第8話
「——物? お師匠、それって。」
「うん、そうだ。魔道具だよ。」
カリヒが目を細めた。
「それっておかしくない? 魔道具ならなおさら、行使者がいないと。道具が自分で自分を使う訳ないじゃん。」
「そうだね、けれど私たちはその例を一つ知っているはずだよ。」
先生はやんわりと笑って答える。私はその顔をただぼんやりと見つめていた。議論の内容がどこか布一枚向こう側の出来事のようだった。
違う、違和感は話す量じゃない。話し方だ。先生は少し……焦っている?
「例って……」
ハッとミラが言葉を失う。
「……まさか先生、鏡のことをおっしゃっているのですか?」
「おや、鋭いねミラ。」
「かがみい?」
カリヒはどうにもまだピンとこないようだった。それまで黙りこくっていたプファが、その単語に反応する。
「鏡ってさ~……先生、ガチ? あれって伝説っていうか、もう神話みたいなもんじゃないっすか。」
「うん、そうだね。けれど視えたということは存在するということさ。私の目には虚構は映らない。」
先生の返しを受けて、彼は困ったように頭を掻く。トトは一人何やら思いを巡らせていたが、お師匠と突然声をあげた。
「お師匠のいう通り、現状では確かに鏡がその力を持ちうる唯一の可能性かもしれない。探す価値はあると思うし、お師匠が見たなら確かだと思うけど……あれは人を魅了し取り込みこそすれ、自発的に動くことはないはずだ。人が自分から覗きにいかない限りは。」
「そうだね、そこは私も腑に落ちない。けれど、今信頼出来るヒントはこれしかない。」
先生のいう通りだった。一同静まり返る。その中で私はどうしても、彼女の様子が気になって仕方がなかった。
ふとその首筋、濡れ羽色の豊かな髪に隠された華奢な首元に何かがチラリと光った。
——汗だ。
そう気が付くと同時に、先生は何の前触れもなく前方に倒れ伏した。カーペット越しの床にしたたかに頭部を打ち付け、ゴドン、と鈍い音が響く。喉の奥から、声にもならないか細い息が漏れた。
「お師匠。」
トトが慌てた声音で、彼女の体を揺り起こす。そのまま抱きかかえてソファに寝かせると、その長いスカートがめくれて彼女の両の足が露になった。——いや、正確には、足があるであろう箇所が露になった。
「——せんせって足無かったっけ?」
プファが的外れのような疑問をこぼすが、皆同様に首を傾げた。いや、そんなはずはない、先生の胡坐に座ったことを覚えていますとミラ。その時ふと彼女が坐していた椅子が目に留まり、そして何が起こったかを理解した。
「……砂……。」
私のつぶやきにトトがすぐに椅子へ視線を走らせる。そこには確かにさらさらと崩れ落ちる砂山があった。
「……参ったな。話し終えるまでは踏ん張ろうと思ったんだが。」
低い位置から弱弱しい声がした。
「……せんせい、」
声の震えが、抑えられなかった。
先生は困ったような、悲しいような、曖昧な笑みを浮かべてサラを見ていた。右手の先からさらさらと砂が零れ落ちる。もう限界なのは誰の目にも明らかだった。プファがズッと鼻水をすする音がする。
「……トト。」
「はい。」
彼女が緩慢な動きで頭もとにしゃがむトトを見やった。
「後のことは君に任せる。……鏡は、海にある。広い海だ。一面の水面が視えた。」
「……わかったお師匠、海だね。」
「うん。……海だ。」
海だよ、とささやくように呟いて、先生の頭部は砂と化した。
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