第6話

 国を渡るには主に二つの方法がある。国の外の空間を押し固め道として歩くのと、逆に自らを瓦解させ流れるように移動するのと。前者は時間がかかるが安全であり、後者は早いがリスクがある。

 普段ならば必ず道を作るのだが、今回ばかりはそうも言っていられない。歩く時間すら惜しい。


 陣を通して自らの体が細分化され、外界と入り混じるのを感じた。気を抜けば瞬く間にばらばらになってしまうだろう。時空の流れに身を任せ、なおかつ自我を保たなくては。


 少し経った頃、ふわふわと不安定に漂う手足がふと明確な形を結ぶ。その一瞬で自身の体を型作り、目的地へと降り立った。

「……。」

 奇妙な重力感に若干の怠さを覚えるが、呼吸を整えると足を踏み出し始める。四肢は正常に機能している。今回もミスなく渡れたようだ。安堵のため息がこぼれた。


 気配からして、ほかの数人はすでに任務を終えてこの島に集結しているようだ。その割には人数が変わっていないように感じる。先生のいった通り、非協力的な者が多かったのかもしれないが……なんにせよ遅れを取ったことに変わりはない、急がなくては。

 重い体に鞭打って、塔の入り口へと足を踏み入れる。さわめく声を聞きつけ、そのまま階段を上って上階の右奥へと進む。どうやら先生の自室にみな集まっているようだ。柔らかい毛足のラグを踏み進み、部屋のドアに手を掛ける。


「お待たせしました、ただいま戻りました。」

そう告げると四人の先客がパッとこちらに目を向けた。椅子に腰かけた先生は、部屋の奥手にある暖炉の火を静かに見つめたまま動かない。部屋にいるのはプファ、カリヒとミラ、そして見知らぬ一人の男だけだった。


「姉上、お疲れ様です。」

 以前の集会では挨拶できずすみませんでしたと、ミラが申し訳なさそうに数歩歩み寄ってくる。

「いいの、仕方なかったから。貴方も息災でした?」

「はい、それはもう。」

 それは良かったと笑んでから、改めて部屋を見渡した。誰も話さない、どこか異様な空気だ。名がわからない男だけが、場違いにニコニコとさわやかな笑顔をまき散らしている。


「……私はずいぶん遅れてしまったのね。」

「あ、いえ、そうではありません姉上。」

 ミラが慌てて両手を振る。


「私とカリヒさんは、会いに行った魔導士が消えてしまったので、すぐに帰ってきました。プフェさんはゾリヌスの協力を得られず——」「いや、だってさ~、あそこすげ~付き合い悪い国じゃん。門前で一刻粘って交渉しただけ偉くねえ~?」「——ともかく、それですぐに戻ってきたのです。」


 なるほど、と頷く。とはいえ、先生の口ぶりからして二人が会いに行った魔導士は相当の手練れのはず。ソニアへ向かう途中にエントワール消失を聞いた時、その指導者ヘルの力をもってしても食い止められなかったのかとショックを受けたが、どんなに力を持つ魔導士でも基本的に消失が始まったらそこから逃れる術はないと考えるのが妥当か。


「アルカルドさんの状況はまだ不明です。先生は少し考えごとにふけるとおっしゃってからは、ずっとあの調子で。」

「——ああ、そうなのね。昔から先生は集中するときよく固まってらしたわね。」

 ミラが懐かしそうに眼を細めた。


「事態は大体把握したけれど……それで、どちら様?」

 鋭い視線と言葉を飛ばしたが、ヘラついた男はその問いには答えぬまま、何も気に留めずにソファに腰掛けた。そのまま机の上に置かれたクッキーに手を伸ばし、食べ始める。もう片方の手でティーカップをつまむと、ワインのようにゆらゆらと揺らしてからたっぷりと口に含んだ。素晴らしい、と言わんばかりに空を仰いでから、もう一口、さらにもう一口……。


 なんなんだ、こいつ。私の頭は困惑と怒りとでごちゃ混ぜだ。紅茶を飲み干したら返事するのかと思いきや、飲み干した途端に何のためらいもなく二杯目を注ぎ始める。


 姉の機嫌が見る見るうちに悪くなるのを目の当たりにして露骨に焦るミラ。先ほどまで眠そうにしていたはずのカリヒは、いいぞもっとやれと言わんばかりに期待を込めたまなざしを男に送る。彼女はとにかく修羅場が大好きな人種で、喧嘩に出くわせば煽り立てねば気が済まぬ性分だった。そしてその思考回路をなんとなく肌で感じ取り、これはめんどくさいぞと露骨に嫌がるプファ。

 堪らず「あなたに言っているのだけど——。」と彼に一歩詰め寄ろうとした時、そうか、と暖炉の方から声がした。


「————視えた。」


 その言葉を合図にして、部屋の皆が彼女へ体を向ける。先生がぐるりと椅子を回転させて向き合う形をとる。紛れもない進展の予感だ。

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