第19話 彼女が引き金を引く理由

 鳴子は何も言わず、俺もまた何も言わず。


 もう昼休みが終わってしまうというのに、彼女は腕を掴み、強引に引いた。強引ではあったが、逆らう気も逆らう理由も無かった。


「っ……」


 生徒の波を逆流して突っ切ると、階段の踊り場へと連れて行かれ、壁に叩き付けられる。


 どうせ顔には出ていないだろうが、正直言って困惑していた。していたが、俺が沈黙を貫いて来たのは彼女の表情が原因である。自分が感じている感情の何よりも、


 ──心配だったのだ。


「……やっほ、歳平」


 ようやく口を開いた彼女は泣きそうでいて、怒りに塗れていて、自分と同じように困惑していたから。困窮し苦悩し苦心している、そういう風に見えた。


「鳴子……もう昼休み終わる」

「だからなに?」


 彼女は笑った。


「……ごめん」

「どうして謝るの?」

「お前がそんな顔をしてる原因が、俺にあると思ったからだ」


 彼女は怒った。


「──自惚れんなよ」


 彼女は散弾銃を向けた。一度俺に向けてから、真横へ銃口を移すと、引き金を引いた。


「アンタは何にも悪くない。それはアタシだって分かってる」


 銃はまだ消えない、それはまだ、俺へと向けられているのだ。


「違う。俺が名前を覚えていれば、それで良かった」

「違う。そんな事はどうでもいいの。そんな小さな事で、いつまでも怒ってるアタシが全部悪い──今こうしてアンタに銃を向けてるのも、全部アタシのせいだ」


 全て自分が悪い、そんな自傷行為を続けていく。自らの身を傷つけるように彼女はまた──引き金を引いた。


 だとすればこれは奇妙で可笑しな話だ。非がある場所を自分と設定していながら、それならば何故、彼女はまた俺へと銃口を向けるのだろう。


 何か、彼女にとってとても重要な何かで──迷っている。そうとしか考えられない。


「とりあえず落ち着け」

「……うん、そだね」


 深く息を吐くと、化け物を撃ち殺したからだろうか、幾らか平静を取り戻したように見える。そう思いたいだけなのかもしれないが、そう願う。


 彼女は身軽になった体を、すぐ側の壁へ擦り付けるように預ける。俺もまた足の力が抜けたからだろう、ズルズルと、徐々に視線が下がっていく。


 少し寄り添えば肩が触れる、そんな距離を保った隣へと腰掛けた。


「……お前、どうしたんだ」

「ほんと、アタシどうしちゃったんだろ」


 小さく笑うその横顔を見ていた。しかし目線は交わされる事がない。


「俺で良ければ話を聞く」

「アンタじゃなきゃ何も話せないよ」

「なら話してくれないか」

「……それは無理」


 一体俺にどうしろと。


 そうして暫く彼女の隣に座っていた。昼休みの終了を告げる鐘の音、授業開始の合図を耳にしても、そんなことはちっとも気にならないくらいには、彼女の側にいたと思う。


 微妙な温度を半身に感じながら、俺は鳴子の言葉を待っていた。いくら何でも何か理由があってこんな事をしているのだろう。言いたい事か、して欲しい事か、それは何か分からないが、それでも何かあるのは間違いない。


 彼女はちょっとイカれている部分があるが、愚かではないのだから。


「昼休み、終わっちゃった」

「そうだな」

「先生がここに来たらどうする?」

「眠っていた事にしよう」

「ぷっ、何それ。普通にムリでしょ」

「俺が寝ていたと押し通せば、先生は納得する」

「? なんで?」

「表情筋ゼロで何を考えているか分からないから」


 いつだったか、鳴子に言われたコンプレックス。きっと教師連中は『あ、ああ……そうか(困惑)』で済ませるだろう。きっと誰だって面倒は御免だろうから。


「あー、確かにそれはそうかもね。説教よりも心配とドン引きが勝つわ」

「だから俺は怒られない」

「じゃあアタシは怒られるじゃん!」

「そうだ」


 少しずつ彼女の顔に色が戻って来たように思える。


「次の授業ってなんだっけ?」

「古文だな」

「うえ、じゃあサボって正解じゃん」

「古文嫌いか?」

「だって訳わかんなくない?」

「それはいとおかしいな」

「趣があるって意味でしょそれは」

「訳分かってるじゃないか」

「何が面白いか分かんないってこと!」


 そんな下らない話を幾つか話していた。月並みな言葉ではあるが、こんな時間ならずっと続いても良いかもしれない、なんて事を考えてしまう。それほどに居心地の良い時間だった。


 しかし、そんな時間が長く続かない。それが現実。


「……ヤバ」


 鳴子は潜めた声で小さく呟いた。


 下の階からコツコツと足音が聞こえる。上履きではそんな音が鳴らないのだから、それはきっと生徒ではないのだろう。


 先生に見つかれば、先程の下らない妄言など何の意味も成さない。結局二人とも怒られて、教室に戻って、それで終わり。


「え?」


 終わりたくない。


「ちょ、ちょっと──」


 だから俺は彼女の腕を掴んだ。掴んで、引いて、引っ張って、階段を駆け上がった。


 鳴子ともう少しだけ一緒に居たい──多分そう思ったから。




 後先を何も考えていない行動。しかしその結果だけは明白だ。間違いなく放課後、職員室に呼び出されて事情を聞かれて、こっ酷く叱られるのだろう。すぐに教室に戻っていたならば、もしかしたら怒られる事はないかもしれない。それを分かっていながら、それが分からない程に、無我夢中で彼女の手を引いていた。


 彼女もまた足を止めなかったのは、自分と同じ気持ちだったからだと、そうあって欲しいと、強く願う。


 芳香剤の香りを突っ切って、3つある内の一番奥を選択した。中に入るとすぐさま鍵を閉めて、俺は扉を背負うように立つ。


「ふぅ……何とか振り切れたな」

「いや……まあ、そうだけどさ……」


 掌に収まる感触を思い出し、パッと開いて離した。


 学校に於いては数少ない個室と呼べる場所。慣れない行動のせいで狭まった思考では、こんな場所くらいしか思い付かなかった。


「男子トイレはないわ」


 彼女のお気には召さなかったらしい。


 だって仕方が無いだろう。女子トイレに男子が入ったのならそれは多分犯罪になるが、その逆ならば多分大丈夫だし、俺もこの歳で新聞の一面に、性犯罪者として名前を飾りたくはない。いやこの歳でもというのは間違いで、未来永劫御免被るのだが、まあそれは今どうでもいい。


「だがここなら、お前は逃げられない」

「な、何するつもりなの……」


 こんな狭い密室で俺はぐっと距離を近づけた。我ながら積極的な行動だと思う。

 

「ちょっと話をするだけだ、安心しろ。すぐに済む」

「や、やめて……」

「やめてとは何だ。用があるのはお前だろ」

「へ?」

「? 話があるんじゃないのか?」


 そもそも昼休み終了間際に、俺を引き摺り回したのは彼女なのだ。だというのに何故首を傾げているのだろう。


「あ、ああ……そういえば、そうだった、かな」


 歯切れ悪くも思い出したらしい。この様子では、やはりこの場所に連れて来て正解だった。強引にでも聞き出さなければ、多分曖昧なままで終わっていただろうから。


「今は授業中だ。誰も聞いちゃいないし、ここへは誰も来ない」

「っ……随分卑怯じゃん、アンタ」


 あれ今、俺、性犯罪者っぽくないか。


「卑怯でも何でもいい。話すまで帰さない。観念しろ」

「……今日は良く喋るね」

「喋ろうと思えば喋れる」

「どうして喋ろうと思ったの?」

「仲直りするチャンスだと思ったからだ」


 彼女は小さく確かに笑った。


「素直過ぎでしょ、それ……てか、アタシもう怒ってないから、だからもう大丈夫だから。ちょっとストレス溜まってただけで別に用事とか」

「だったらそれを話せ」

「……分かったわよ」


 結構グイグイいったと思う。


 流石に観念したのだろう、少し間を置いてから、彼女は語り始めた。


 いや、語った、というのは正確ではない。彼女が口にしたのは語ったというのには余りにも短すぎる、ただ一つの質問だった。


「……中庭で話してた子、だれなの」

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