銀髪の花嫁
冷門 風之助
恋の一
◎いつでも恋をしていることです・・・・美しさの秘訣を聞かれて。佐藤友美(日本の女優)◎
『何とかお願い出来ないでしょうか?』青年は思いつめたような表情で俺に言う。
大昔の松竹映画に出てきた佐田啓二(古い例えで恐縮だが)みたいに、きちんと七三に分けた髪型、面長で色白、ブルーのジャケットにノーネクタイ。茶色のズボン。
身長はそれほど高くない。痩せているものの、昨今の
”細マッチョ”と言う奴でもない。
正確に言えば、佐田啓二に似ているのは髪型だけで、あとはお世辞にもぱっとしない。むしろ野暮ったさが全面に出ている。
『・・・・・』
俺は何も答えず、ひじ掛け椅子から立ち上がり、窓辺に行き、シナモンスティックを咥えて外を眺めた。
窓ガラスは雨粒で濡れ、乾く暇もない。
今日で丸三日、雨が降り続いている。しかも『しとしと』などという生易しいものではない。
バケツの底をひっくり返した・・・・というほどではないにしろ、それでも間断なくだからな。
『
殺し文句を言いやがる。俺は腹の中で一人ごちた。
一本独鈷の私立探偵としてやっていくからには、自分の中に立てた信念みたいなもんがある。それだけは曲げちゃいけないと、ずっと思ってその通りにやってきたつもりだ。
だが、この”他に頼る術がない”って言葉にはどうにも弱い。
まして相手が陸自時代に同じ釜の飯を喰った仲からの紹介だとすれば、猶更である。
俺はため息をつき、”コーヒーがないからコーラで構わんかね”と訊ね、向こうがそれでいいと答えると、キッチンに戻って冷蔵庫からリッターボトルを出し、コップを二つ下げて戻ってくると、彼の前に一つ、俺の前に一つ置き、それぞれに注いだ。
『とりあえず話だけは聞こうじゃないか。その上で引き受けるかどうか決める・・・・それでどうだね?』
俺の言葉に彼は安心したように、コップに注がれた、炭酸の泡を発する液体を半分ほど飲んだ。
彼の言う”叔父さん”というのは、小野寺二等陸尉・・・・いや、今年になってから一尉に昇進したのか・・・・の事である。
泣く子も黙る『第一空挺団』の中隊長様である。
俺と一緒に落下傘で幾度も降下し百キロ近い装備を身に着け、三昼夜かけて100キロ以上を踏破するという過酷な訓練を繰り返し、上官や先輩に怒鳴られながら、半分反吐を吐いて潜り抜けてきた仲だ。
で、この青年は小野寺の
酒はほんの僅かしか呑まない。煙草は元から喫わない。
賭け事とも無縁だし女遊びもやらない。
彼が恥ずかしそうに告白したところによると、風俗にさえまだ一度も行ったことがないという。
つまりは正真正銘の『童貞』という訳だ。
ある時、バイト先からの帰りのことだ。時刻は午後4時30分。
都バスの窓から何気なく外を見ていると、突然それは起こった。
隣の車線に並んだワゴン車に、彼女が座っていたのだという。
『恋をしたんです』
顔を真っ赤にして、彼ははっきりそう口にした。
『恋?結構じゃないか。21歳だったら普通のことだよ。むしろ遅いくらいだ』
『その人がグレイヘアの老婦人でもですか?』
口に含んだコーラを、思わず吹き出しそうになった。
間一髪、俺は飲み込んだが、変なところに入ったんだろう。むせて咳をする。
『大丈夫ですか?』
彼が心配そうに声を掛けた。
『ああ、有難う。先を続けてくれ』
その女性は、見事という他はないグレイヘアを、首のすぐ後ろでまとめており、薄茶のジャケットを着ていた。
横顔しか見えなかったが、気品のある、美しい女性だったという。彼女は座席に座り、本を読んでいた。
しかし、何分信号待ちの一瞬の事だったから、すぐに向こうはスピードを上げて、先に行ってしまった。
『それだけかい?』
『最初に会ったのはそれだけでした。』
ただ、ワゴン車のボディーには、
『デイサービスセンター・こもれび』とあり、電話番号も記してあったという。
彼は手近にあったノートの表紙に、番号と名前を書き留めて置く事が出来た。
『それからというもの、僕はバスに乗るのが楽しみになりました。』
毎週同じ曜日の同じ時間、同じ座席に座り、窓の外を眺めた。
思いは通じるものだ。
何度かそのワゴン車が隣の車線に止った。
彼女もいつも同じ席に座り、やはり同じように読書をしていた。
『僕は昔から奥手だったものですから・・・・あんなに胸が震えたのは、本当に初めての経験でした』
”まるで十代のティーン・エイジャーみたようなセリフだな”俺は思った。
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