第27話 妥協と打算
二つの選択の中で、彼女ならばどちらを選ぶだろうか。
それを考えて、俺はこの場所を選んだ。彼女が──俺が選ばないと、そう思う方を。
この教室を。
いつでも来い、そう言った自宅ではなく、この場所を選んだ。
白色の光が徐々に傾き始め、橙へと変わっていく。
彼女が失踪して──2日が経過していた。昨日は来てくれなかったが、今日はそろそろ来てくれるだろうか。何の連絡も取れないとなると、スマホの電源などとっくに切れているだろう。幾らかの小銭は持っているだろう、食料にはまだ困っていない筈。だが、家に帰らないということは、恐らく彼女は眠っていない。
眠れない程、継続的に、断続的に、化け物に襲われているはずだ。だから──早く、来てくれよ。
御伽ちゃんの話を聞いた俺は、化け物についてある一つの結論に至った。正直言って確信などまるでないが、色々な事を含めて考えると、やはりこれが一番しっくりくるのではないかと思う。
それは──銃を持った人間が、化け物を生み出している、という結論。
本人にしか見えず、誰に取り憑こうとも本人を襲うならば、それはやっぱり、生み出した本人だからなのではないか、そう思った。何となく。
御伽ちゃんは『呼び寄せる事が出来る』と言った。つまり、本人の意思によっては出現を制する事が出来るという事。そして、もし仮に鳴子が化け物に襲われ、逃げているのだとすれば、本人の心境に合わせて出現するという事。
外因ではなく、本人から生じている、という事が考えられる。
何故そんなものが、何故そんなものを、という点に関しては今は分からない。それにそんな事はどっちでもいい。鳴子を助けるのに、そんな細かい理由など、どっちでも良いのだから。
化け物の発生原因が本人によるものなら、彼女を救えば、それで救われるのだから。
問題なのは──どうやって、という事だろう。
男子トイレで告白してすっぱりフラれた俺が、一体どうすれば彼女を救えるのか。何もかもが嘘に見える鳴子の心を、どうやって救うのか。
教室から人気が消えて、答えが出ないまま、どれほどの時が経っただろう。
「そろそろ本当に……来てくれよ」
18時42分、完全下校時刻まで20分を切った。もし俺の予想が正しいのならここへ来るだろう。初めて会った、この教室に。
彼女の机に腰を下ろし、扉をずっと眺めていた。
音を立てて開く、今、この瞬間まで。
「ッ──歳、平……どうして」
見開いて、言葉を詰まらせる彼女の表情が、夕日を背にしていたお陰で良く見えた。制服のまま、手には何も持たずボサボサの髪の彼女の姿が、良く見えた。悲痛と歓喜の入り混じったような、そんな顔が。
あの日、あの時、出会った瞬間を思い出す。
違ったのは立ち位置と、ここに居るのは最初から最後まで、自分と鳴子だけという事だ。
「お前ならここに来るだろうと」
「……あっそ」
態度は素っ気ないが、嬉しく思う。生きていてくれて、事件に巻き込まれていたとかではなくて、本当に嬉しい。また会えて、話せて嬉しい。化け物に襲われている、そんな状況で本当に良かった。
「今ここに居るのは俺とお前だけだ。あのトイレと同じようにな」
それなら救える。そう思った。
「そんな言葉をそんな格好つけて言われてもね」
「まだ、お前の周りに化け物はいるか?」
いないのは分かっている。その証拠に──彼女は銃を手にしていない。それでも、そう言う必要があったのだと思う。
「……いーや、いないよ。アタシとアンタだけ」
「そうか」
それでも、そう言ってくれてホッとした。
鳴子は俺の隣──から席を一つ空けて、同じように机の上に腰掛けた。
「まだってことは、全部知ってるんだ。アタシが化け物に四六時中、追いかけ回されて、死にそうになってることも、泣きたいくらい辛かったってことも」
「ああ、俺のせいだ」
「あー、そうかもね。あれから何もかもめちゃめちゃ。アタシは、もうボロボロなの」
「俺のせいだ」
「そうだよ。アンタのせいだ。アンタが告白なんかしなきゃ、アタシ達は楽しいまんまでいられたのに」
楽しいまま、何も知らないまま、お互いに包み隠したまま、傷付かず、傷付けないままで居られるのなら、それは確かに楽しいのだろう。気軽で身軽で気を遣わなくて気を遣われない。
楽しくて、嬉しくて──
「だから、俺はお前を助ける。俺のせいだから」
「……アンタに何が出来るの?」
「その為に、お前はここへ来たんだろ」
「は? 何それ……」
鳴子は失礼な女だ。しかし愚かではない。
何故彼女がこの教室にやって来たのか、それは俺に助けを求める為だ。親にも誰にも相談出来ない悩みを抱えてしまったのなら、それが化け物に関連することなら、愚痴を溢せるのは俺くらい、助けを求められるのは俺くらいだ。
鳴子が俺の家を選ばなかったのは、恐らく迷惑を掛けたくないから。俺が彼女にいつでも来いと言った、俺が恐らく待っているであろう場所だったから。
彼女が教室を選んだのは、最終的に襲われて、どうにかなったとしても、この場所なら誰かが何とかしてくれる。沢山の人間と教師という大人が多く居るこの場所なら、どうにかなっても、どうにでもなると、そんな事を思ったのかもしれない。俺が家に居るだろうと、まさか教室には居ないだろうと、そんな事を思ったかもしれない。
だが、彼女がどんな理由を思い描いたところで、家にしても、教室にしても、俺が待っていると、そんな期待をしていた筈だ。その証拠に彼女はここへ来た。俺が居る可能性の最も高い二つの場所のうち、その一つに。
まあこの考えは全部当てずっぽうだ、彼女の心境は彼女にしか分からないし。
だが、それでも、彼女は──ここへ来た。それだけは確かだ。逃げて、走って、家に帰れないほど、恐らく二度と口を聞きたくないと、そう思っていた俺が待っている可能性があるであろう、この場所へやって来たのだ。
それほどに、辛かった筈だ。
「まあ……どうでもいいけど」
鳴子は興味も無さそうに、鼻を鳴らした。
赤く腫らした瞼で、青くなった顔で、血走った瞳で、
「アンタが何をしてくれるって?」
掠れた声で、彼女は笑っていた。
「だから言ってんだろ。お前を助けるって」
化け物が本人から生じているものなら、本人の意思に応えるものなら、彼女を変えれば、現状は変えられる。それに彼女を見て、ようやく答えが出たところだし。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます