第9話
先生が消えた今、島はゆっくりと瓦解を始めていた。しかしその変化は比較的緩やかであり、砂が崩れ落ちるというよりかは紙が剥がれていくような光景だった。それは恐らく、消えた先生がこの島を作り上げた張本人ではなかったからだろう。ということは、彼女がずっと守り続けてきたこの島は、他の誰かが作り上げたものだったということになる。
あんなに長い間傍にいたのに、そんなことも知らなかった。そんなことも教えてもらえなかったのだ、私は。その事実に思い至った時、地面が失われたような心地がした。足元はふわふわして、頭はぐらぐらする。気にも留めなかった過去の出来事が、浮かんでは消えていき、また浮かんでは脳裏を巡る……。
一同は塔のエントランスに集まっていた。そこが島の中心で、つまりは最後に瓦解するであろう場所だ。プファとミラはしきりに鼻をすすり、目をこすっている。カリヒは少し離れたところで、なんだかつまらなそうな顔をして一人、小石を拾っては投げ、拾っては投げを繰り返していた。トトは皆の様子をひとしきり観察した後に、さて、と話しを切り出した。
「本当は柄じゃないんだけど、お師匠に頼まれたしね。さあさあ皆立ちたまえ、へたり込んでいる暇はないよ。わんわん泣くのは良いけどさあ、涙じゃ世界は救えない。」
変わらず笑みを浮かべるトトに、突然立ち上がったカリヒが走り寄って掴みかかる。
意外だった。彼女はどちらかというと先生に反抗的で、いつも悪態をついていたのに。
「意外だね、君が怒るんだ? 俺の予想ではいの一番にサラちゃんあたりが殴り掛かってくるかと……。」
「うるさい、あんたはべらべらべらべら!」
カリヒが絶叫する。初めて聞くような悲痛な声だった。ミラは驚きのあまり、「ヒッ」と小さな音を立てて空気を飲み込む。私も呆気に取られ、だらしなくぽかんと口を開けて二人を見やった。
「確かに……あたしはあの女が好きじゃなかったよ。回りくどい事ばっか言って、意味ありげな態度ばっか取って、思わせぶりな口ばっかきいて。でも——でも、」
苦し気な吐息が挟まる。
「でも——死んですぐにさア次だと切り替えられるほど、嫌いなんかになれないんだよ……育ててくれたんだよ……面倒見てくれたんだよ、何年も……。」
視界が滲んで、すべての像の輪郭が歪む。くそっと吐き捨ててカリヒがトトを突き飛ばすように離した。
「……悪い、八つ当たりだってわかってる。……でも少し時間をくれよ、あまりにきついよ……。」
そういって彼女はうずくまる。同意見だった。だが私は、少しどころかたっぷりの時間を与えられたとしても自分が再び立ち上がれる気がしなかった。もう世界なんてどうにでもなれとさえ感じた。ああ、すべてを投げ出したい——。
————どうしようもないことに……。
「……。」
喉の奥までせりあがってきた涙と鼻水をぐっと飲みこむと、トトに向き直る。
「——指示をください、トト。我々はどう動けばいい。」
「あ、姉上。」
トトが意外そうに眉をあげる一方で、ミラが嗚咽交じりに声をあげた。
「ま、待ってください。カリヒさんもさっき——。」
「わかるわ、気持ちは痛いほどわかる。でも、トトのいう通り涙で世界は救えない。」
プファがその言葉に立ち上がり、そのまま私の眼前まで歩を詰める。もともとの長身も相まってかなりの迫力だった。
「おめえよお……おめえよお~……! おめえまでかよ……! 泣いたってどうにもならねえなんてわかってるつってんだろ、ただ少し待ってやれよ……!! カリヒはおめえの友達なんだろ……!!」
「ダメ。すぐ発ちましょう。」
まさに一触即発、だが私も引く気は無かった。トトがまあまあまあまあと間に割って入ろうとするのを制し、プファと目を合わせてはっきりと言う。
「わかるわ。」
プファが言葉に詰まる。一瞬の後に、しかたねえとぼやきながらカリヒの肩に手を掛けた。
「カリヒ、ほら、立てよー……。」
ミラが慌ててそれを手伝うために駆け寄る。トトがその隙に、そっと耳打ちをしてきた。
「お師匠ね、ほんとは海に行ったことないんだよ。」
「——えっ。」
あの、世界の何でも知っていそうな先生が?
そう思って思わず彼の顔を見ると、いたずらそうな笑顔でうんうんと頷いてくる。
「ほんとほんと、無いんだって。だからちゃんと世界救ってから、お師匠のお墓かなんか海辺に建ててあげようよ。ちゃんと見せてあげられなかったのは残念だけどさ。」
あはは、とどこか乾いた笑いをこぼすトト。その横顔を見て、私はなんとなく納得したような心持ちだった。多分、一番しゃがみ込みたいのはこの人だったのだ。
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