第2話
ああ、と思った。事態はやはり予想以上に深刻だった。体の芯がすっと冷めていくのを感じる。
妙に力の抜けてしまった顔を見て、マハは済まなそうに言葉を続けた。
「す、すみません。ひとえに我々の勉強不足で——。」
「いいえ、違います。」
困惑したように眉を寄せるマハを見て、本当に知らないのだと改めて理解する。その手を握って、話し始めた。
「エントワールは…貴国ソニアと長年交流を続けていた国です。指導者ヘルのもとに栄えていた国です。と言っても、あなた方にはその記憶がない。合っていますか?」
マハが静かに頷くのを見て続ける。
「記憶がないのは、消されたからです。滅びたのではない、その存在、もろとも、消されたのです。」
「消された?」
「はい。そしてそれはエントワールだけではない。多くの人や国が同様に消えつつあります。原因すら特定できていませんが、何とかして食い止めなければこの世界が消えてしまいます。…どうか力を貸してほしいのです。」
手に力が入る。マハは話を聞き終えてから、反芻するように言葉を繰り返していた。
しばしの沈黙。駄目か、と目をわずかに細める。そもそも認知できない問題を信じて手を貸せというほうが無理な話だ。断られても致し方ない——目を瞑りかけたその時、予想外の力で両手を握り返されて思わず見開く。マハはじっと私の目を覗き込んでいた。
「喜んでお貸しいたしますわ、サラ殿。」
「——マハ様。」
本当ですか、とどこか気の抜けた声で問う。口の中が乾いていた。彼女はそれに対して太陽のような笑みで答える。
「私たちにはわかりませんが、サラ殿がそういうのならば疑う理由はございませんもの。具体的に我々ソニアは、どのようにお手伝いすればよろしいですか?」
相変わらず彼女は、いやこの国は信じられないほど純粋だ。座り込みたいのをこらえて感謝を述べ、そのまま指示を飛ばす。
ソニアの国の中でも優秀な巫女十人を引き連れ、私の拠点である島へと向かうことでとりあえずの話はまとまった。準備に半刻いただきたいというマハの頼みを快く了承し、出立までの短い時間で、先刻少女と戯れた中庭へと向かう。
少女は階段の端に腰掛けて、何やら口ずさみながら花冠を編んでいた。そっと背後に忍び寄り、「一人なの?」と声をかけると予想通りに大きく跳ね上がる。
「びっ、くりさせないでよ! 冠壊れちゃった!」
「あはは、ごめんね。」
思惑通りに驚いてしまった悔しさも相まって真っ赤な顔の少女は、必死にひざ元を叩いてくる。それを片手であしらいながら、ふと今後のことに思いを巡らせる。
マハたちを連れて行ってしまったら、この国は他国に狙われやすくなるだろう。出来るだけ早く事を収めなくては、この子のためにも——。
「……お姉ちゃん?考え事?」
「……そうね、そんな感じ。」
「……またすぐどっか行くの?」
「…………そうね、なるべく早く戻ってきたいけど。」
ごめんねとほほをくすぐると、少女は精一杯の強がりを顔に表して、仁王立ちをした。
「別にさみしくないよ。でもまた会った時には遊んであげる。約束ね!」
どういう立場かわからないほどの上からな態度に、思わず笑ってしまう。妹も幼いころは、よくこんな風に偉ぶってあれこれと強請っていた気がする。少女が伸ばした小さな手に自身の手を重ね、約束ねとおまじないをした時、その指がさらりと地に落ちた。
「——えっ。」
指先、手首、腕から胴へと、瞬く間に少女は砂へと変わる。意味が分からない、なぜ? ハッと立ち上がって周囲を見渡すと急速に色あせていることに気付く。
この国が消えかかっているのだ。
石壁を隔てた向こうで「姫様!」という悲鳴が聞こえる。その悲痛な声の意味するところを理解して、思わず喉の奥から嗚咽が漏れそうになるが、歯を食いしばって腰元のポーチから魔道具である筆を取り出す。
この国が消えても、国を形作っていたものが瓦解するだけだ。けれど正確に国を渡るためには、マーキングした定位置から国を離れることが望ましい。足元に簡単な陣を描いていく。 砂が四方から迫っている。崩れていく石壁を最後に、私の視界は暗転した。
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