第23話 姉さん

 彼女が語ったのは確かに、事実無根で地味な現実の話だった。事実などそこには何もなく、根拠もない。化け物など存在しないという、現実的な話。


 結局分かった事と言えばそんなものだ。鳴子の抱えているものについて、ヒントを得るどころか、逆に疑問が増えてしまった。


「……はぁ」 

 

 ベッドに倒れ込むと、1日の疲れで無意識に息が漏れる。本当に今日は色々あった。テストでも学園祭でも何でもないのに、ドッと疲れが押し寄せて来ている。


 御伽ちゃんの語る話は歪なものだった。存在を認識している者が複数いるというのに、現実には存在していない。そんな幾つかの矛盾を孕んだもの。しかもその事に、彼女は気が付いていない。


 それに、鳴子が言っていた──取り憑かれたものが撃たれると、前後の記憶を消失すると。他者への影響が確認出来る以上、やはり──化け物とは存在する。そう、俺は思う。


 この世界のどこかに、そんな壊滅的な歪みを、御伽ちゃんに植え付けた人物がいる。それも同じ高校の元先輩に。恐らく現在の彼女の人格形成に大きく関わっておきながら、名前さえ告げず去った、そんな人物が。


 だが俺を取り巻く環境は何一つ変わっていない。


 俺は鳴子に告白し、フラれて、関係を終了させてしまった。


 人の気持ちを嘘だと言う鳴子が、俺の気持ちを知った上で、まともに話すことなど出来ないのだろう。言葉にすると、辛いな。


「溜息なんて、何か嫌なことでもあったのかな?」

「……」


 俺の声じゃない。でも誰の声だか分かってる。


「お姉ちゃんに話してみなよ。相談されるのは慣れてるからね」


 聴き慣れた、籠もった声が──ベッドの下から聞こえている。


「そこで何してる。姉さん」


 ひょっこりと、彼女は顔を出して、全身を出した。


「びっくりした?」

「いやちょっと引いてる」


 その言葉に嬉しそうに顔を歪ませる彼女──屋平由花おくひらよしかは俺の姉さんであり、弟のベッドの下に潜り込んで盗み聞きをする超弩級の変態であり、変わり者であり、ちょっと苦手だ。


 際立つ銀髪に、青のメッシュは高校時代から変わらず、ぶかぶかな──俺のパジャマを着ている。


 地味な俺とは真逆の派手さを持っており、また人付き合いも得意で交友関係は広い。姉さんに告白したいから手伝ってくれと百万回は頼まれた程、モテる。性格は鳴子から数少ない思いやりを取っ払ったような、ズカズカと他人の心に踏み入るような、それでいて、胸もデカけりゃ顔立ちも良く、身長も俺と同じくらいにはあるのではないだろうか。


 そんな一見すると魅力的な人物、それが彼女だ。


 しかし気を付けて欲しい。姉さんは、本当にとびっきりに変わり者だから。


「どう? 似合ってる?」


 デカい胸を突き出すように、姉さんは胸を張る。くるっと一回転すると格好を自慢げに見せて来た。だがそれは俺のパジャマだ。


「勝手に着るなよ」

「トシー!!」

「ッ──」


 2回転目に突入するかと思えば、姉さんは、俺の事を何一つ考慮する事なく、思い切りベッドに飛び込んで、そのまま押し倒されてしまった。


「可愛い可愛い、私の弟よ。一体何があったのか話してごらん」


 ぎゅーっと強く抱き締められる。自分のパジャマに抱き締められる。


「は、離れろ……」

「それはそうと」


 パッと離れると、ベッドの上に正座した。恐らく俺の言葉を聞いたからではない。


「大学ではプリント事をレジュメって言うんだよ、知ってた?」

「知らん」

「だよねー、ていうかプリントって印刷物のことだから、別にどっちでも良くね?」

「知らん」

「冷たいなー、でも……」

「ッ」


 そうしてまた、今度はふわっと抱き締められた。


「こうすると、あったかいね」


 これが、姉さんの普段のペースなのだ。脈絡もなく、前触れとかもなく、ただ自分の思った事をそのままやる。だからこそ、俺は姉さんが苦手なのだ。


「離れろ」

「えー」


 しかし、今度は言うことを聞いたらしい。素直に応じると力強い腕を離してくれた。


「私って、魅力ないかな……」

「家族以外ならあるんじゃないか」

「お、褒めてくれるんだ。嬉しいなぁ」

「褒めてない」

「照れない照れない。あ、そうだ何か悩みがあるんじゃなかったっけ?」

「それは姉さんが勝手に言い出しただけだ」

「でもあるんでしょ?」


 ……フラれた、などと言えば姉さんは何をするか分からない。


 ならば、御伽ちゃんの言っていた人物について聞いてみよう。思うに姉さんの同じ学年の筈なのだから、特徴を伝えればもしかしたら、いや、黒髪と帽子しか特徴がないのだが、それでも、もしかしたら何か知っているかもしれない。


「……高3の時、姉さんの同じ学年に、帽子を被った黒髪の女の子はいたか?」

「私、大学で部活を始めようと思う。何が良いかな?」

「人の話を聞け」

「やっぱり、聞いて欲しいんだ?」


 聞くの、やめようかな。


「冗談だって、そんな怖い顔しなさんな。えーっと、黒髪で帽子だっけ?」

「ああ、それくらいしか分からないが」

「うーんと……確か……なんとか──梨奈ちゃん、だったっけな。授業中も帽子被ってるもんだから、先生に何度も何度も注意されてた子が居たっけ」


 以外にも、あっさりと人物の特定が出来てしまった。


「……連絡を取れないか?」

「別に取れない事はないけど、どうして? それって悩みに関連する事? もっと他に悩んでいることがあるんじゃないの? 駄目駄目、無駄無駄。二兎追う者は一兎も何とかって言うでしょ?」


 確かに、悩みに対して直接の関連があるわけじゃない。化け物と銃の事は、鳴子にフラれた事とは無関係にも等しいのだから。あくまで纏わっていると、それだけなのだが、


「姉さんは何も知らないだろう。関連するかどうかは俺が決めることだ」


 俺の事情も何も話していないし、深く追求されるのも御免だ。


「可愛い弟のことなら、顔を見れば分かるよ。関連するかどうかは相談を受ける私が判断する」


 こうなってしまうと、姉さんは事情を聞くまで付き纏う。苦手なポイントの一つ。


「ねえねえ、話してよぅ。姉さん寂しいわ」

「鬱陶しい。連絡を取らないのなら出て行け」

「あ、そんなこと言っていいの?」

「黙れ、出て行け、あとパジャマ返せ」

「うぅ、シクシク。まくりちゃんに言いつけちゃうんだから!!」

「勝手にしろ」

「もう知らないんだから!! トシくんの馬鹿!! ぼっち!! 失恋野郎!!」

「おい、ちょっと待て」


 最後にとんでもない爆弾を投下され慌てて引き留める。


「待たない! 帰らない! 省みない!!」


 だが、姉さんは下手くそな泣き真似を続けたまま、部屋を出て行ってしまった。


「せめて……パジャマ返せよ……」


 姉さんの苦手な点は幾つもある。家族なので毛嫌いをしているわけじゃないが積極的に関わろうともしていない。


 それには明確な理由があった。


 明確ではっきりとした、隠された彼女の性質。きっとそれを知っている者は家族の他には、まくりくらいだろう。彼女の周りにいるであろう大勢の人物がそれには、多分気が付いていない。


 姉さんは最低で、最悪で──嘘つきだということに。


 奇しくもそんな姉さんの相手をしていたので、騙されないよう、自分を信じるという習慣が身に付いたのだが、決して本人に感謝などしない。


 バタンとドアが開く。


「初志貫徹だよ。トシ」


 顔だけひょっこり出して、またドアが閉まった。

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