第4話

 僕はひとまず家に帰った。そして、大きめの斜め掛けのカバンを押し入れから取り出し、それにこの前食べ損ねた芋ようかんと、スマートフォンのモバイルバッテリー、下着何枚かと、毛布を詰めて、再び外に出た。

 積もっていた埃を軽く払って、久しぶりにスクーターのエンジンをかけた。

「ガソリンが少ないな」

 途中で補充しないと。あと、食べ物も買っておかないとダメだ。

 別に、逃げたり隠れたりしなくてもいいんじゃないか? そう頭をよぎるけど、それは楽観が過ぎる。

 募金をした人も、番組で紹介したテレビ関係の人や会社も、女性の関係者も批判を受けていて、付いてしまった悪評を払拭する為に、その内の少なく無い数の人が今度は批判する側にまわっている。女性と男の子の二人だけを標的にして。

 “実は大した怪我は無かったのに、テレビで取り上げられたのを良いことに皆からお金を騙し取った悪人”

 多少の言い方とかニュアンスの違いはあるかもしれないけど、皆だいたいこういう理由で叩いている。

 確かに善意で渡したお金が悪人に盗られたとあっては、黙っていられる人の方が少ないと思う。今回、怪我まで一瞬で治ってるわけだし、それこそ魔法でも使わない限りあり得ない話だ。実際魔法みたいなものなんだけど、生憎ここは魔法を使ったり、ドラゴンが生息するようなファンタジーな世界じゃないからには信じられないと思う。だから、子どもが利用されていただけの可能性もあるけど、あの二人が悪人だと思うのは随分と現実的なことだ。

 そして、本来ありえない事が起きている動画を見れば、動画を見ただけならば、彼女が責められたくないが為に作った“馬鹿らしい悪あがき”と捉えられるはず。でも、そうはならない。実際に目で見た人が多すぎたんだ。仕事終わりや下校の時間と重なっていたから余計に。

 あの女性と男の子を責め立てていた人が僕を次の標的にするだろう。好奇心からこの渦に入り込む人も増えるだろう。二人は知りもしない僕との関係を、幾度となく聞かれ、責められるだろう。

「親にも、おじさんとおばさんにも一言いっておくか」

 これから迷惑をかける。一言行った所で気休めにもならないかもしれないけど、ケジメはつけないとダメだ。今後どうなるか分からないけど、いや、分からないからこそ、今の内に後悔しないように行動の選択をしなくては。

 

 商店の前に着いてスクーターのエンジンを止める。さあ、何を話したものか? でも、悠長に考えている暇は無い。僕は意を決する事はできなかったけど、ヘルメットを脱いで深呼吸だけしてスクーターから降りた。

 足を出せば歩ける。そんな調子で入り口に向かう。ドンッ。

「あ、すみません!」「ごほっ、こちらこそ。ごほっ、すみません……」

 よそ見をしていたので、出てきた人にぶつかってしまった。相手もよそ見、というより前もまともに向けていない。その若い男性は始終咳をしていて、熱もあるのか顔が赤くなっていた。

「大丈夫ですか?」

「はい……。ぅぐぇえっほ! げほげほげほ!」

 言葉とは裏腹に咳の勢いは収まらず、それどころか増している気さえする。

 僕はカバンに入っていたのど飴を取り出して、男性に渡した。男性が軽く訝しげに見てきたので、言葉を継ぎ足した。

「これ、よく効くんです。遠慮せず、食べてください。あ、毒なんて入ってないですよ」

 もう一つ取り出して、見本とばかりに口に含んで見せる。この間も男性は咳をしている。

「ごほっ。ありがと、ごほごほ! ございます……」

 男性は飴を受け取り、さっそく口に含んだ。少し舐めていると咳の勢いが弱まった。

「看病してくれる人はいないんですか? そんなに辛そうなのに……。万が一インフルエンザとか肺炎にでもなっていたら、大変なことになりますし」

 男性は少し間を置いて、眉間にシワを寄せながら唾を飲み込み、ゆっくりと話した。

「いえ。いないことは無いですが、親は忙しい身ですし、お手伝いさんに、ごほっ。これ以上働かせる訳にもいきません。これくらいなら今までもありましたので、問題ないです。ごほ、ごほっ」

「そうですか。でも、無理はダメですよ」

「ごほごほっ。はい」

 こうなれば二人も三人も同じかな?

「大事になさってください。きっとすぐによくなりますよ」

 僕はそう言って笑顔をみせて、男性の肩に手を置く。

「ありがとうございます」

 そして、能力を使って手当てをして咳を原因ごと治した。あのまま帰すのは選択肢に気がしたから。

 僕は少し気分が良くなったので、口の中の飴をカラカラと弄びながら、振り返らずに店に入った。


 おじさんとおばさんは閉店作業に入っていた。この商店はコンビニとかと違って二十四時間ではない。だいたい八時開店の十七時閉店で、週に一日の休みを設けている。

「おや、△△ちゃん? 帰ったんじゃないの? 忘れ物かい?」

 二台あるレジの一つを閉じたおばさんが、入ってきた僕に気付いて話しかける。口調は穏やかで、優しい。

「いえ。急な話ですみませんが、明日、いや当分ここに来れないかもしれないんで挨拶に来ました」

 おじさんが洗った手をタオルで拭きながらやって来た。

「どういう事だ?」

 驚いた様子だったけど別段怒る事も無く、おじさん話を聞こうと僕の目を見た。おばさんも同様だ。

「騒ぎを起こしてしまったんです。それで、どうなるか分からないので身を隠そうと思いまして」

「犯罪を犯したんじゃ無いんだろうな?」

「違います」

「理由、聞かせて貰える?」

「そうだな。話せねえってんなら良いんだけどよ」

「その内知ることになるんで、正直に話します。嘘みたいな話なんですけど、僕は子どもの頃から傷とか病気を治す能力があったんです」

「医術的な話……、じゃないんだな」

「はい。魔法みたいな感じです。自分でも何故こんなことができるのかは分からないんですけど」

には信じられないわね」

「それで?」

「はい。それで、先日“植物状態の男の子が治った”っていうニュース知ってますか? それとその子の母親が“募金目当て詐欺疑惑が掛けられている”っていうのも」

「ああ。最近そのニュース何回もやってるからな」

「もしかして……」

「はい。その男の子を治したのが僕で、そのせいでその子のお母さんがあらぬ疑いを掛けられて、さっき自殺を図りました」

「んで、その人も治した。って言いたいんだな?」

「はい」

「その能力っていうのが本当として、何も△△ちゃんは悪い事してないじゃないの。逃げなくてもいいんじゃないの?」

「母さん、そんな簡単じゃねえと俺は思う。△△君、先にあんたを手放しに信じたい。だから、その能力ってのをここで見せてもらえるか?」

 店のシャッターを閉めつつ、おじさんは決心したように言う。

「えっと、いいですけど……?」

 おじさんは僕達を流し台の方へと呼び、僕とおばさんが来たのを確認するとポケットからカッターを取り出した。

「あ!?」

 そう言った頃にはもう、おじさんは自身の手を切り裂いていた。

「こんなに深く切らなくても!」

「血が止まらないわ。どうしましょ!」

 流し台がどんどん血の赤色で染められていき、おばさんは慌てて混乱している。だけど当のおじさんは冷静で、何なら『やってみろよ』と言いたげな顔を僕に向けていた。僕はそれに応えることにした。

「じゃあ、治しますよ!」

「おう!」

 おじさんの裂けた手に僕は手を当てた。

「信じてるぜ」

「ほ、本当に治るの?」

 僕は手から光を出した。その光はおじさんの手の傷を瞬く間に治す。

「こりゃ凄え!」

「あらまあ!」

「あれ?」

 嬉しそうに喜ぶ二人をよそに、僕は疑問が浮かんだ。

「なんだ、失敗か? 見た感じ何ともねえが」

「いえ、成功は成功です。でも、さっき女性を助けた時は血もまとめて体に戻ったんです」

「もしかしたら失敗したかもしれなかったって事かい?」

「ははっ。怖い事言ってくれるねえ。まあ、△△君、今顔色あんまり良くねえし、単純に腹へってるんじゃねえのか?」

 確かに、昼にサンドウィッチを食べてから何も口にしていない。

「ご飯はまだなの、△△ちゃん?」

「え、ああ、はい。僕、顔色悪いですか?」

「そうね、貧血してます。って顔色ね」

「家で食って行くわけにもいかねえわな。こんな力が有るって、もう世間にバレてるんならよ」

「はい」

「じゃ、うちのモン、好きなだけ持っていけ」

「え、いいんですか?」

「おうよ!」

「そうね。商品はまた買えば済むし。でも、できれば売れ残ったサンドウィッチを優先してほしいけど」

「ったく、母さん。そんな事言ったら、格好付かないじゃねえか……」

「はははっ。ありがたく貰っていきます」

 僕は二人の言葉に甘えて、食べ物をカバンに入るだけ貰った。勿論サンドウィッチを優先した。毛布が入っているからいっぱいは入らなかったけど、貰い過ぎても悪いし、丁度いい。

 そして、店の裏口まで二人が見送りに来てくれた。

「気をつけてな、△△君」

「はい」

「いつでも頼ってね、△△ちゃん」

「はい」

「何で僕を信じてくれたんですか?」

「ん? 嘘ついてる様子でも、無かったからな。まあよ、仕事休む理由に“魔法使えます”とか、“僕はお尋ね者になりました”ってのは子どもでも思いつかねえな」

「確かに」

「それに、あなたは正直者ですもの」

「俺はよ、歳こそ離れてるけど、おめえさんの事を友達みたいに思ってたんだけどな。俺だけか?」

「……ありがとうございます」

「私は子どもか孫みたいな感覚だったわ」

「ありがとうございます」

「よし、聞いたんならさっさと行って来い。今生の別れじゃねえんだ、あんまり惜しむ事ぁ無えだろ。△△君、俺はよ、友達にヒーローしてるってやつはいねえから、ちょっとワクワクしてんだ」

「そうねえ。急な話でビックリしちゃったけど、おばさん、△△ちゃんの事応援するわ」

「ヒーロー……。良いですね」

「な。じゃ、またな」

「またね」

「はい。また」

 信じてくれるかすら疑問だったけど、何なら馬鹿にでもされるんじゃないかって思ったけど、二人は笑顔で応援までしてくれた。僕は貰った“一日分の鉄分がとれるグミ”をいくらか口に放り込んで、再びスクーターのエンジンをかけた。次は実家に行こう。でも、その前に食事を取らないと、流石にお腹が減った。


「この辺りでいいか」

 僕は山にある人気の無い公園に来ていた。ガラの悪い人達も、わざわざ山に登って何もない公園に来たりしないだろう。そういう思惑で来てみたけど、どうやら正解だった。公園といっても、雨よけ用の屋根の下にテーブルとベンチがあるだけで、その他はほどほどの広さの土地以外何も無い。

 僕は幕の内弁当を食べながら、スマートフォンを付ける。今日の出来事なのでまだテレビではやっていないが、既にSNSでは僕が映る動画がかなり広まってしまっている。

 やはりと言うべきか、今の所この僕が出したを含め、一連の流れを撮影だと思っている人が大半だけど、居合わせた人の証言が多くて、信じる人がどんどん増えていっている。

 正直、嘘だと思ってくれた方が僕としては平和だ。でも、そうなると親子の立場が危うくなる。そう、僕の能力を信じない人にとっては、親子が急に意味不明な芝居を見せて来て『自分は悪くない』と言ってるようなもの。火に油を注ぐとはこのことだ。

 せっかくと言ってはなんだけど、助けた命をまた捨てざるを得なくなる状況にはならないで欲しい。

「早いな……」

 既に僕が誰であるか、つまり僕の個人情報は特定され、悪気が有ってなのか無いのか知らないけど、拡散されてしまっていた。

 ある人は詐欺師の黒幕、ある人は宗教家、ある人は超能力者と呼ぶ。そして悪人に人権は無いと言わんばかりに有りもしない誹謗中傷をなげかけたり、そんな能力があるなら隠すのは罪だと言ったり、胡散臭い奴や悪い奴を吊し上げようとしたり、こんな珍しいなんだから参加しないのは損だとしたり、他にも色々あるけどこんな理由で僕のプライベートや平穏が奪われていた。

 今の所、僕の事を庇ってくれている人は見当たらない。

「会いに行かない方がいいか?」

 身分がバレているなら、親の情報が突き止められるのも時間の問題だ。僕が会いに行ったのが知れれば、親の情報が確かなものだと証明することになる。電話を掛けてみるか。

「……………………………………出ないな」

 殆ど家出みたいに実家を出たから、無視されてもおかしくはない。忙しいだけかもしれないし、単純に気付かなかっただけかもしれない。それは本人にしか分からないけど、声は聞いておきたかった。安心したかったのかもしれないな。

 僕は事情と、会わない方が良いという旨のメールを送った。

 お弁当の空容器を近くのごみ箱に捨てたあと、ベンチに体を預けて空を見た。

 殆ど勢いで出てきてしまったけど、この騒動の終着点はどこなんだろうか? 寝て起きたら、収まってて、僕にもあの親子にも平和が訪れてたりしないだろうか? そう、僕はよく作られたフェイク動画の演者で、実はあの子の怪我もこの騒動の時には殆ど治っていて、奇跡的にでも現実的に目を覚ましただけで、魔法みたいなものも悪人も一切いない。そうなってくれれば楽なんだけどな……。

 そういえばあの女性、僕が行く直前に『待って!』って言ってたけど、何を言うつもりだったんだろうか? 最悪、になるのを邪魔したんだから、罵倒されても文句は言えないな。

「あー、ダメだ」

 ネガティブになってしまっていた。もう、寝た方がいいな。明日はどこへ行こうか。カメラとかも少ないだろうし、田舎にでも行こうかな? 田舎っていっても、どこが良いかは分からないけどさ。

「明日のことは明日決める。明日は早起きして朝から行動するから、今日はもう寝る」

 僕は自分に言い聞かせるみたいに、わざとらしく宣言した。でも、誰もいないのに、少し恥ずかしくなって声が少し小さくなってしまった。

 冬の夜にしては比較的暖かいけど、外で寝るのは流石に寒いなと思いつつ、僕は毛布に包まりながらゆっくり目を閉じた。

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