第2話
こうして、ハチリアーヌ・ジャスコ嬢は上級魔法学園への入学を果たしたのである。
堅苦しい入学式の後、彼女は一人園内を散策していた。次々と書かれてある文字が変わる掲示板に、猫と戯れる小さなドラゴン。中庭には見たこともない色とりどりの花が咲き乱れており、優しい香りが立ち込めている。
ハチリアーヌは、細長い指を口元に当てて初めて見る光景に目を輝かせていた。
「なんてぇ珍妙な所だ! 江戸のどんな祭りだって敵うめぇよ!」
ところでハチリアーヌ、前世の記憶が戻ったのはいいが、どうもその挙動にバグが発生しているようなのである。所作はたおやかな令嬢そのものなのであるが、口調は完全に江戸っ子のそれなのであった。
一応前日に父親に注意を受けた(母親はショックで気絶した)彼女であったが、令嬢として生きた時間より江戸っ子として生きた時間の方が長いのである。直るわけがなかった。
「――ハチリアーヌ」
「あん?」
だが、そんな事情を他の者が知るはずもない。中庭のベンチに座っていた彼女は、艶やかな銀色の長髪をなびかせた青年に声をかけられた。
振り返ったハチリアーヌは、整った彼の顔をまじまじと見て、可愛らしく小首を傾げる。
「誰だ、オメェさん」
「おや、私をからかうおつもりですか? ……ですがあなたとお会いしたのは三年ぶり……忘れてしまうのもやむなしでしょうか」
「おうおうおうおう! しち面倒くせぇ言い方しやがって! 口上なんざいいから、とっとと名乗りやがれってんでい!」
「ええ。私は、あなたの婚約者であるオズミカル国第二王子――トノラ・マックビグと申します」
「と――ととと殿!?」
その名を聞いた彼女は、慌てて二、三歩下がって平伏しようとした。が、貴族の立ち振る舞いが染みついた体は、勝手に鮮やかなオレンジ色のドレスをつまみ優雅な礼をしてしまう。
対するトノラは、少し驚いたように微笑んだ。
「ふふ、今日のハチリアーヌは少しおてんばさんなのでしょうか。そう慌てなくてもいいのに」
「いやぁへへへ、まさか殿様とは知らず……。こちとらしがない大工でごぜぇやす。どうかお見逃しくだせぇ」
「……大工……? ごぜぇやす……?」
「あら、ここにいらしたのハチリアーヌ様! そろそろおやつの時間でしてよ!」
令嬢とは程遠いハチリアーヌの言葉遣いにいよいよ王子が疑問を抱いたその時、ハチリアーヌの細い手首が力強い手に掴まれた。ハッと顔を向けた先で視線をかち合わせたのは、一人のたくましい女性。
肩幅はがっちりしており、紫色のドレスは今にもはちきれそうである。日に焼けた顔には人懐っこい笑顔が広がり、青々とした髭の剃り残しすら忘れさせてしまうようだ。そんな、令嬢というよりいっそ歴戦の兵士を連想させる彼女の名は――。
「クマ!?」
「へいっ、アニキ……じゃなかった、ハチリアーヌ様! アタイ、親友のクマリンですことよ!」
「お、おう!? なんだってオメェそんな気色わりぃ格好を……!?」
「今はそれどころじゃなくってよ! ささ、今は一刻も早くおやつに参りましょう! ホレサッサ!」
「ぬあああああ!」
女装をした庭師のグマニスに引きずられ、今生薔薇の花束より重いものを持ったことのない華奢な乙女はあえなくその場を後にした。
そして残されたのは、呆気にとられるトノラ王子ただ一人。
「……ハチリアーヌ嬢……」
顎に手をあて、目を細める。
「もしや、庶民の生活をじきじきに見る為に、大工の家に長期ホームステイでもしたのか……?」
トノラ王子は大変頭が良い為、一見意味不明な状況の推察もお手の物なのであった。
「痛ぇ痛ぇ! もう大丈夫だから引っ張んじゃねぇよ!」
「ヘイ、アニキ!」
散々引っ張り回されたものの、ようやく中庭の噴水にたどり着いた所で解放された。ハチリアーヌはハラハラと両手を振り、可愛らしい膨れっ面を作る。
「てやんでぇ! あのお方を誰と心得る! 殿様だぞ殿様!」
「や、確かにあのお方は殿っちゃ殿でごぜぇますが……。多分アニキの思ってる殿じゃありやせんぜ」
「何? そうなのか?」
「へぇ。ありゃトノラ王子っていうハチリアーヌ嬢の許婚でごぜぇます」
その言葉に、ハチリアーヌは不満そうに唇を尖らせた。
「許婚!? オレァ衆道にゃ興味ねぇんだ! いくら殿様とはいえゴメンだぜ!」
「アニキは今うら若き乙女です!」
「忘れてた」
「アニキ!! ……それと、もう一つ問題がありやしてですね」
「なんだ」
「実はトノラ王子、ハチリアーヌ嬢をとっ捕まえて牢に入れる張本人なんですよ!」
「なんだとぉ!?」
睫毛の長い目を丸くするハチリアーヌに、山のような肩幅のグマニスは頷いた。
「ハチリアーヌは主人公のミラーノ・イゼリアをいじめるんですが、ある日とうとうそれが白日の元に晒されるんです。その日、トノラ王子はハチリアーヌを呼び出し、この魔法の植木鉢から花を咲かせてみよと言う。けれど魔力の無いハチリアーヌ、ウンウンやってもちっとも花は咲きゃしねぇ。調子が悪いのかしらと下がるハチリアーヌの代わりに、今度はミラーノが呼ばれる。するとこのミラーノ、少し首を傾げて言うんだ。『王子様、この植木鉢からは何の魔力も感じませんわ』と」
「おお! うまくやりやがったな、王子!」
「あっしもそう思いやす! そんで王子にハメられ皆の前で魔力が無いとバレたハチリアーヌ。今までのいじめに加えて色々裏で悪ぃことしてたのもあって、あえなく捕まえられちまうってぇわけなんでさぁ!」
「なるほどなぁ。んで、さっきの殿様がその王子ってわけか」
「そうです!」
事情というよりは、殆ど自分の辿る未来の顛末を聞いたハチリアーヌ。困り顔すら可憐な彼女は、頭の中で一生懸命自分が助かる道を考えていた。
「んでもよぉ……魔力がねぇのは困りもんだが、そもそもオレァ人様の魔法を横取りするつもりはねぇよ」
「さっすがアニキ!」
「ンな人の道に逸れるような事はしちゃいけねぇって、小せぇ頃からおっかぁにはきつく言われてたしな」
「なら、後は王子をどうするかですが……」
「それなんだがよぉ、オレがこれ以上王子にもミラミラってのにも関らなきゃいいんじゃねぇか? 他人のままなら関係ねぇし、投獄されることもあるめぇ」
「そりゃあ名案だ! アニキあったまいい!」
胸筋で今にもドレスが弾け飛びそうな庭師に賞賛を送られ、フフンとハチリアーヌは美しい巻毛をかき上げる。
だが、その時であった。
「きゃあああああっ!」
どこからか、女性の悲鳴が聞こえたのである。
「な、なんだ今の声は!?」
「む、この場所は確かスチル番号6番の噴水裏……! ミラーノがハチリアーヌに最初の因縁をつけられる場所! でもハチリアーヌ嬢がここにいるってぇことは、これはどういう……?」
「何をブツクサ言ってやがんでぃ! 女が助けを求めてりゃすぐ飛んで行くのが江戸っ子ってもんだろ! 行くぜ、クマ!」
言うなり、ハチリアーヌは声のした方へと走り出した。
「あ、アニキ!? ミラーノには関わねぇんじゃなかったんですかぁぁぁ!?」
そして忠実なるグマニスも、たくましいふくらはぎを覗かせながら慌ててその後を追ったのである。
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