第4話
四月の入学式が終わり、魔法学園五月の一大イベント大遠足。ハチリアーヌらは、“魔竜の涎”と呼ばれる間欠泉にも似たオズミカル屈指の観光名所に来ていた。
黒髪をおさげにした、愛らしき乙女ミラーノが狙うのはセブイレ魔法学園校長。彼女はこのイベントで、校長先生に顔を覚えてもらうつもりなのである。
「――へぇ、あのしかめっ面がブレブレって男かい」
「声を潜めて、ハチさん。校長先生に見つかっちゃうでしょ」
ターゲットであるセブイレ・ホルアイは、生徒の輪から離れじっくりと間欠泉を見上げている。その後ろ姿に、ミラーノはうっとりとため息をついた。
「あああ……推しが……推しが三次元に顕現してる……! 髪の跳ね具合皺の深さ切れ長の目完全に解釈一致ですありがとうございます……!」
「てやんでぃ! アニキの方が男前に決まってらぁ!」
「へへへ、よせやいクマ。とにかくミラ公、いつまでもボーッとしてるわけにゃいかねぇぞ。行ってこい」
「わ、分かったわ」
おさげを揺らしてミラーノは頷くと、立ち上がる。そしてギクシャクした動きで、彼女はセブイレ校長の元へと向かった。
右手と右足を同時に出しつつも、なんとかミラーノは校長に声をかけることに成功する。ハチリアーヌの場所から内容までは聞こえないが、まあまあ話は続いているようだ。
そんなミラーノの姿に、ハチリアーヌは片頬に手を当ててうららかに微笑む。
「へへっ……恋の成就を手伝えなんて言われた時にゃどうなることかと思ったが、“応援してくれるだけでいい”なんてアイツも筋が通った所あんじゃねぇか」
「そうですね! てっきりあっしは、すわ恋敵の女の靴にチクチクポンポンを入れなきゃなんねぇのかと思いやした!」
「チクチクポンポン……?」
だが、そんな悠長な話も長くはできなかった。
突如、ジュジュジュと嫌な音が響く。すわ何事と思う間も無く、凄まじい勢いで魔竜の涎から水が噴き上がったのだ。
「な、なんでぇあれは!」
「あ、あいつぁ……そうだ! こいつぁ『トキメカル☆オズミカル2』で出てきた“第二章 魔竜の涎はあっちっち!?”の一幕! あわや高熱の酸が主人公にかかろうとしたその時、リプッツ王子が身を挺して庇うんです!」
「なんでそんなヤベェ場所が観光名所になってやがんでぃ!」
「触れば即死です、アニキ!!」
「だろうな!! ……チクショウッ、ありゃあいけねぇ!」
柱のごとく天に噴き上がった高熱の酸が、今にもミラーノの頭に降ってこようとしている。咄嗟に校長を庇ったミラーノに、ハチリアーヌは深く考えるより先に飛び出していた。
「アニキィ!!」
――もしハチリアーヌがハイヒールを履いた令嬢であれば、とても彼女らには追いつかなかっただろう。しかし、本日は遠足ということで遠出しても大丈夫なように草履で来ていたのである。ハチリアーヌは風のような速さでミラーノの元へと駆け寄った。
「ハチさん、何故ここに!?」
「てやんでぃ! ここでオメェさんを見捨てようもんなら男が廃らぁ!!」
「ダメよ! 早く逃げて!」
だが、到着した所で彼女らを抱えて逃げるほどの筋力など、か弱き貴族令嬢にあるはずもない。いいや構うめぇ、とハチリアーヌは迷わずミラーノらに覆いかぶさった。
酸が迫ってくる。ハチリアーヌは、これが前世でクマを死なちまったオレの罪滅ぼしだと、目を閉じた。
ところが、まだ運命は彼女を見捨てていなかったのである。
「アイアンバルク!!!!」
グマニスの声がハチリアーヌの耳に届く。次の瞬間、彼女の体に異変が起こった。
全身の筋肉が肥大し、ボコボコとたくましく盛り上がっていく。華奢な手足は今や生きた甲冑そのものとなり、胸板に至ってはもはや城壁と見紛わんばかり。腹筋は大根どころかどんな石でも擦ればただの粉にしてしまえるだろうし、特に注目したい背中は完全な逆三角形を形作りパンプアップを極めている。
――もうお分かりだろう。ハチリアーヌは、グマニスの魔法によってアイアンマッスルレディーへと変貌していたのである。
「こりゃあ、都合がいい……!」
ハチリアーヌは一坪二億円の黒光りする三角筋を唸らせ、両腕を広げた。
高熱の酸の雨が降る。それをハチリアーヌは、全て完璧な筋肉で受け止めた。
止まない雨はない。ミラーノと校長を守り切ったハチリアーヌは、ゆっくりと起き上がった。
「……怪我はねぇか」
「ハチさん! ハチさんこそ!」
「君は……一体何者……!?」
当然傷一つないハチリアーヌは、柔らかく微笑むとシュルシュル音を立て元の姿に戻る。
「君は……ハチリアーヌ・ジャスコ君!」
「おう、無事で良かったぜ」
ちなみに、オズミカルの服は魔法の服なので何があっても破けないのだ。
紳士的な男は、ハチリアーヌに優雅な礼をした。
「まったく、何とお礼を言えばよいか……!」
「礼はこの嬢ちゃんに言うべきだな。オレァたまたま通りがかっただけさ」
「それはその通りだ。……ミラーノ君。まずは校長という立場でありながら、君に守られる側であったことを詫びさせてほしい。そして、私の命を助けてくれたことを心より感謝する。……ありがとう」
「ほへっ……ふひぇっへへっ……! こ、こ、こ、こちらこしょ……! ふひぇっ」
憧れの校長に両手を握られ挙動不審になるミラーノを置いて、ハチリアーヌは黙ってその場を去る。向かった先では、グマニスが涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして待っていた。
「ア、ア、アニキィ……! ぼんどに、ぼんどに無事で良がっだぁ……!」
「泣くんじゃねぇよ、男だろ」
「うっうっうっ、あっしはアニキがまた死んじまったらと思うと……! 一緒に酸に飛び込んでやらぁって……!」
「早まんじゃねぇ。オメェの魔法のおかげだよ。それが無けりゃあ……ん? 魔法?」
顎に手を当てて首を傾げる。どうも、ハチリアーヌの頭には前世の記憶が戻る前までの情報が混濁しているらしい。
「なるほど、これが魔法ってヤツなのか」
「へぇ、そうです。しかしあっしはC級魔法しか使えねぇはず。それがあれほど効くなんざ……」
「あ」とグマニスはポンと手を叩く。
「そうか! アニキ、ハチリアーヌはきっと魔法増幅体質なんでさぁ!」
「なんでぇそりゃ」
「かけられた魔法の力を増やせるんです! これ自体珍しい体質でしてね、そんでも多くて1.2倍の増幅値なんですが……」
何故かグマニスの方が誇らしそうに、胸を張って言った。
「見た所、アニキの場合は100倍の効果にできるみてぇです!!」
「そりゃあすげぇぜ!!」
魔竜の涎のすぐそばにて、可憐なる乙女とたくましい庭師がガヤガヤと大喜びしている。
だが、その姿を見守る一つ影があった。
「……まさか、ハチリアーヌにそんな力があったとは……!」
トノラ王子である。
「王子の婚約者、かつあれほどの魔法増幅体質なら公表すれば悪人に目をつけられ狙われかねない……。だというのに、そうしてひた隠しにしていた力を人の命を救う為に明かすとは! なんという慈悲!! なんという献身!!」
トノラ王子は青空のように澄んだ心の持ち主なので、ハチリアーヌの行動にも恐ろしくポジティブな解釈をするのであった。
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