第3話

 事の発端は少し前に遡る。師である魔導士が、ある日こう告げたのだ。


「世界が崩れつつある。」


 その時私は彼女自身が保持する島に呼ばれていた。たいていの魔導士はこの島で、彼女の指導の下数年を過ごす。そしてあちこちの国に旅立っていくのだが、今回彼女は旅立っていった魔導士のうち連絡のつく者すべてを島に集めていた。

 総勢数十名——彼女が世に出した魔導士はこんなものではないはずだが、魔導士というものは得てして寿命が短い。加えて自らの国を持つものは招集をかけられてもすぐには集えまい。数十、というのは妥当な数字のようにも思えた。


「先生、それは。」

苦い顔をして一人の男が彼女の足元に近寄る。見覚えのある顔だった。確か私が卒業する一年ほど前に独り立ちした魔導士、もう一人の男と常に一緒にいて、いつも自分たちの国を作ると豪語していた。


「——が消えたことに関係があるのですか。」

 思わず耳をそばだてる。消えた、とはどういうことか。その場のほとんどが、静寂の中彼女の答えを待った。


「残念ながら、その通りだ。——は消え……そしてその消失は広がりつつある。」

 ざわり、と空気がよどむ。もう一人の女が、先生と手をあげる。

「消えた、とはどういうことでしょうか? 死んだのではないとなると……。」

「そのままだよ。彼の存在は失われた。過去にも未来にも、彼の居場所はもはやない。」


 ——つまり、存在の消失か。

 口元に手を当てて、素早く考えを巡らせる。だとしたら、消えた男が手掛けたものもすべて、彼の消失と共に消えたと考えられる。……まさか、国が一つ消えたのか。

魔導士に成りたての男二人が作る国などたかが知れている、弱小国のうちの一つに過ぎなかっただろう。それ自体は悲劇だが、さして重大でもない。気に留めるべきはそのあと、消失が広がっている、という点だ。


 先生、と聞きなれた声が鼓膜を打つ。思わずそちらを見やると、懐かしい顔立ちの女が立っていた。腰まで伸びた栗色の髪を揺らしながら、彼女が言葉を綴る。


「オニクスとクワルトスが消えました。それも広がった消失の影響ですか?」


 先ほどとは比べ物にならない動揺が場を支配した。それもそのはず、両国は薬学の発達と豊かな鉱物資源とで貿易の要となっていた、強大な国だ。それぞれの国は代々兄弟の魔導士が治めてきたが、歴代国王は誰もが凡人離れした強さを誇り、戦にまけたことは一度とてない。今代もそれは変わりなく、ますます国力を蓄えることになるだろうと誰もが確信していた。


「そうか、ミラ。君はあちこち旅していたのだったね。オニクスとクワルトスは、沈んだのか。」

「ちょうど招集がかかった時に滞在しておりました。私が発つ直前に双方の王が砂へ変わり、王国は見る間に崩れていきました。」

「……そうか。」

 

 ふーと長い息を吐きながら、魔導士が椅子に深く座り直す。緊張が走っていた。彼女は少しの間顔を手で覆っていたが、また静かに口を開いた。

「……聞いての通りだ。事態は決して楽観視できるものではない。君達にはこの崩壊を食い止める手助けをしてもらうために集まってもらった。」

けれど、と彼女は眉根を寄せた。


「残念なことに、原因がわからない。皆目見当もつかない。私にはまだ、世界が崩れるところまでしか視えていないのだよ。もしこれを引き起こしている人か、物が、何らかの意思を持っている場合——この崩壊に関わった者は、片っ端から消されるかもしれない。」

 その覚悟がある者にのみ頼みたいと告げ、彼女は口を閉ざした。周囲の者が不安そうに顔を見合わせる。家族や国があるものは、早々に決断をしたようだった。一人また一人と先生のもとに近寄り、謝罪の意を込めて髪を一房落としては去っていく。彼女は咎めるでも責めるでもなく、心意を感じさせぬ柔らかい笑みで、その全てを見送っていた。

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