第3話

 草むらから草むらへ。ハチリアーヌはドレスをたくし上げ、恐るべきスピードで悲鳴の元へと向かう。


「昨日作っておいて良かったぜ、草履!!」


 やはり、靴は履き慣れたものが一番なのである。

 そして彼女は、見事な跳躍で最後の植木を乗り越えた。

 ――緑の芝生が鮮やかな園庭。しかし人目につきにくいこの場所で、尻餅をつき長い黒髪を三つ編みにした少女が、四人の学生に囲まれている。

 学生は互いに顔を見合わせ、クスクスと嫌な笑い声を立てた。


「……聞きましたわよ? あなた、カステーリャ町出身の貧乏娘なんですってね?」

「まあ嫌だわ。あの場所って虫が家の中を這い、空気は臭くてまともに息ができたものではないのでしょう?」

「それがどうしてこんな所にいるのかしら。場違いという言葉はご存知?」

「どんな手を使ったのかしら? どうせどこかの貴族に色目でも使って……」

「わ、私は……真っ当に勉強をして、ここに入学しました! お金だって、お母さんが一生懸命働いてくれて稼いでくれたもので……!」

「あら、本当かしら? 言うだけなら何とでも言えるわよねぇ」


 黒髪の娘は、ぎゅっの両手で服を掴んで唇を噛んだ。……本当はもっと言い返したいのだろう。しかし四対一では、どうしても恐怖が勝ってしまうのである。

 この卑劣な光景に、当然ハチリアーヌは激怒した。少女と四人の学生の元に走り寄ると、腕を組んで仁王立ちする。


「やいやいやいやい! そこの女ども!! か弱き娘をとっ捕まえて、何をわよわよ言ってやがんでぃ!!?」

「だ、誰!?」


 慌てて振り返った女たちは、その顔を見て青ざめた。そこにいたのは、名門貴族ジャスコ家の第一令嬢にして、次期国王と噂されるトノラ・マックビグの婚約者―― ハチリアーヌ・ジャスコ嬢だったのである。


「ハ、ハチリアーヌ様……何故こちらに!?」

「おう、オレを知ってやがんのか。そんなら名乗る手間が省けたってもんだぜ! ……で? おめぇらはなんだ? よってたかって、この娘に何してやがったんだ!」

「そ、それは……その、今日の天気について少し話を……」

「そうかい! ならオレが教えといてやるが、本日はまっさら晴天! お天道様もご機嫌サマよ!!」


 快活に答え、ハチリアーヌはギロリと女たちを睨みつけた。


「――つまりは、だ。おめぇらの悪事だって、ばっちり照らされてるってことでぃ!!」

「す、すいませんんんん!!」

「どうか、どうか家にだけは言わないでください!!」

「あああああ!! お忘れくださいまし!!」

「も、もう二度と近づきませんわ!!」

「フン、他愛もねぇ。……おいオメェさん、怪我はねぇか?」

「あ、ありがとうございます……」


 こけつまろびつ逃げ出した女たちに向かって鼻を鳴らし、ハチリアーヌはミラーノに手を差し出した。その手を掴んで立ち上がり、彼女は深くお辞儀をする。


「助けてくださって、ありがとうございました。でも……まさかあなたが私を救ってくださるなんて」

「男として放っておけなかっただけだ。気にすんな!」

「お、男? なんで……しかも、江戸弁……?」

「ん? オメェさん、江戸を知ってんのかい?」

「ア、アニキぃー!」


 ここでようやく、ぱっつんぱっつんのドレスを着たグマニスが到着した。ゼェゼェと両手を膝について息を整えて、汗だくの顔を上げる。


「な、何が起こってたんですかい? 確かここはミラーノがハチリアーヌにいじめられていた場所で……」

「おう! まさにこの娘さんが悪い女に因縁をつけられてたんでな。オレがバシッと追っ払ってやったってわけよ!」

「え!? どうしてあなたが私の名前を……! それに、よく見たらあなたハチリアーヌの従者の庭師じゃない!」

「えええ!? なんであっしの女装がバレたんです!?」

「ちょ、ちょっと待ちやがれ! なんでオメェら二人が仲良く話してんだ!?」


 多くの情報に混乱する三人である。それでも最も落ち着いたミラーノによって聞き取りが行われ、話がまとめられた。


「……つまり、こういうことね」


 ミラーノが、大きな目を二人に向ける。


「私達は、何故か『トキメカル☆オズミカル』のゲーム内のキャラクターに転生してしまった。主人公のミラーノには元ブラック企業OLの私、庭師のグマニスには元サラリーマンかつ元江戸っ子の熊五郎さん、そして悪役令嬢ハチリアーヌには元江戸っ子の八五郎さん……」

「するってぇと何かい、ミラ公にも前世の記憶ってヤツがあんのか」

「ええ、そうよ」

「そんじゃミラーノのアネキは数多の男を選び放題ってわけですね! 役得じゃねぇですか!」

「……それが、そうでもないの」


 なんだか楽しそうなグマニスをよそに、ミラーノはそっと目を伏せた。


「残念なことに、私の推しは攻略不可能キャラの魔法学園校長……。王子や次期公爵などという若造は眼中にすら無いわ」

「アネキ、まさかの老け専でしたか」

「ああセブイレ校長……! セーブポイントなのに公式グッズにすら登場しないなんておかしいでしょ!? 一応好感度も上げられるし、一つだけど隠しイベントだってあるのに!」

「……ありゃ? アネキ、『トキメカル☆オズミカル2』はやってねぇんですかい」


 両手で顔を覆いおいおいと嘆くミラーノに、鉄板のように分厚い胸板を持つグマニスが尋ねる。対する彼女は、ハッと顔を上げた。


「……な、何それ」

「トキメカル☆オズミカルの続編ですよ。攻略キャラが一新するんですが、前作で人気だった校長だけ続投して隠し攻略キャラになってんです。そのシナリオも大層評判で……」

「……嘘、え、ちょ、嘘マジ?」

「マジです」

「……待って待って待ってあー待って待ってちょっと無理無理無理無理一旦深呼吸させて。ねぇ何それ聞いてないアタシやってない待って待って待って感情全然追いつかないとりあえず生き返らなきゃ推しに課金しなきゃああああああー」

「きっと……続編が出る前に死んじまったんですね……」

「よく分かんねぇが可哀想になぁ。おい大丈夫か、ミラ公」

「……無理……」


 無理らしい。仕方なく、しばらくハチリアーヌとグマニスは彼女を見守ることにした。


「……でも、つまり……それって、学生でもセブイレ校長を落とせるって解釈でいいの?」


 やがて、ミラーノはぽつりと呟く。


「え!? あ、へぇ。そうだと思いやすけど……」

「そう。へぇ、そう……」


 次の瞬間、ミラーノはグッと空に向かって拳を突き上げた。


「決めたわ! 私、セブイレ校長を落とす! そして前世で叶わなかった恋を今生で成就させてみせるわ!!」


 高らかに宣言するミラーノだったが、恐る恐るグマニスが心配そうに口を挟む。

 

「で、ですがミラーノのアネキ……。その、あくまで校長が攻略対象になるのは続編ですぜ。今回のゲームではまだ落とせないんじゃ……」

「何言ってるの! 既に悪役令嬢が主人公を助けちゃうっていうとんでもないイレギュラーが起こってるのよ!? なら攻略対象に校長だって追加されるわ!」

「よくわかんねぇ理屈こきやがるぜ。まぁ好きにしやがれ。オレたちゃミラ公をいじめたりはしねぇし、お互い自由に……」

「いいえ、あなた達にも協力してもらうわよ?」


 ミラーノの一言に、ハチリアーヌとグマニスは硬直する。彼女は、にたりと怨念のこもった笑みを浮かべた。


「おい、主人公がしていい顔じゃねぇぞ」

「協力してくれなかったら、例のイベントの時にあることないこと言いふらして正規エンドに持っていくわ……!」

「だ、ダメですぜアネキ! ンなことしたらアニキは牢に繋がれちめぇます!」

「それが嫌なら、私に協力することね! すいません、本当にお願いします! 校長のことが好きなんです!! 私もハチさんの悪役令嬢エンド回避に全力で協力しますから!!」

「いきなり下からになりやがった。オメェさん、前世でもこんな感じだったのか?」


 こうして、ミラーノが仲間になったのである。

 魔法学園一学期。まだまだ始まったばかりである。

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