雷雨の小窓
瑠璃由羅
第1話
浮いている、ふわふわと。揺蕩うように、漂うように。
国が一つ誰かの手によって生まれ、その命と共に散っていく。
この世は全てが漠然としている。ひとたび国外へ足を踏み入れれば、その身体は塵と化す。ただ——魔導士を除いて。
「——それじゃあ、私はこの国から出ることが出来ないの?」
傍らの少女が不満そうに眉根を寄せた。私は思わず笑みをこぼして、彼女の頭をさらりと撫でる。
「いいえ、あなたは巫女になるのだから、国を渡ることは出来るわ。」
「でも、魔導士じゃないよ私。」
「そうね、だから国を渡るときには、私たち魔導士を呼んで頂戴な。」
ふーんと分かったような相槌を打ってから、彼女は自分のおさげを弄りだす。しばらくそのつむじをぼんやりと眺めていたが、ふと後ろから「サラ殿」と声を掛けられた。振り向けばそこに白い装束に身を包んだ妙齢の女性が佇んでいる。
「お待たせいたしました、長がお待ちです。」
「どうも。」
すっくと立ち上がると裾にかすかな感触。少女がその小さな唇を尖らせて、私の衣服をつまんでいる。どうやら不服の意を示しているようであった。こら、と窘める女性を制して、その鼻をいたずらにつつく。
「またあとでね。」
絶対よ!と念を押す声に後ろ手を振りながら、建物の中へとと足を踏み入れた。
女性は床を滑るように進み、私を先導する。
「良い子ですね、あの子。」
ぽつりとこぼすと、女性は驚いたように振り向いた。
「本当ですか? まだ擦り傷だって治せないのに。」
「ふふ、やる気がないのかもしれませんね。」
力は強そうですよと返すと、彼女は安心したような呆れたような息を一つ、静かに吐いた。
「だといいのですけれど。……こちらです。」
細い草で編まれたパーテーションを捲ると、巨大な骨組みを椅子として座る一人の女性がいた。案内の女性の服と似た白い布を纏っているが、日光にきらきらと反射しているのを見ると金属糸が使われているのだろう。彼女は私の姿を認めるや否や、紅を指した口をきゅっと上げて嬉しそうに駆け下りてきた。
「サラ殿!お久しゅうございます。」
「大きくなられましたね、マハ様。」
軽い抱擁を交わしたのちに、マハが私の額に口づける。この国において、客人への歓迎を示す最高峰の儀礼だ。彼女はパッと私の両手を取ると、顔をうんと近づけて言った。
「此度はどれほどの滞在のご予定ですか? うんと歓迎いたします。華やかな宴でも開きましょうか! 今はちょうど派遣要請もなくて、嬉しいけれど退屈なのです——。」
「姫様。」
案内の女が、咳払いをしてから咎めるように声を挟む。
「サラ殿は、今回急ぎの用事で来ているのです。」
「まあ、そうなのですか。」
驚いたように顔を覗き込んでくるマハに苦笑いしながら、ええまあと言葉を返す。
「お気持ちは嬉しいのですが、あまり長居は出来ません。事情を話したらすぐにここを発つつもりです。」
「まあ……そんなに早く?」
「はい。」
「今日だけ、泊まっていくことは出来ないのですか?」
「申し訳ありません。」
「そこを何とか……。」「姫様。」
先ほどよりいくらか鋭い声が飛ぶ。マハはその叱責にきゅっと顔を顰めた後、わかりましたと頷いた。
「残念ですけれど……。ご用件をお伺いいたします。ではこちらに。」
「いえ、お気持ちだけで。このまま話します。」
座席に促そうと引かれた手をやんわりと引き戻す。顔にこそ出さないよう努めてはいたが、かなり焦っていた。
「早速ですが、本題を。エントワールの国が滅びたのはご存じでしょうか。」
瞬間、場の空気が凍った、ように感じた。単に自らの緊張のせいかもしれない。わずかの変化も逃すまいとマハの目を正面から見つめたが、何の色も見せないままに彼女はあっけらかんと答えた。
「いいえ。……というより、すみませんサラ殿。我々はその国を存じません。」
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