第2話

 まどろみに身を任せて惰眠を貪った僕は、寝過ぎによる頭痛で目を覚ました。

「いってて……」

 一杯の水を飲みつつ、コーヒーの為のお湯を沸かす。ついでにトーストを焼こうと思ったけど…………

「……やば。食べ物買うの忘れてた」

 仕方ないけど、買い物に行かないとダメだな。顔を洗っている間にお湯が沸騰したので、火を止めてお湯が落ち着いた所で、インスタントコーヒーの粉をあらかじめ入れておいたコップに注いだ。いくらインスタントって言っても、お湯の温度で味が変わるんだよね。まあ、細かい事言い出すと時間かかるから、気を使ってるのはお湯だけだけどね。待つだけで良いし。

「うん。まあまあ美味しい」

 何となく目が覚めてきたから、僕は頭に手を当てて頭痛を治す。いつもの通り、光が癒してくれる。

 気功を使って患部に手を当てて治す。手当てって言葉はそこから来たって、誰かが言っていた気がするな。だけど、気功って本当にあるのかな? 魔法みたいなこの能力を使ってる僕が言えた事じゃないけどさ。

「よし。治った」

 頭痛が治ったらお腹が減ったんで、おにぎり三っつくらい買って食べようかな。と思いつつ服を手早く着替えて、支度を済ませた。とは言っても、財布の中にお金が入ってるか確認しただけなんだけど。

「千五百円ほどか。下ろさないとな」

 引き出しからカードを取り出して財布に突っ込んだ。まだコーヒーが残ってるからそれで一息つく。ついでに何の気無しにスマートフォンでニュースを確認した。

『植物状態のこども 奇跡的回復をみせる』

 おっ。あの子かな? あれから二日程経ったけど、ニュースにまでなってしまったのか。大怪我治すつもりが、植物状態も治しちゃったみたいだ。今まで何度も怪我や病気を治してきたけど、重症な人を治す機会はあまりなかった。だからこそ珍しくて余計に大々的にニュースになったのかな。

 大抵そういう人は出入りの難しい部屋に入ってて、と言うよりむしろ部外者は全く入る事ができない事が多くて、治したくても治せなかったんだ。あんまり無茶をして侵入してしまうと、それ以降誰かを治してあげられなくなるしね。

 そんな病気だとか大怪我を治せるけど、この能力は万能じゃない。失った体の部位は再び生やすことはできないし、多分死人も蘇らない。多分っていうのは、人間に試したことが無いからなんだ。そもそも、死人に出会ったこともないしさ。ありうるのは事故だろうけど殆ど居合わせないし、起きたとしても救急車は数分で到着するし、即死なんてもっと数が少なくなる。

 じゃあ、何に試したかっていうとズバリ、魚だね。牛も豚もまるまる売ってるところは全然ないし、買うにしても高すぎてアルバイトの身では手が出せない。それでなくとも困ってる人とか僕の力が必要な人を探すのに交通費が掛かるんだから。あと、鶏は丸鶏として売ってる事がよくあるけど、頭が外されているよね? 流石に頭の無い生物を治してみようとは思えなかったよ。

 そんなこんなで、お求め易いお魚を試した訳だね。比較的鮮度の高い魚で試したけど、甦ることは無かった。ひん死とか、仮死状態くらいなら戻せるだろうけど、完全にお亡くなりになっていたら無理なんだろう。でも、電気ショックでの救命も、五分は猶予があるし、僕の能力もそれくらいの時間なら死んでても戻ってこさせられるかもしれないね。今の所試す機会に恵まれて…………、いや、恵まれるってのは言い方が悪いな。できれば死者は出ない方がいいし、僕の能力の実験の為になんて、もし失敗したら後味が悪いじゃ済まされないよ。

「あ。お母さんのインタビューがあるな」

 動画を再生すると、モザイクがかかって音声変換もされている女性がインタビューに応えていた。

「無理やりだな」

 女性は何度も「息子と一緒に居たい」だとか、「答えられることは全部答えました」とか、「いいかげんにしてください」と、報道陣に訴えかけている。だが、それを良しとせず、何度も何度も同じような質問を投げかけて、を撮ろうとしていた。動画の終わりの方では、報道陣の一人が「実は怪我も植物状態だったのも嘘なんじゃないですか? 実は募金目当てでデマ流したんでしょ」と、非難をする始末だ。

「流石に、複雑な気分だな」

 少年を治した事は間違いではないと、後悔は無いとはっきり言える。でも、もっと何かやり方があったんじゃないかと、悩んでしまう。答えは出てこないけど、一言この女性に謝りたい。何を謝れば良いかはよくわからないけどさ。

「とりあえず、何か買いに行くか」

 かといって自分が絶食するのは別の話なので、僕は飲み終えて空になったコップを流しに置いて水に浸けた後家を出た。

「いい天気だな」

 空は晴れていて、かと言って日差しが強すぎることもなく、雲はアクセント程度に空を彩っていた。そよ風が心地いい。まるで春みたいだけど、まだ十二月だ。

「暖冬ってやつかな」

 ここ数日最高気温が二十℃に達することも多くて、異常気象だという専門家が増えているみたいだ。この前なんて、一部の地域で二十五℃を越したとか。そこまで行くと素人の僕でも異常だと判る。

 季節外れの花が咲いたり、台風が増えたり、この地球はどうなってしまうんだろうか。地球滅亡は無いにしても、人間が住める環境でなくなってしまう可能性は十分に有る。

 道を歩いていると、咳が出ている人をよく目にする。

「インフルエンザの季節かな」

 この季節になると僕は人混みに入って、すれ違いざまに咳をしている人を治す。人混みだったら人に触れても不振に思われにくいからね。あと、僕が掛かっても治してしまえばいいから、基本的に移すこともないから感染拡大もしにくい。今は昼だからいいけど、夜は気を付けないとダメなんだ。何故かって言うと、僕の力を使うと否が応でも光が出て来る。暗い場所だと目立つでしょ? それで見つかりそうになったことが何度もある。

「いらっしゃいませ。ああ△△ちゃん、シフト確認しにきたの?」

「いえ。ご飯買い忘れてたんで、ちょっと」

「そう。じゃあ、新商品のサンドウィッチはどう? あれ、まあまあ美味しいけど」

「ああ、良いですね。でも、また今度食べてみます。今はおにぎりの気分なんで」

「そうかい。おにぎりは元気でるもんね」

「はい」

 この人は僕がお世話になっている個人商店の店長のおばさんだ。夫婦経営で、このおばさんの旦那さんがオーナーってことになっているらしい。売れ行きはコンビニ程ではないけど、品揃えもいいし昔からあるお店なので、古くからの常連さんが大勢いる。

 僕は当ても無いまま一人暮らしを始めた時、履歴書に書けるようなスキルもないから就活に苦戦していた。と言っても、正社員とかに就くつもりは無かったからアルバイトなんだけど、それでもなかなか採用されなくて困っていた。家を借りるのは親に手伝ってもらったけど、就活を手伝ってもらう訳にはいけない理由があった。職業としてはに成れなかったけど、そんなんじゃ諦められなかった僕は、趣味という形でもいいからと、人助けを始め今まで続けてきた。僕の中では何と言われようと本業は人助けヒーローだ。だから「定職に就け」と言う両親に就活を手伝ってもらう事はできない。なんだか負けた気がするのもそうなんだけど、そればっかりに時間を取られたら人助けに時間を割けなくなる。子どもっぽいけど、自分に唯一存在するプライドみたいなもので、これを捨ててしまえば、今まで他に何もしてこなかった分だけ僕は空っぽの人間になってしまうんだ。

 それでも食べていくにはお金を稼がないとダメなんだけど、仕事も無い、貯金も底が見えて食事もとれずに僕は日に日にやつれていった。そこで近所に住むこの夫婦が心配して声をかけて来てくれ、ここで働くようになった。命の恩人だ。もう結構年なんだけど、二人で支えあい頑張っている。

 確かこの二人には息子と娘がいたはずだけど、息子さんはどこかの企業のお偉いさんになったみたいだし、娘さんの方も大金持ちとは言わないものの夫婦円満で幸せな家庭を築き、専業主婦をしているからどちらも後継ぎにはなれないと言っていた。だからおじさんとおばさんは別に後継ぎを探すのか、お店を畳むのかいつも悩んでいる。今の僕はどうすることもできないけど。

 能力を活かして別の仕事をしようとしたことが無いことは無い。医者とか、リハビリ施設で働いたりとか、スポーツ選手のトレーナーとか。ああ、宗教なんかも考えたけど、何にせよ、結果はどれもダメだった。医者は単純に頭が足りないのもあるけど、病人をその場で一発で治してしまえば商売あがったりだし、一気に効果がでてしまうのでリハビリもダメ。トレーナーも怪しまれるのが目に見えている。

 能力を大っぴらにすればもしかすると名実共にヒーローになれるかもしれない。でも、まずは得体の知れない生物を科学的に研究し、能力のを明かさないといけないだろうね。すぐに解明されれば良いけど、そうでなかった場合は最悪だ。僕は解剖されて切り刻まれて、みたいにされて、それでカラクリが判ればマシな方で、本当に最悪なのは万病を治せる存在を失い、能力も永遠に失われる事だ。だから僕は今まで公的機関にも助けてきた人達にも能力が有ることを隠してきたし、中学生以来は身内にも明かしていない。

「昆布と、梅と、明太子にしよう」

 定番のおにぎりを取り、片手に持つ。

「芋ようかんも買っておこう」

 考え事が多いとどうしても甘いものが欲しくなる。そういえば、力を使っても甘いものが欲しくなるな。もしかすると、脳の本来使わない箇所が動くことによってこの能力が使われているのかも。考えた所で答えは出ないけど、考えずにはいられない。

「おねがいします。ああ、お茶も買わないと」

 喉を詰まらせて窒息なんて、笑い話にもならない。

「はいよ」

 もうすぐ食べられるという安心感からお腹が鳴りそうになるのを、僕はお腹に力を入れることで防いでいた。一度鳴って空腹だと改めて意識させられると、辛さが倍増するからね。食べられる直前までは鋼の意思を持たないといけない。

「またね、ありがとう」

「はい、ありがとうございます」

 僕は買ったものを持って近くの公園に来た。

 ベンチに座って、何組かの親子が遊んでいるのを眺めながら、僕は袋から梅おにぎりを取り出して貪るように食べた。もう我慢の限界だった。喉に詰まりそうになりつつも、お茶を飲んでやりすごした。

「ふぅ……」

 公園では親子の笑い声と鳥の鳴き声が聞こえて来て、心を穏やかにしてくれる。別に過激な考えは持っちゃいないけど、何も無くても心は生活するだけで。だからこまめに、それが無理ならたまにでも心を癒してやらないといけない。余裕が無くなるとだいたい馬鹿な行動にでてしまうのが、人間の性ってものだ。主語が大き過ぎたかな? じゃ、僕の性だ。

「次は何を食べようかな」

 言いつつも、悩んだ時間はせいぜい五秒程で、昆布のおにぎりを取り出す。昆布は味が濃い目だけど醤油のおかげか落ち着く。今の心境にぴったりだね。その点、明太子は辛みのおかげでインパクトがある。

 僕は最後に満足感が欲しいから、明太子に殿しんがりを任せたんだ。

「ん~。お腹いっぱいになってきたな」

 明太子の途中でお腹が膨れてしまった。空腹が過ぎて、胃袋が小さくなってしまったんだろうか。

「芋ようかんは、後でにしよう」

 お茶を飲みつつ、景色と親子平和な光景を愉しむ。そういえば昨日の病院この辺りだったな。あの親子大丈夫だろうか? あの動画の感じだと、お母さんだけじゃなくて治った男の子までインタビューの標的になりかねない。あの大怪我と植物状態から急に治ったんだから、気になるのはしょうがないにしても、ものには限度が有ると思うんだけどな。

「はぁ……」

「え?」

 このため息は僕のじゃない。勿論、僕もため息をつこうとしたけど。

「え? ああ、すみません」

 隣のベンチにいつの間にか座っていた女性のため息だった。僕とさほど変わらない歳に見える。だけど、一目見ただけで疲れが溜まっているのが判る程顔に覇気がない。

「お疲れですか?」

「はい……」

 どこかで見た事ある気がする女性だ。でも、どこだったかな?

「ニュース見ましたか? 植物状態の男の子が治ったんみたいですね」

「はあ」

 見知らぬ人に何を話しかければいいか分からず、さっき考えていた事をくちにした。

「凄いですよね。でも、インタビューの勢いというか、相手を顧みない態度には引きましたけど」

「はい、疲れちゃいました」

「ん?」

 何か違和感が。本人みたいな言い回しだったな。

「あ」

 よく見てみると、今日見た動画のお母さんと同じ服なきがするし、髪の長さも同じ位に見える。

「もしかして、その、インタビューを受けてた女性って、貴女ですか?」

「……はい。そうです。でも、あまり大きな声では……」

「ああ、ごめんなさい。そうですよね」

「いえ。あの子まで失う所でしたから、治ってくれたのは感謝しています。でも、こんなに沢山の人から心無い言葉を掛けられるなら、なんで少しずつ治ってくれなかったんだろう? そう思ってしまうんです」

インタビューあれ以外にもあったんですか?」

「はい。テレビのニュースとか情報番組とかでもある事無い事言ってますし、SNSでも炎上してるみたいで……」

「すみません……」

「ん? なんで謝るんですか?」

「いえ、貴女の気持ちも考えずに……」

「気にしないで下さい」

「ありがとうございます」

 『僕が治した』と言うべきだろうか? 事の発端は僕にある。彼女はそれで今心をすり減らしている。知る権利はあるんじゃないだろうか?

「私、夫を今回の事故で亡くしているんです。……相手の車がアクセルとブレーキの踏み間違えで歩道に突っ込んだとか。半年前の事です」

 女性はゆっくりと続ける。

「他にも何人か巻き込まれてて、息子だけ奇跡的に助かりましたが、それでもあんな状態で」

「そうでしたか」

「皆、私を嘘つき呼ばわり。もう、疲れちゃいました……」

 消え入りそうな声で、何もかも諦めたかのように力なく彼女は言った。僕は何と声をかければ良いか分からず、時間だけが無情に過ぎて行った。

「もう、いかないと」

 どれくらい時間が経っただろう? 沈黙が長らく続いて、カラスの鳴き声が聞こえた頃、彼女は静寂を破るように大きな声で言った。愚痴を言ったことで元気が出たわけじゃない。ただの空元気だ。そんなの誰でも、少なくとも僕には丸わかりだ。少ししか話をしていないにしても、救いようのない程の鈍感でない限りは判る。

「僕は……。僕は信じます」

 そんなありきたりの言葉しか出なかった。でも、言わずにはいられなかったんだ。

「……ありがとう」

 彼女は振り返らぬままそう言い、歩幅を緩めずに去って行った。

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