第21話 ピンポンパンポーン

 ここがトイレで本当に良かった。


 今が授業中で、本当に良かった。


 彼女が、行ってくれて良かった。


 彼女が、言ってくれて良かった。


 確かに告白するには最低の場所だ。だが独白するには最適の場所だった。


 誰もにも聞かれない。この嗚咽も、噛み締める音も、崩れる音も、崩れ落ちる音も、誰にも聞こえないのだから。吐き出したものを流せる、ここがトイレで本当に良かったと思う。


「──しっかりしろ」


 信じたいと、信じさせて欲しいと、鳴子は言った。ならば彼女はまだ全てを諦めているわけじゃない。自分を、相手を信じたい気持ちは、まだ彼女の中にある。ならばどうして諦める事が出来ようか。


 汚れも気にせず、床に投げ出した手足。歪んだ視界を引き摺って立ち上がる。


 人生初めての告白は失敗した。だからどうした、もう充分泣いただろう、今するべき事はなんだ。たった一度の失敗だ、失敗した、だからどうした、お前なら出来る、良い加減──思い出せよ。


「……ふぅ」


 蛇口を捻り、頭を突っ込んで濡らした。顔を上げるといくらかさっぱりしたようにも思えるが、背中に入り込んだ水がなんとも気持ち悪い。


 鏡を見ると、そこに写った男は見慣れたものの筈なのに、どうしてか初めて見たような、自分とは別人のような、そんな錯覚に陥る。挫折に青白くなった顔を見て、無意識に笑っていた。


「……なに見てんだよ「どうして笑ってる?「うるせえ「情けない顔だ「お前こそ」


 鏡と睨めっこして、自問自答して、本当にいよいよ頭がおかしくなったらしい。


「お前は鳴子の為に何が出来る」


 分からない。多分、何でも出来ると思う。


「恋とか愛とか嘘だって言ってたな。お前のそれは本物か?」


 分からない。多分、本物だと思う。


「どうやって証明する?」


 分からない。


「なら、お前はどうする?」


 ──分かった。


 やるべき事は決まった。これまでだって、ずっとそうしてきたように。






「すいません、寝てました」


 何を言われても、当初の計画通りそう貫いた。担任からはいくつかの苦言を呈されたが、最終的にはやたらと怪訝な顔をされただけで、説教を潜り抜ける。問答無用で怒られると思っていたのだが、本当にまさか想像通り、怒りよりも心配が勝たれるとは、一体俺の評価はどうなっているのか気になるところではある。 


 結果的に言えば、放課後にはやっぱり呼び出された。校内放送で大々的に呼び出され、教室では随分と恥をかいてしまった。鳴子は体調不良で帰宅した事になっており、無断欠席となったのは、怒られたのは俺一人だった。望んでではないが、今日は初めての経験を多く積めたように思う。


 大体10分か15分くらいで終わった説教。


 慣れない職員室から這い出して、校内を抜け、向かったのは中庭。


「お、指名手配犯の登場ですね」


 ベンチでカバーも付けず、何かやたらと厨二的なラノベを広げる御伽ちゃんは、俺の足音に気が付くとニヤニヤと声を掛けた。放送はどうやらしっかりと聞かれてしまっていたらしい。


「授業をサボっただけだ」

「学校においてはギルティーですね。魔王でも見つけましたか?」

「魔王が学校に何の用がある」

「最近は魔王も学校に行くらしいですよ? あ、これタイトルに使えるかも」

「魔王が学校で何を学ぶ?」

「さあ? 勇者の殺し方とかじゃないですかね?」

「殺すのか……」

「ええ、だってそれが両者の宿命ですから。まああえて仲良くする話もありますけど、やっぱり最終的には相容れない存在ですよね。何せ人外と人間なわけですから」

「いやでもちゃんと話し合えば……って、そんな話はどうでも良い」


 慣れないノリツッコミまでしてしまった。


 隣に腰掛けると、すぐに用件を告げる。


 ここへ来たのは、別に御伽ちゃんが小さくて可愛いだけじゃない。勿論それもあるが、ちゃんとした理由があっての事なので勘違いしないで欲しい。


「話の続きを」

「お、聞きたいですか?」

「事実無根で地味な方」

「……あー現実の方、ですか」


 とにかくまずは知らなければならない。俺は彼女の事を何も知らない、という段階は過ぎた。あとは細かい事情を詰めていく必要がある。それが化け物であれなんであれ、知る事は無駄にはならないだろう。それもまた彼女の抱える問題、その一つである事に変わりはないのだから。


「でも多分楽しくないですよ?」


 グイッと、御伽ちゃんは顔を覗き込む。


 本当に良いのか、本当に聞きたいのか、本当に知りたいのかと、確かめるように促すように。


「楽しくなくて良い、寧ろその方が好ましい」

「先輩、何だか変わりました? チート能力でも得ましたか?」

「フラれたから、かな」

「おー、それはそれは非日常ですね」


 彼女はそれ以上聞かず、話を始めた。何とも嬉しい事だが、後輩に気を遣われてるようでどうにもむず痒い。


「ではまず、何から聞きたいですか?」

「初めから全部」

「ほうほう、全部ですかー」


 思えば、何か悩む度にこうして誰かが相談に乗ってくれているような気がする。ぼっちだ孤独だと嘆いていたが、もしかすると俺は周囲の環境に恵まれているのではないのだろうか。


「……では、お話しを始めましょうか」


 御伽ちゃんは昼休みにも聞いたような前置きをして語り始める。


 それは、彼女の言う通り──事実無根で、地味な現実の話だった。

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