恋の二

『電話番号は分かっているんだろう?だったら自分で掛けてみちゃどうだ。』

 俺は少し呆れながら、グラスを空っぽにし、二杯目を注いだ。


『それが出来るくらいなら、とっくにやってます』

『君は福祉系大学の四回生だよな。その手の大学なら、バイトで介護の補助なんかで雇って貰うって手もあるんじゃないか。介護現場は慢性的人手不足だって聞いたぜ』

『ああいう施設って、人を雇うのに五月蠅うるさいところがあるんです。それに雇われた身分で、利用者の女性に声なんか掛けられませんよ』


 なるほど、もっともだ。


 確かに、見も知らぬ人間がいきなり電話をかけて”送迎のワゴンに乗っていた美しいご婦人のことを教えてください”なんて突拍子もないことを言っても、”ストーカー”扱いされるのがオチだろうしな。

 それに21歳の青年が『利用者の女性に惚れたから』という目的でバイトに入るなんて、正気の沙汰だとは思われないだろう。


『第一まだ、僕は彼女の名前も素性も知らないんです。お願いします。乾さんには基礎的なことを調べて頂くだけで構わないんです。それさえしてくれたら、後は僕が自分で何とかします』

『出来るのか?』

『正直言って自信はありません。何しろ生まれてからまだ一度も女の子に声すらかけたことがないんですから、でもやってみます。だからお願いします。力を貸してください!』


 彼は卓子テーブルに手を付き、何度も頭を下げた。目つきは真剣そのもので、決して底意があるとか、いい加減な気持ちからだとも思えなかった。

 俺は腕を組み、シナモンスティックを一本根元まで齧りつくし、

探偵料ギャラは基本一日六万円、他に必要経費。拳銃が必要だと判断・・・・つまりは荒事が入った場合は、危険手当として四万円の割増を付ける。学生だからって学割はなしだ。但し例外として分割払いは認める。詳しくはこの契約書を読んで、納得が出来たらサインを頼む。他に聞いておくことは?』


『ありません』

 椿青年はそう答えると、手早く書類にサインをして寄越した。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 梅雨の晴れ間とでもいうんだろうか、曇り空だが雨が上がったある日、俺は『特別養護老人ホーム、育寿園』を訪れた。

『デイサービスセンター・こもれび』は、ここの中にある。

『ええと、お名前はいぬい・・・・宗十郎そうじゅうろうさんでよろしかったですね?』


 応接室に通された俺は、銀縁眼鏡をかけ、ダルマのように肥った男性の『施設長』氏が、俺の顔と提出した書類を交互に見ながら言った。


『はい、そうです』


『ご職業は自営業・・・・元陸上自衛隊にお勤めだった』


 面接の書類にこんなことまで書かなきゃならないのは、あまり気分のいい方じゃない。(自慢話は元来苦手だからな)しかし身元が確かでなければ駄目だと向こうが言うんだから仕方なかろう。

『私立探偵だ』などとはっきり書けば、向こうはそれだけで警戒するだろうから自営業と書いた・・・・探偵だって自営であることに変わりはないんだからな。

 その代わりといっちゃなんだが、前職だけははっきり書いたという訳だ。

(言い訳にもならんか)

 何よりも本名を記さねばならなかったのはもっと嫌だったが、しかしウソをつくわけにもゆかん。


『お母様は今年72歳・・・・ほう、看護師さんでいらしたんですな。

最近少し足腰が弱って来たので、出来ればデイサービスを利用したい・・・・そういうことなんですね?』


『はい、そうです』


 ここだけは誤魔化した。少し気がさす。幾ら仕事のためとはいえ、お袋をダシに使ってるんだからな。


 お袋は確かに今年七十二だが、未だに矍鑠かくしゃくとしていて、パートだが現役の看護師兼助産師として産婦人科医院で働いている。


 しかし俺の周りには協力を頼む”そのくらい”の年齢の中高年もいやしない。

 そんな時に思い出したのは自分の親だったという訳だ。


『知り合いからこちらの施設について評判を聞きましてね。いいところだというから、親を預けるならと、息子の私が一度見学してみようと思った次第でして』


『なるほど、そういう事情ですか、それなら結構です。一度見学していって下さい』


 デイサービスセンターは地下にあり、ちょうど今時間的に昼食を終えて休憩に入っているところだという。


 地下などというから、何だか薄暗くて陰気臭い場所かと思っていたが、さにあらず、エレベーターを降りると、そこは随分と広いホールになっており、その片隅にテーブルが幾つか置いてあって、そこに12~3人くらいの男女の高齢者が座っていた。


 別に衝立で区切られているというわけではなく、一方に座敷のような場所があるだけだった。


 エレベーターを降りると、俺は遠目に彼らの姿を見る。


 いた。


 少し離れたところに”彼女”つまり、椿隆一君の思い人がいたのだ。



 










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