か暑い。

季節はまだ春だ。朝晩は結構冷える時期だ。しっかりと毛布を被って寝ている。それが今は汗を掻くほど暑いのだ、一体どうしたのだ・・・毛布を払おうにも瓦礫があって動けない・・・。



 とにかくまずはここから脱出しなければ・・。


体の前後を見る。幸いな事に石垣が瓦礫の支えになっていて、体の前後には空間が続いていた。それを確かめた俺は、その場で体を回してうつ伏せになると匍匐前進を始めた。


空間は狭く体は少しずつしか動かせない。地道に体を動かしてようやく瓦礫から出ると、立ち上げって周囲見た。

俺は思わず間抜けな声を上げた。


「うええぇ!・・・・・・・・・・・・・」


まだ明け切らぬ薄暮に包まれた風景、しかしそこは見慣れた風景では無かったのだ。


 高台にあった俺の家からは、見晴らしが良かった。道路脇に立ち並ぶ家々、線路の向こうに田畑が続いて、木津川のゆったりとした流れがある・・はずだ。


ところが、今見えているのは、その見慣れた風景とは全く違う風景だった・・。


 視界の多くが潰れて傾いた家だ。

広い範囲に立ち昇る土煙が朝靄を曇らせている。


その中に人の姿はちらほらとしか見えない。その薄暗い向こうにやはり川が流れているのが見える。


だがその川は見慣れていた川と違う。川向こうは緑の浮島が入り込んだ水面が限りなく広がっている。広大な湖のようだ。


町並みはことごとく傾いた屋根が悲惨だが、縦横に区画された整った条里制の大きな町だと解る。


左側は大きな建物が並び、その奥には城が見える。出来たての新しい城だ。その城もあちこちが倒壊している。何よりも高くて目立つ天守閣が陥没しているようだ。


 目に見える風景には違和感がある。それが何故なのかすぐ解った。


道路が無い。


山中でも無い限り何処でも見える舗装された道路が無い。

建物は平屋で、どこの町でもお馴染みのビルが無い。赤や青色・色とりどりの屋根や壁、信号機も看板・電柱・電線・ガラス窓・屋根にあるアンテナも無いのだ。


ここはどこだ、いったい、いつの時代なのだ・・・。


俺は頭の中が真っ白になった。何も考えられない。ただ呆然と立ち尽くして、徐々に明るくなる町の風景を眺めていた。



「えーん、えーん、えーーん・・・・」

 女の子の泣き声が、しばし放心していた俺を現実に戻した。俺は声の聞こえる方向に向かって歩いた。


すぐにポッカリと空いた草地があった。そこに入る。裸足の足が痛い、足を置く所を選びながら慎重に歩いた。草地を横切って通りに出る。


どうやらその声が聞こえるのは、倒壊した塀の向こうだ。塀に続く門も傾きアッパッパとなって、門扉は力無く開いていた。板塀がかなりの長さ続いている大きな敷地の屋敷だ。



(いた・)

着物を着た小さな女の子が、崩れた建物の前で座り込んでいる。俺は駆け寄って、女の子と目線を合わせて聞いた。


「どうしたの?」

「は・ははうえが・・・」


浴衣のような着物を着て、涙で汚れた顔の女の子が崩れた建物を指差した。

俺は地面に突っ伏して瓦礫の下を覗いた。少し先に何か白いものが見える。


(手だ・・)

とにかく上にある柱や瓦礫を除けると、白くか細い女性の手が出て来た。触れてみると、冷たかった。死んでいるのかと思った。


だが、その手が握り返してきた。細い指が意志を伝えるかのように強く握ってきた。その力強さに、この人は大丈夫だと思った。


「よし、すぐに出してやるからな!」


俺は瓦礫の下に向かって声を掛けると、手当たりしだい上にある瓦礫を除けた。そして転がっている柱をてこにして、横になった桁木を上げると、母親の体がほぼ見えた。桁木に材木をかまして固定する。


「もう少しだ。待っていろ」

と、声を掛けると、母親がゆっくりとこちらを向いて頷いた。


線の細い美しい顔が土で汚れている。心細そうな表情だが、瞳には希望が光っていた。だがまだ母親の足の上に一本の柱が乗っている。


「今足に乗っている材木を持ち上げる。そうしたらゆっくりとこちらに這い出るのだ」


「はい。お頼みします」


 しっかりとした返事があった。俺は庭石を支点にして柱を差し込んで、その柱を持ち上げた。


「今だ。出るのだ」


 母親は無事瓦礫の下からゆっくりとにじり出た。もう大丈夫だ。


娘が抱き付いて泣いている。

俺はほっとして力が抜けた。

母親の左足のふくらはぎが黒く汚れて出血している。傷口を綺麗な水で洗わないといけない・・。


見回した俺の目に井戸が見えた。

井戸は無事だった。釣瓶を落として桶に水を汲む。残り水で自分の手と顔も洗った。手にすくって飲んだ。旨い・・。


「傷口を水で洗う。染みるが少し我慢してくれ」

頷いた母親の足に水を掛け、そっと手で触れて汚れを流した。


「痛っ・・」

 母親は痛みで体をくねらせたが、患部を動かすのは我慢した。幸いに擦り傷程度で大きな傷ではない。出血も僅かだ。これなら大丈夫だろう。


「・・・・・」

ふと目を上げた俺は、固まった。


母親の着物の裾が乱れて、母親のあそこが見えている。この時代の女性の下着は無いのだ。つまり着物の下は裸だ。


俺の視線に気付いた母親は、恥ずかしそうに裾を直した。俺は驚いてあそこをガン見してしまったのだ。


ちょっと気まずい。いや、むっちゃ気まずかった。ひょとして鼻血など出てないか、手で鼻を拭ってみた。


良かった、鼻血は出ていない。取りあえず何か言おう。

出た言葉は、「大丈夫だ」だ。(何を言っているのだ)とすぐに自分に突っ込みを入れた。



「お助け頂いて、真にありがとうございます」

「おじさん、ありがとう」

 母子が礼を言ってくれた。


俺は黙って頷いた。当たり前の事をしただけだ。

それにあれを見せて貰ったし・・・、いやいや、それよりもこの状況だ。僅かの間に廻りは急速に明るくなっていた。地面が少し高くなっているその屋敷からは、被災した町の様子が良く見えた。

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