第21話

「あ……、何を飲むか聞き忘れた。微糖のコーヒーとミルクティーを買っていけば問題ないかな?」

 病院の外に立っている自動販売機に着いた所で、僕は++さんが何を飲むかを聞いていないことに気がついた。しょうがない。

「こんにちは〜。今日は天気がいいですねぇ」

「こんにちは。日に当たると寒さもマシになりますね」

 通りすがりのおばあさんが挨拶をくれたので、僕は無難に返す。

「最近は物騒なニュースが多くて怖いですねぇ」

「そうですね。平和が一番ですよ」

「あたしゃ、先が不安で不安で……」

「それはお辛いですね」

「子どもも最近滅多に家に来なくなってしまってねえ、孫に会いたいと言ったら、忙しいから行けないって言われてしまって……。最近ではテレビを見るのと、犬の散歩が唯一の楽しみですよ。犬も散歩以外ではあんまり構ってくれないんですけどねぇ」

「寂しいですね」

「年金を貰っちゃいるけど、葬式代にするほどの蓄えはなくてね。うちの子らが出してくれるか不安ですよ。……孤独死なんて、前までは信じられませんでしたけども、自分がなりそうになると途端に怖くなってしまってね。せめてお金があれば孫にお小遣いでもあげたり、出前でもとらせたりできるんですけどねぇ。そうすれば、あたしも孤独死なんてせずに済むのに」

 人それぞれ悩んでいる事は違うけど、大変なのはかわりない。"皆苦しんでいるんだから我慢しろ"なんて言う人もいるけど、僕は皆が楽しくなるよう協力できたら良いと思う。苦しいのを無理に背負い込んで、心に押し込めるのは辛すぎる。

「……その事を正直に言ってみたらどうですか? よく話し合うんです。家族仲がどうなのかは知りませんけど、自分の親が辛い思いをしていると知ったら、すぐには無理かもしれませんけど、会いに来る頻度は増えるかもしれませんよ。悲しいじゃないですか、自分の身内が孤独で、死の事について考えてるってのは」

「…………」

「……ね。勝手な事は言えませんけど、忙しいのもお母さんの為に踏ん張っている最中なのかもしれませんし。それまでは、ワンちゃんと仲良くしていましょう。ワンちゃんだって立派な家族ですからね」

 僕はしゃがんで、おばあさんの連れている犬を撫でた。

「……捕まえたー!!」

「──え?!」

 いきなりおばあさんは僕を覆う様に羽交い締めにしてきた。

「金が、金、金がいるんです! 金が無いと孤独死する。そんなのは嫌なんじゃ。お前はどうせ指名手配の犯罪者、おとなしく捕まってくれ……!」

 おばあさんは叫びながら僕を取り押さえようとしてくるが、おとなしく捕まってあげるわけにもいかない。僕は無実だし、やることがある。それにお金は確かに大切だけど、お金があるからって人と人の絆を結んだり直したりはできない。

「ごめんなさい! 無理なんです!」

 僕は拘束の手を振りほどいた。

「うぁあ? 何で、何で、何で? あたしにゃお金がいる。分かってくれ!」

 おばあさんは狼狽えながらも、再度僕を捕まえようとしてくる。

「確かにお金は大切ですけど、それだけじゃ人は寄って来ないですよ! それに僕はお金になりません。済みませんけど、僕はもう行きます」

 僕は大きめの声でおばあさんに忠告して踵を返した。

「ま、まて、待てー!!」

 おばあさんは激昂し、喉が枯れるんじゃないかと思うくらい叫んで、走って追いかけてきた。

 僕は走って逃げた。距離がどれだけ離れても、おばあさんは追いかける事をやめない。犬のリードも放してしまっている。

 いくらか走った後おばあさんは、自分のか他人のかは知らないけど自転車に乗って再度追いかけてきた。

 流石におばあさんとはいえ、自転車に追いかけられては追いつかれてしまう。

「しょうがない」

 僕は車から離れるのを承知で、建物の立ち並ぶ裏路地に入る事にした。

「これで撒けたかな?」

 何度か曲がり角を曲がったところで、おばあさんの姿は見えなくなっていた。

『ぎぃやーっ!』

 その時僕は、遠くで叫び声が聞いた。

「何だ?」

 声のする方に向かってみると、そこには自転車で倒れてしまったおばあさんがいた。頭を打ったらしく、血が出ている。

「金、金……」

 おばあさんは這いつくばりながらもまだ僕を探しているようだ。

 この期に及んで、まだお金って……。死んでしまったら、今欲しているお金なんて役に立たないだろうに。

「ああ、もう!」

 僕は急いでおばあさんに寄って手を当てる。

「戻ってきたか……!」

 おばあさんは嬉しそうにしているけど、どんどん元気が無くなっている。

「命を大切にしてください! お金に取り憑かれたら、逆に人は離れていってしまいますよ。もしそれで近づいて来る人がいるならそれは、お金が欲しいだけであなたなんて見てはいないんです!」

 僕はおばあさんを叱りながら、光で怪我を治していく。

「それでも、一人は嫌なんじゃ……」

「お金だけの仲を築いても、孤独は変わらないですよ。むしろ、余計に寂しくなるものです」

「じゃあ、どうすれば……」

「それこそ、思っている事をしっかり皆に話すしかないでしょ。何度でも」

「それでも来てくれなかったら?」

「残念ですけど、それ程までならお金があっても無理でしょうね。……そうだ。身内がダメなら、新しい友達でも作ったらどうですか?」

「友達?」

「そうです。習い事をすれば作りやすいとは思いますけど、お金が無いなら散歩でもして、同じく散歩をしている人に話しかけるんです。同じ趣味なわけですから、きっと仲良くなれますよ」

「そんなに上手くいくんか?」

「わからないですけど、何もしないよりはマシでしょう? ……はい、治りましたよ」

「あれ、さっきまで怪我してたのにいつのまにか無くなってるんか?」

「治しておきました」

「本当にか?」

「本当です」

「……そんな奇跡みたいな事あるんですねぇ。…………さっきは、ごめんなさいね」

「はい。気をつけて帰ってくださいね。それと、まだご家族に話して無いんでしょ? 自分の気持ちとか、状況とか。なら、悩むのは話してからで良いんじゃないですか?」

「分かりました。あなた、思ったより良い人間ですねぇ」

「そうですか、ありがとうございます。では、さようなら」

「さようなら」

 おばあさんは自転車に乗り直して去っていった。

「少し離れちゃったな……。戻るか」


「すみません、待ちましたか?」

 僕は車に戻って待っていた++さんに声をかけた。

「いえ、それ程待っていません。近くにいそうなのは三人ですね、今もそこにいるかは分かりませんが」

「そうですか。あ、ミルクティーと微糖のコーヒー、どっちが良いですか?」

「いいんですか? では、ミルクティーを頂いても良いですか?」

「はい。どうぞ」

「いただきます」

 僕がミルクティーを渡したら、++さんは早速飲みはじめた。そう言えば会ってから数時間経つけど、何かを口にしているのを一度も見ていないな。

「喉乾いたりお腹減ったら、飲んだり食べたりしていいですからね。別に止めませんし」

「お気遣いありがとうございます」

「では行きましょう。一応手伝いますけど、無理に謝ったり怪我を治したりはしませんからね」

「はい。助かります」

 それから僕達は、比較的近場にいる、かつてによって傷つけられた人達にお詫びをしに向かった。


 日が暮れてすっかり夜になった頃、車の中で外を見ながら僕は口を開いた。

「まともに謝れたのは結局一人だけでしたね」

 一人は既に遠い所に引っ越して、どこにいるかも分からなかった。もう一人は『酷い怪我を負わせておいて、何年も経って今更謝られても困るし、家族がいるからもう二度と会いたくない。怪我も今更治すつもりはない』との事で追い返された。言っていることはごもっともだ。そして最後の一人も、謝って気が済むなら謝ってくれていいけど、これ以上は一切かかわらないで欲しいとの事だったので、怪我だけ治して帰る事になった。

「ですが、こんな言い方は失礼ですけど、少しホッとしました。一人でも会えて」

「そうなんですか?」

「確かに、罪を犯したら法によって裁かれるのべきではありますけど、それだと反省はできても、自らが動いて被害者の方に報いる事はできませんから。一人でも会えて良かったです」

「……良かった、ですね」

「はい。△△さんのおかげです。今日はお付き合い頂きありがとうございました」

「いえいえ。そうだ、寝るところはどうなりました?」

「ああ、大丈夫です。良い所がありますよ」

「良い所? どんな所ですか?」

「もう到着しますので、すぐにわかります」

「今更無いとは思いますけど、怪しい場所ではないですよね?」

「はい。安心して下さい」

 そう言うと間もなく車は停められた。

「着きましたよ。降りてかまいません」

「……分かりました」

 車はある大きめの民家の前に停められていた。外に出て確かめて見ても、宗教のロゴのようなものは何もついていない。

 僕が怪訝な顔をして++さんに目線を向けるが、行くように促すだけだ。

 僕は意を決してインターホンを鳴らした。

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