第31話 蛇足の始まり

 サボり明け、1日ぶりの教室。クラスの雰囲気がいつものように、いつも以上に和やかだ。失踪していたクラスメイトが戻って来たのだからそれもまあ当然なのだが。芸能人やらドラマの話やら好きなお笑い芸人の話で盛り上がり、楽しそうだ。勿論俺はそこに混ざることはない。いや、寂しくなんてないけど。羨ましくはある。

 

 何はともあれ。 


 学校をそんな長い期間休める筈もなく俺は登校した。母さんにも心配されたし、というか怒られた。


 鳴子は日常を手に入れて、俺は日常に戻ったのだ。以前と変わらず友達に囲まれることもなく、声を掛けられることもなく、放課後遊びにも行かず真っ直ぐに家に帰る。そんな感じ。心機一転、憂鬱なマイライフがカムバックした。


 いや──俺にはいるじゃないか。まくりと、あの小さくて可愛い後輩が。そうだ、昼休み思う存分愛でよう。あの整えられた髪をくしゃくしゃになるまで撫でてやる。


「ちょ、ちょっと急にどうしたんですか!?」

「大丈夫だ」

「何が!?」


 そう、こんな風に。


 テスト間近で緊張感のある授業を何とかやり過ごして──昼休み。パンを抱えてベンチに座る御伽ちゃんの頭は、やっぱり高さが丁度良い。手に馴染む大きさの頭は、掌で掴んで持ち上げられそうだ。


「もう……本当にどうしたんですか?」


 一頻り撫で終わると、俺は彼女の隣に腰掛ける。


「小動物のような可愛さだったので、つい」

「またそんな事を……何かに目覚めたのかと思いましたよ」


 まあ、目覚めた、と言えばそうなのかもしれない。


「変態的なものじゃない。安心しろ」

「……ですか。でも、先輩ちょっと変わりましたね」

「?」

「何かこう、刺々しいというか攻撃的というか、そんな雰囲気を感じます」

「学校をサボったからかもな」

「おお、それはヤンキーっぽい」


 何故だろう、武勇伝を自慢するイタイ奴になったようで恥ずかしい。


「ところで御伽ちゃん、ちょっと化け物に取り憑かれてくれないか?」

「いやそんなお遣いに行かせるみたいな……それにしても、取り憑く、ですか?」

「実は銃を手に入れてな。お前を撃ちたい」

「え、本当ですか!? ついに覚醒したんですか!? そうなんですか!? そうなんですよね!?」


 興奮に身を乗り出す御伽ちゃんの口から食べかすが飛んできて汚い。


「あ、ああ……君が取り憑かれて、俺が撃てば、化け物ごとそれに関する記憶を消去出来る。御伽ちゃんを化け物から救えるんだ。だから──御伽ちゃんを撃ち殺させてくれ」


 取り憑かせて撃ち殺せば、彼女は忘れて救われるだろう。いや、まあ厨二病が治らない限りは友達関係についてはちょっと何とも言えないが、良くはなると思う、多分。


「なるほど、そんなことが……やはりチート」


 日常を手に入れられるまたとないチャンス。かなり良い提案だと、そう思ったのだが、


「うーん……でも、そうですか……」


 何か引っかかる部分があるのか、納得いかないのか、不満気に唸っている。


「……先輩、なんか投げやりじゃないですか、それ」


 視線を地面に落として、御伽ちゃんは口を尖らせた。


「考察に検証を重ねて、そんな事を言っているんですか? 後先考えてますか?」

「いや、まあ……成功例はある」

「ほら、やっぱり考えてない。冷静で論理的な先輩らしくない、随分と直線的な思考じゃないですか。というかそもそも私、今満足してるので、消去してもらっちゃあ困るんですけど」

「えぇ……」

「だってその方が非日常ですし、快感じゃないですか? 化け物を撃ち殺すなんて、一般ピーポーならまず経験出来ることじゃないんですから」


 ああ……忘れていた。この少女もまた、武器を持った異常な存在だった。歪みを拒絶するどころか、歪みをありのままで受け入れている。


「ふむ。ここはやはり、先輩に何かあったと考えるのが自然ですね。それこそ銃を手にしてしまうような、とんでもない体験があったのでしょう。話を聞かせてもらえませんか?」


 話、か。


 今更何を話せと言うのだろう。もう何もかも終わって収拾がついた今、何を語れば良い。それは蛇足だ。蒸し返すのはあまりに滑稽に思える。惨めで、恥ずべき行為。


 少し迷いもしたが、結局俺は彼女に話すことにした。


 と言っても、これはどうするべきかの相談ではなく、胸の支えを取るための、言ってみれば自分語りとして。教会で懺悔するような、告白に近いものだった。


 個人名や込み入った事情は抜きに、銃を持った知り合いの女の子が化け物に取り憑かれた事、撃ち殺すと化け物に関する記憶を失くしてしまった事。一日学校を休んで整理でもされたのだろうか。意外にも言葉がすらすらと、並べられて吐き出された。


「──そんなとこだ」

「ふむふむ……なるほど」


 御伽ちゃんは神妙とも楽しんでいるとも取れるような、そんな顔で、語り終えても暫くは黙りこくっていた。


 そういえば、御伽ちゃんは知っているのだろうか。化け物が外的な要因ではなく、自分の歪みから発生しているということを。伝えるべき、なのだろうか。考えてみればこれは中々にショッキングな話、そもそも俺が簡単に口にして良いものかどうか。


「記憶を失えば、化け物に襲われることは無くなると思うか?」

「ええ、そう思いますよ? だって自分だけの現実でしかないわけですし、その種が消えてしまえば、そもそも見えるという事実自体も消えて無くなると思います」

「……そうか」


 どうやら俺と同意見だったようだ。記憶を失ってからもまた化け物に襲われるのでは、そんな事を危惧していたが、胸の支えが一つ取れた気がする。


 そういえば──御伽ちゃんの──歪みとは一体何なのだろう。それらしい何かを聞いたことはないが、彼女もまた何かを抱えていることは事実であり、しかもそれを許容して受け入れているのだ。


 ──いやそれを知ってどうする。

 

「……それにしても憑依型とは、興味深い」

「憑依型?」

「ああ、私に見えていたものは、誰かに取り憑くなんて事ありませんでしたから、興味深いなと」

「……そうだったのか」


 表情が読み取れなかったのは、そういうわけか。


 化け物にもそれぞれ特性があるらしい。そして彼女に見えているものは、人に取り憑くことのないタイプのようだ。知らないのだから、微妙な顔をしてしまったのだろう。


「一つ聞いても良いですか? その化け物は、どんな見た目をしていましたか?」


 くりっとした瞳を傾げて、可愛らしくもそんな事を聞いて来た。


「そりゃ、全身真っ黒のタイツみたいな格好で、顔を縁取るように白い縁があって」


 あれ、でも、これって──


「ですか──牙があって、爪があって、まさに獰猛なモンスターって感じの出立ではない、と」

「……御伽ちゃんに見えているものは、そういう見た目なのか?」

「ええ。確かめようがありませんでしたが、やっぱり見た目も違うようですね」


 俺が見たものは、鳴子に聞いた化け物そのものだった。


 だが、それはおかしい。もし本当に本人の歪みから生じているのなら、見た目まで同じになるわけがない。それこそ他者の頭を覗き見でもしない限りは──


「先輩は凄いですね」

「……何が?」

「だって、例え取り憑かれたとしても、それは結局その人の化け物なわけですから、本来は見えるわけないじゃないですか。やっぱり先輩はチート能力者なんですよ!!」


 大事な事を、見落としていた。鳴子のクラヤミが──どうして俺に見えたのか。それにそもそも何故、彼女は──取り憑かれたんだ?


 「それで、先輩はどうやってその人を救うつもりなんですかね? どうやって記憶を取り戻すんですか? このままじゃ永遠にお別れですよ?」


 そんな事を気兼ねなく聞かれ、疑問など一瞬で吹き飛んでしまう。


「俺は……別にチート能力者でも何でもない。何か出来ると思うか?」

「えー、でもどうにかしようとは思ってますよね?」

「彼女と俺の関係は、化け物によってもたらされたものだ。記憶を取り戻せば、また化け物に襲われる危険がある」


 だからこそ、何か出来るわけがない。


「それは──確かにどうしようもないですが、諦めるということでしょうか」

「……ああ、そうだ」


 少し安堵したような、落胆したような、御伽ちゃんはそんな風に息を吐いた。


「まあそれも良いかもしれません。普通の人に戻ったのなら、私達がどうこうする必要もないか。普通の暮らしをして、普通に生きて、普通に死んでいくのだから、それは普通に幸せでしょうし。それこそが現実というものでしょうから」


 そう、これ以上俺は鳴子を救う必要がない。


 もしも俺の思いが──本物であるならば、記憶を呼び起こそうなんて思わない方が良い。


 鳴子の為を思うのなら、これ以上は高望みになってしまうから。

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